zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

あらゆる可能性

こんなこと書いても、あまりいいことないかもしれない。

 

専門でもないこと、はっきりしないことについて、いいかげんな意見を書くことはもういいかげんにしたら・・と親身に思ってくださっている人もいるかもしれない。

 

でも、人はどうせいつか死ぬのだし、黙っていたらわたしという人間の頭のなか、何を考えて生きていたのか誰も知ることはない。そんな風なことも思っていたのかという記録ぐらいは残しておいてもいいかなと。たとえ、「とんでもなく間違っていても」おかしくても、そういうアイデアがあったいう事実。もちろん自分では確率は低いと思っていて、こうして書き連ねていることも生起確率1%, 0.1%なんてこともかもしれないけど、あらゆることは考えておくべきだというのはわたしの考えだ。

 

たとえば、日本が住めなくなったら。

 

こういうとあれだが、暮らしている庶民というか、一般の市井の人々はあまりこういうことは考えないかもしれない。「統治」の立場から物を見てみる。自分が統治しているわけではないし、本来国民主権の国では統治者というものがあるとしたらそれは国民自身である。ただ、これは理論上のことで、日本の現状の土人性を考えれば、圧倒的多数の人々がまだ「統治」をされたがっていて、「統治」以外の政治を構想、想像することすらできないという段階で留まっているものと推察できる。わたしの言うのは潜在態度だから、もちろん社会調査などで、「あなたは主権が国民にあると思いますか」「はい、いいえ」みたいなデータを語るのではない。調査で建前を呈示されても、「知識」というか「学校」的対処を引き出しから出してきて回答するだけだからそういった社会調査の意義は参考にしかならないと思っている。どういう建前のアクセシビリティが高いか程度の。

 

それで統治の立場からものを見てみると(いわゆる「統治」の立場からものを見る人が多い学校で生きてきたからだが)、最低限のリスク管理や安定や対処の準備はつい考えてしまうだろう。

 

だから、荒唐無稽、さよくの空言と思うかもしれないが、実際に原発にミサイルが着弾するときが(すぐとは言っていないこの50年以内でとかでいいと思う、大体稼働させてなくても廃炉はすぐに済まないから)あったら、あるいはそれが見事に狙い通りの命中で日本国内の原発10か所くらいにミサイル着弾したら。

 

日本全土が(むしろ沖縄とかが大丈夫かもしれないが、沖縄に誰かが撃つと日本ではなく、今ならアメリカがすごく怒るだろうから)、住めなくなる。

 

そのときに日本人がまだたくさん生きていたら(たぶんたくさん存在している)、集団移住、避難民、移民とならざるを得ない。

 

どこにいくか。 そういうのはまともな為政者であれば考えることですよね。と、わたしは思う。わたしなら考えておく。

 

正統な正攻法なら、近所、韓国や中国、台湾、シベリアとかに頭を下げて入っていくだろう。東南アジアも。分散してあちこちに行かないと仕方ないだろう。たぶん人が多いんだろうから。

 

わたしなら、そこで終わるかもしれない。だけど、もしもっと悪辣なことを考えれば(って自分でも考えているわけだが、人が考え得るいろんな(興味関心のある事柄にまつわる)ことをこちらも前もって考えられていないと悔しいので考えるのだ)、もちろんどこだって頭下げて謙虚にお世話になりに他国に入っていくには変わりないが、集団でいくわけだし、少し立場が相対的にあまり弱くならずに済む場合は、それは先方の政権が弱体であるとか、もっとあてはまるのは政権が実質ないとかアノミー状態になっているとかそういうことだろう。

 

あるとき日常でふと突然ミサイルが原発に・・・まぁそれはあまりないだろう。そもそもそれはどういう状況で起こるかと言うと、今なら北鮮とか、100年以内規模で考えればあらゆることが考えられるから、中国からロシアから、パキスタンから(笑)(これは先方の利益が全く想像できない)、よほど妙な事態を引き起こしてまたまたアメリカから・・・とかいろいろ想定できる。

 

現実的にはなんらかの対応を間違えて、あとから「どうしてこんなことになったか検証を!」と歴史的に叫ばれる事態になるような(盧溝橋事件みたいに)何かがあって、北鮮から飛んできてと・・それは北朝鮮と戦争している事態ってことですよね(50年スパンの想像ですよ、何度でも言うが)。たぶん最終的にアメリカが参加して、北朝鮮vsアメリカという図式の戦争が生じるならば、まず北朝鮮が負けるでしょう。ロシア、中国がただ傍観しているかどうかは別として。

 

とりあえず、北鮮の政権消えますよね。それで日本が住めなくなった原因も北鮮。ならばその道義的な責任もとって住むところなくなった日本人を住まわすのに北鮮の地を用いるのは自然な成り行きとも言える(そこが核爆発起こしていなければ、それに部分的なら汚染していない地域ももちろん残る)。(うれしいか楽しいか苦しいか知らないが、たぶん苦しいだろ)

突然北鮮の人口の70%が日本人。これは韓国が黙っていられないと思うし、中国もすごくいやだと思うよね。まぁでも押し寄せた者がちということもあるから、難民であることを明示した船舶がどんどん北鮮に向かったとして、もう「戦争状態」が終結していれば、それを撃つような正当性は中国やロシアもたぶんなかなか作れないよね。強引に入国チェックに直接・間接に関与するとか、臨時暫定政府をおいてそれを米ロ半々、いや米ロ中韓1/4ずつとかがせいぜいにも思うが、どさくさにおいては大体動きが早い者が勝つから想定準備している方が有利であるのはもちろんだ。こういうとき素早くどう動くかとか。ロ中は考えているだろう。

 

それより北鮮の国土も荒廃しているだろうから、北の難民が中国に押し寄せる。一般に想定して言われているのはむしろこの辺にまつわる事態だ。でも、もし住むところ自体がなくなった日本人ているのがその時発生していたら贅沢なんて言ってられない。世論としても、きっとそのとき土人たちは、

 

「おれたちをこんな風にしたのは北朝鮮だ! 落とし前つけろ!

 北朝鮮を俺たちにゆずれ! 北朝鮮の地を乗っ取るぞ~!!」「お~!!」

 

みたいに元気に勇ましくなっているんじゃないですかね。そもそも戦争しちゃているわけですから。政府はそれを「コントロール」できますかね? いやむしろあおりかねないよね。そのときに今みたいに復古的ネオコンサバ党が政権党だったら。(20年後の小泉進次郎第2次政権とかだったりしてw)

 

下手したら進軍を持続して、国土のっとり。これは、でも第二次大戦後では国際条約に反するから、事務的にはいろいろな手続きをかいくぐらないといけないよね。暫定政府に国土利用の最恵国待遇みたいなことを日本政府と日本人に対して戦後補償として公的に承認させるとかね。

 

で、「国民」の70%が日本人になれば、当然、民主的な選挙で政府を構成していくと、「日本復古党」みたいなのが第1党になって、安倍さんの甥っ子(知らないけど)か麻生さんの孫みたいな人が総理大臣になっていってw、一旦東南アジアとか、あるいは自費でうまいこと欧米とかに避難していた人の一部もそこに戻ってくるというか合流してくる。国名変更議決とかやって、今日からここが「新日本だ!」とか。復古的な侵略がお好きな人たちはそういう可能性を構想してるのか…そういう方向性はとてもイヤなことですが。

すごい悪い冗談みたいにしか思えませんよね。

 

でも、もしももしももしももしも、今すぐにこういうことが起きる。たとえば近々に大地震がまた起こって、もっと大きな国土的被害や稼働中の原発による被害が甚大なものになるカタストロフィーが起こるなら・・・・

 

これ順序逆に先にひとの国土を乗っ取る算段を用意しないといけないですよね。 急がなきゃ! ヤバいぜ!

 

一所懸命、挑発して早く戦争始めてくれないかなとか。

 

まぁ上記冗談でした。でも1%でも理解のために想定はして悪くない。統治者の側というのは一般国民には知られない情報を常に占有していたりする傾向があるからね。今の情報時代にとても難しいけど。

 

でも、どうせカタストロフィーで100万人くらい死ぬんならミサイル数発で数千人(核ミサイルでないとそもそもそんなにも死なないだろう。「核」は発射する意味も必然もないから)死んだところで大したことないと思えちゃうかもしれないですもんね、恐ろしいけど。

 

しかし、もう「なんでそんなに急ぐのか? 早く戦争起こして自分が司令官したいのか?」くらいの理由以外に「人として」あり得る想定するとそういうことくらいしか考えられないですもんね、単にイタズラ心になんてことでなければw。

 イタズラ心かもね。 だったら統治者の資格のカケラもないね。いや侵略はしちゃだめですよ、もちろん。

 

 

 

 

【恐怖は】なぜ排除?【罪意識の裏返し】

ちょっとした喧嘩のはずなのに、集団でよってたかって相手を殺してしまう場合がある。事件が起こるとはたからみて「残酷」「ひどい」と簡単に片付けるが、本当に加害者がなぜするか考える人は少ないように思う。

 

喧嘩や争いでは、そもそも争いがあるので、仲が悪く(当たり前)、何らかの対立点がある。暴力に訴えられるとやられた方は悔しいし、恨む。日頃からの恨みもある。恨むということはいつかチャンスがあればやり返すかもということ。

 

だから・・・・中途半端にやって放っておくと、いつか相手が元気を取り戻したときにふいに復讐されるかもしれない。怖いですよね。ならば最後まで・・・復讐できないように殺してしまうとか。

 

相手が「団体」だと意味ないですけどね。団体が復讐に来ますからね。

 

だから道端の犯罪でも「気に入らない」ってところから始まった暴力が相手を殺すところまでいってしまうことがある。

 

日本で裁判までして訴えない心理には、面倒ということや近所の人目などの要因の他に、そこまですると「相手に恨まれる」というのがあると思う。

 

関東大震災時の朝鮮人大虐殺も普段の差別に基づく恐怖が一般民衆にあったことも指摘される(何ら免罪にはならない)。要するに普段やっていることがうしろめたいんだよね。それで無害な行動が誤認知されて、「復讐でやって来た!!」みたいに勘違いする。そしてデマが広がっていく。

 

北朝鮮を過剰に怖れる人や戦争を警戒する一部にも(通常北朝鮮から仕掛けてくることは論理的にあり得ないのだが)、戦前占領していたことの潜在的罪悪感があるのではないか。そしてそうした気弱な(悪いことではないが気弱な心情それ自体は)面が反転して、相手を封じる強気態度に出る。ガラの悪いチンピラたちと同じですよね。おやぶんに従っているだけの威勢だけ張ろうとする人々。

 

「自分たちは悪い事をした」→「朝鮮の人たちはさぞ恨んでいるだろう」→「復讐、攻撃されるかもしれない」→「怖いから先につぶそう」「近くにいられると怖いから日本から出て行ってもらおう(在日の人々に対する態度)」

 

理論的には怖い対象を怖いからと突っつき回すと、予言の自己成就を招くだけでいいことないのだけれども、怖いからじっとしていられなくて、「気になって気になって仕方ない」のでしょうね。恨まれていると考えるから共存できない。選挙権与えると政府を転覆される(笑)とまで異常に妄想的に怖れる。まぁ潜在的に「そこまで悪い事を相手にしてきた」って意識があること自体は悪くないかもですね。

 

やはり移民問題も難しいからどこの国でも「うまく扱えていないのではないか」「移民は不幸で、うまく社会適応してもらえてないのではないか」という不安が(実際おうおうにして社会的地位が低いが)恐怖に転換していく場面があるのでしょう。もちろん文化摩擦のより直接的な不快感を感じている人たちもいるでしょうけど。

 

復讐されるにしたって、恨まれて襲われるにしたって、自分から仕掛けるにしたって、「やり過ぎ」が起こる仕組みは冒頭の通りですから、いずれも「やり過ぎないですむ」システムを構築するとよいわけですよね。

 

万一暴力犯罪などが起これば、「必ずつかまるし」(検挙、逮捕率の向上、もちろん100%はあり得ない)、その結果「恨みを買う」のではなく、より健全に更生してくる。これが大事でしょう。つまり、再犯可能性の高い条件では、「ムショから出てきたら復讐される」という逆恨みを怖れてしまうダイナミクスが働いてしまう。日本やアメリカより1/2~1/4くらいの再犯率の社会であって、更生や共生に力を入れる司法制度(矯正制度)をとっているところでは、過剰に恨まれる(アメリカの場合は武器携帯率が高くなっちゃうのでその場ですぐ撃ち返される怖れがあり、なので相手へのダメージを過剰に行う)おそれを感じる必要がないので、うしろめたさを感じるからと言って、こちらから討って出たり、過剰にケンカを売る必要もないだろう。(仮に恨んでいて復讐心がある→実際に犯罪する→即逮捕→心入れ替える(実際は環境を整えるといった方がいいかも))

こういうサイクルが信じられていれば、変な妄想的不安・恐怖を感じなくてもいいのだ。日本で変に外国人国籍の人をいやがる人って不思議なことにこうした警察システムも信用していないのだろうか?(調べてみないと分からない) 確かに国籍違えば高跳びされて面倒なことになるが、ずっと在住している人では逃げるも何もここが住んでいるところだ。

 

小心者の過剰演出、威張り散らしというのは、アドルノ権威主義的パーソナリティ以来、心理研究の俎上にも乗っているが(次回のゼミがこのテーマ)、矯正(言い方はいやだが)システムがまともに機能していない日本司法では、一度犯罪するとすべり台社会なので、そういったシステムも改善の余地が大いにあるんだろうなぁと思う。

 

そしてもこれも普段道を歩いていて、全く知らない他人や外国人に見える人々を「信頼」しつつ(正確に言えば見分けつつ)、生きていく現代の生き方スキルになっていって、こういうのこそが、現代、未来に適応していく本当のグローバル化社会への準備と思うんですけど、どうでしょう。

 

反対意見やヤジを過剰に怖れて嫌いな人は、よほど普段から自分が国民に悪い事しちゃっているという潜在意識があるんですかね? いつ自分は暗殺されてもおかしくないくらいに怯えているのでしょうか?

 

『復讐の心理学』みたいな本を編集してつくりたい。

【街が】いいね! ウェストニューヨーク!【違ってるぞ】

見落としてました。

人間の習性と言ってもいいのか、いや単に私個人が間抜けなのかわかりませんが、昨日近所によいスーパーを今頃になって発見しました。

 

いや、何が間抜けって実は「発見」自体は昨日ではなくて、ニュージャージーに入った翌日9月2日なのですよね。まだ引っ越しのためのレンタカーを持っていて、まずは必要度の高い椅子とか毛布などの大きな買い物をHomeGoodsでして、それはここの記事にも書きましたが、帰りに食品の仕入れGoogle地図で近所のスーパーを探して、一番最初に訪れたのがここ、昨日行ったところなのですよ。

 

 

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あいにく、9月2日のときは土曜日という週末でかなりの人数のお客さんで文字通りごった返していて、その迫力とレジの列(わたしは並ぶのが嫌い)に負けて何も買わずに出てきちゃったのです。ばたばたっと店の様子だけチェックしておこうと見まわったのですが、そのときの印象はレジ近くの魚屋の印象が強かったのか、生鮮に強い生もの扱う市場の店みたいな感じ・・というものでした。活気があったせいも影響しているでしょう。フードバザールスーパーって名前だし。

 

で、混んでいて大変そうなイメージなんとなくぬぐえないのと、帰り道ではないということでその後寄りませんでした。

 

まぁ習性か自分が怠け者か、要するに「途中にあるところには寄る気になるけど、わざわざ行くところにはなかなか行かない」ということですね。

 

ここは本当に調子よければ、バス乗って10分でマンハッタンなのですが(大体15分くらいで着く)、リンカーントンネルに入るまでの間にまだいくつか停留所はあり(6個ぐらいか)、早めに降りれば最も距離的に最寄りのスーパーにいける停留所(単にひとつ手前の停留所)で降りる手もあれば、ここニュージャージーで何度か入る前にアパート周辺を訪れた際に大通り沿いにある目立ったスーパーによったのが刷り込み初体験なのでその比較的チェーンでまともな大きめのスーパーにいける停留所(3つ手前)で降りるかそういう手を使って買い物に行っていました。

 

最近ではだんだん遅起きになって早朝散歩をしなくなったので(寒い)、意識して歩くためにアパートから10丁目分くらい歩いてその大型スーパーまでデイパックかついで買い出し往復ってなこともやっていました。

 

帰りの途中なら降りて少し回り道して帰っても距離的に「ムダ」があるわけでもないからしやすいですよね。

 

実際、関西でも大学から家まで行き帰り途中の大阪や西宮は(コメダを中心に)いろんなところに寄ったりうろついたり、買い物をしますが、元来うちの実家がひいきにしてきた三宮の方には通り道ではないためにたかが電車で10分なのにほとんど全く行かないというあれですね。乗り過ごして先まで行ってまた戻ってくるというのが何か心理障壁があるのでしょうね。

 

9月2日に一番最初に上記写真の店に行ったのは、Homegoodsが北側の方にあるので、そこからアパートに向けて戻ってくるならそれが「途中」になるからそれで先に寄ったわけです。それでもう一軒行って結局そちらで買い物したのですが、その時実は同じ土曜日なのに方や大繁盛、片や自分の買い物した方はがらがらに近く、それほどの距離も離れていないからちょっとヤバい、というかこの店大丈夫かという印象はしたのですよね。

 

で、再度行ったときは、わりに客もいたし、ホッとしてそれでまぁわりに使っているのですが、商品が限られています。

 

で、ついに北側にある店に昨日行きました。いいスーパーでしたよ!ものはすごく新鮮で、豊富で、わりに欲しいアイテムがありますし、平日だとそう押し合いのちょっとたいへんさはないし、落ち着いていました。

 

それよりも! 今頃なのですが、またまた「街が違う!!」という驚き。すでにそのとき、車で走ったし、9月以前も何度か車で走っているから地域の印象分かっていると思っておりましたがおおざっぱでした。東側と西側の違いは目立つので、バーゲンラインAve.がかなり活気(品も悪いw)ということ、西に行くほどディープで雰囲気がラテティーノ専用風みたいな感じが強くなるというのは分かりましたが、南北の違いはうかつでした。かえってストリート番地が多くなるとやばいんじゃんというのが、前に記事で書いた他の人のブログ情報の影響がやはり残るのか、雑然さは増えるのかもとうっすら思っていました。考えてみたらふつうは逆ですよね。旧市街の方が狭くてごちゃごちゃ。ただマンハッタンのイーストは100番台~であれなので、そうした番号イメージも。

 

しかし、車と徒歩は違います。ゆっくり歩いて注意深く見れば、運転中見逃していたこともよく見え、公園に高い金網があり、立派な門がついているとか、学校の規模が立派ですっきりしているとか、でかいマンションが多いとか、公園の緑の管理がきれいだとか、立派な公共施設が多いとか、散歩している犬が立派だとかw・・・。

わたしのいるアパートは3地域の境目にありますが、どれも小さい街です。

北側がウェスト・ニューヨーク、西南側がユニオンシティです。西と北はウェスト・ニューヨークに囲まれながら、ほとんどウェスト・ニューヨークのものは使ってませんでした。最初申し込んでトラブルあってやめたAirbnbのアパートがウェスト・ニューヨークでそれでこのハドソン郡というか、ノースバーゲン付近の街をそもそも知ったわけですが、たまたまそのアパートの道はちょっと汚くて、じぐざぐと車で走ってみた印象もごちゃごちゃした気がしたのですね。

 

でもブロードウェイという名の大通りを歩けば、公共施設やちゃんとガレージを有する大きな家や敷地の広い家や大きなマンションや通り沿いはそんな感じで実にすっきりしていて、ユニオンシティ側と雰囲気がだいぶ違っています。こんな近所なのに・・・。(だからウェストニューヨークの上側をけなしていたそのブログはよけい疑問なのですが)

 

Wikiとか、地域情報見ると、確かにユニオンシティは「治安悪い」(笑)と書いてあるし(そ~でもないと思うけど・・・、まぁ通りでよく大声で夜いさかいはしているよね、撃たないから安全て呑気に見過ぎているかな)、ウェストニューヨークについては、「エッジウォーターやウィーホーケンほどではないが、ふつうのよい街」という認定です。これからこっちのウェストNY側も利用することにして(歩くのは大型スーパーより近い)、でもごちゃごちゃのユニオンシティも好きですから、両方使いますよ。

 

だらだら意味のない地域ネタですいません。将来住む方がいたら・・・。一般受けとしたらきっとユニオンシティよりパークアヴェニュー、ブロードウェイ沿いのウェストニューヨーク(あるいは崖下)です。ウィーホーケンはかなりトンネルの高速に近いところでも大丈夫です。パークビューテラスなど。

 

生鮮品、玉子、牛乳、ハム、チーズ、ヨーグルト買い込んで参りました。

 

ひとつ悪ノリ

では、一体北朝鮮をどうしたらよいのか。

 

真田さんや秀吉に学べば、侵攻は失敗するので調略ですよね。彼らが得意としたこと。

 

戦時中のイギリスやフランス的な狡猾さ(あとをひくが)でやれば、北朝鮮を内部裏切りから瓦解させて、北東側国境線から半分くらいロシアに北西側を中国領土に(それぞれ自治州という体裁)、あと残りまぁ全体の5分の1くらいを韓国が広げるという分割でアメリカは何もとらない。

 

これが常任理事国全部を説得して無難に作戦(内部瓦解)させる方法では。みんな興奮すると「やっつけること」ばかりを考えますが、それで単純に韓国が併合して朝鮮統一となると、ロシア、中国はいやがるに決まっているじゃないですか。だからそういう「やっつけ方」には絶対に妨害が入るわけですよね。「やっつけた後のこと、その後の体制」を考えざるを得ません。だったらみんなが得して(全く気高くないが)納得させるには第1段階ではまずこれじゃないでしょうか。(地理が無知なのでそこの領土が意味のある土地かどうかは知らずに書いています)

 

そうして、10年、20年経てば、「理不尽な分断」に朝鮮国民自体が怒って立ち上がりますから、自分で戦ってロシア、中国から取り戻して、完全な「朝鮮統一」を「人手でなく」自分でやればよろしい。その方が達成感ある。(占領していた日本人からこんなこと言われたらブラックすぎるかもですけど、ごめんなさい)

 

そろそろ「現実的」な方策を考えた方がいいのではないでしょうかね。外務官僚はちゃんと考えているんでしょうかね。

ちょっと危険なこと

北朝鮮。アメリカもそう暇でもないし、イラン問題とかやっといてあちこち同時にしかけるのは無理だとして。

 

仮にアメリカの大統領が(トランプさんがどうだかよく分からないけれど)、狡猾、怜悧だったらこういうことになりますよね。

 

日本の首相に電話

大統領:もう北朝鮮許せないよね

首相:そうだ

大統領:で、頃合い見て戦端開こうと思うんだよね。

首相:そうですか!ついに(ワクワク)。

大統領:もちろん向こうのせいにしたいからさ、船来そうな

あたりにうろついておいて、さ

首相: 海上保安庁とですが、海上自衛隊ですか

大統領:(アホか)まぁとりあえず保安庁でいいんじゃん

首相:で、警察権限使うんですね

大統領:ちょっとおおげさにやるといいよ。それでそのあとは、海上自衛隊に警戒、警備させるといい。

首相:それで

大統領:ほどなく、こぜり合いが始まるから、そのとき防衛として2、3発ぶっ放して、向こうの兵士を殺せ。

首相: こっちが戦端開いてませんか?

大統領: 大丈夫お前らも何人か撃たれるから、あっちが先とか言っておけばいい。それであとはこっちが大掛かりに隠れている拠点に突入してやつを仕留めるから、任せておけ。

 

ところが戦端開いて、3日後、アメリカが「準備~」とか言って何もしてこない間に、青森か新潟に2,3発ミサイルが撃ち込まれて数千人殺られます。種類によって下手したら?万人被害とかも。

 

そこで、日本(ないしは韓国)に実被害が明確に出て、国際世論の後押しを得る中で、本格的に北朝鮮攻撃をします。もちろん戦中、韓国、日本に多大な被害が及びます。多大な被害が出ても、あれだけのことを北朝鮮が撃ってきたらそれをどうにか対処せざるを得ない局面になったからだと言い訳ができます。

 

で、アメリカ本土に本格的な核兵器が確実に飛ばせるように明確になる前にアメリカは東アジアの被害を踏み台に北朝鮮体制を破壊することができます。(終)

 

万一戦争になったら自民党政権じゃないと戦争遂行が心配だと考える向きもあるようですけれども、

・・・たきつけてこういったシナリオに迂闊に乗っちゃう可能性が高いのはいわずもがな今、日本中で一番そのはまり役なのはAbeという人だと評価できますよね。そういった点ではアメリカにとってもっとも利用価値が高いです(本気で北鮮とやる気あるならね)。もしかして将来仮に首相が小池でも同じことになるかもですが。ちょっと地理的に無理っぽい想定で工作するなら韓国の方に・・という感がなきにしもあらずですけど、想像を超えるやり方で先に韓国や日本に被害を出させてからという可能性はあるかもですよね。

 

そうすると、容易に焚き付けられない人物、示唆などのことの裏をよく検討できるようにしておいた方がいいのではないかと思いますよね。その際に潜在的・顕在的に実際戦争したがっているかどうかは重要な促進・抑制要因になるかと思います。

 

ところで戦争は当たり前ですが、「手段」です。外国人を殺したい欲求があるからそれを満たすために外国に撃ってでるということは今時とても考えられないし、まぁめったにやることではないでしょう。ふつう外交交渉ではどうにもならない案件があり、力に訴えるしかないから戦争になるんですよね。

 

戦争は手段。でも、恐ろしいことに「手段」と思う人には昔から2通りあって・・

1.勝ってこちらの要求を通したい(それを通して自身の立場を強くするとか、世論から喝采を浴びるとかそれも含めて)

2.武器を売って儲けたい

 

今、世界の多くは資本主義的経済で回っていますから、資本増殖の欲望で2番も無視できないものですよね。もちろんアメリカでは武器産業が政治献金しますし。

 

1は勝ち方を考えます。そして「目的」がありますからどう閉じるか、どういう条件が得られそうになったらどう店じまいするかも考えます。

 

2は、勝敗関係ありません。もちろん自分の店、本社が爆破されると困りますが、そうでない限り、だらだら続く方がよけいに儲かりますし、ひどい場合は両陣営に売りますから、終わり方を考える必要がありません。

 

だから、事は簡単です。終わり方を考えないで戦争したがる人がいたら2です。1は終わり方、うまい勝ち方、ちょっと勝ったところで引き上げるやり方を考えるはずです。日本の多くのTV視聴者は昨今の真田丸で戦いのそういう本質を真田さんから教えてもらいませんでしたか?

 

でも実は世の中には変な人もいて、まじめに考えるべきかどうかも分からないのですが、1・2以外が存在するのですよね。

「戦争ごっこをしたいガキ」

自分が大司令官や将軍などの役割をバーチャルにとることに気が済まずリアルにやってみたい! でもって、国家の責任者として、3千人の国民の死者、5人(一番最初)の自衛隊の死者を前にして悼んで弔辞を読む自分に酔いしれるということです(日本戦後史論でも指摘されていますね)。こういうのが一番危険なのは言うまでもありません。特に後者の行為を行うに当たっては、「勝っても負けても」いいんですからね。犠牲者が出るのを待ち望みさえしているわけですよね。

 

「負けても構わないと思っている司令官」 

  これほど、リアルに恐怖なことはないのではないでしょうか。

 

 

「あたたかさ」は誰のもの?

ハイトのモラル基盤の話でいえば、リベラルは、ケアと公正だけ。そして保守側がそれに加えて仲間意識(忠誠)、権威、清浄を基盤とする。基盤の広さが保守に有利に働き、いまひとつリベラルが伸びきれない。これがハイトの分析だ。

 

保守は家族のつながりの大切さやそうした伝統的な人とのつながりの大切さを訴え、前の記事で記したように、選挙などでもそれを利用して、地域のボス、人とのつながり、冠婚葬祭的つながりをてこに支持基盤を盤石にしていく。地方では今でもかなりそうだ。

 

リベラルや革新系は正しいことを言うから基盤はそういった理屈になる。理が立つと、ステレオタイプ内容モデルでは、理と情が逆相関するから情が薄いように見られ、味気なく殺伐とする感じがする。これが理の辛いところだ。

 

でも「保守」の小池は、冷たさを表出してわざわざ自ら「あたたかさ」の資産をどぶに捨てた。

それを拾ったのは枝野だ。

今回非常に興味深い、また印象深いのは、枝野さんが、

 

「保守から〈情〉を奪った」

 

あたたかさ軸を自分の方に引き寄せて、ものにした点である。人徳なんだろう。

 

あたたかさを有するリベラル。これが大切なのではないでしょうか。

 

自民党側の「忠誠」はあまりに狭い人の間での「つながり」に堕してしまった。もっと広げた人とのつながりがなければ世の中はうまく回らない。

 

サンフランシスコ講和条約を軽んじるといずれ安倍さんの足元は掘り崩されるだろう。アメリカは別に安倍を友達と思っているわけではない。たとえもしこの選挙を自民党が勝ったとしても、ヤバいことになる前に何かが起こるかもしれない。

 

北朝鮮と日本は対立している。しかし、アメリカ人から見ればこれは同じ顔だ。みんな日本は宣戦布告もせずにずるいことに真珠湾攻撃をいきなりしてきたと単純に考えている。ここニュージャージーにもリメンバーパールハーバーの記念碑が立っている。日本人は何を考えているかわからない。放ったらかしておいたら、いつか日本が北朝鮮と同じような国になるかもしれない。また国連を蹴って立って核武装するかもしれない。アメリカはまじめに冷静に現実的にそういう点も見ている。トランプだけは冷静でないけど。

 

日本が北朝鮮と同じになれる仕組みが用意されるとしたら、当然そこで打ちこわし工作が行われるだろう。対米追従が下命されている自民党がやり過ぎたとき、それはアメリカが安倍さんを見放すときであってそれはもう始まっているのではないか。

偉い人と立派な人

上に立つ人とはどんな人でしょうか?

 

これは質問自体がいくぶん土人的です。土人国民主権を有用に用いませんから、単なる自分たちの代理、ある意味では下僕として仕える政治家を選んでやるという意識を持つのが難しいです。

 

すると、「議員さん」を選ぶのは、大昔からの心性と同じで、たいてい議員さんとは偉い人、偉い人がなるもんと、思っています。

 

昭和的かもしれませんが、子どもの頃、自分より(家父長的に)偉い父親が頭を下げる庄屋さんみたいな人がいて、その庄屋さんがさらに頭を下げる議員さんがいたら、議員さんは偉い人と思うでしょう。

偉い人の善政にすがるみたいな心性でいれば、偉い人はちびっと偉い人が紹介してくれる。だから、庄屋さんがこの人に投票したらよいといえば、みんなそれに従って投票する。もちろん村やその地方の実利があると説得されることもある。そういった顔役は冠婚葬祭の行事に顔を出し、顔を売る。

 

さて偉い人は立派な人とは限りません。単に偉ぶっているだけの人かもしれません。立派というのもあいまいなので、ちょっと筋をずらして合理的に尊敬を受ける人としましょうか。立派な会社に就職して「一人前」になって故郷に帰ると「君も立派になったねぇ」と言われます。昔ながらにとりわけ男性が伝統的性役割観的に「正しく」「よい」会社に就職すれば故郷に錦を飾り、ほめたたえられるわけです。時代の制約を受けますが環境適応的には「合理的」でしょう。だから本当のことを言えば一見合理的だからと言って正しいとは限りません。

 

そもそも心理学者はその点意地が悪いので(ちゃんと言えば懐疑的なので)、「正しい」ということばはたいてい正しさがないときに使います。正当世界仮説とかですね。実は正当でないことが分かっているから敢えて正当という幻想を語っているわけです。皮肉ですねぇ。

だから「正当化」ということばはたいてい「本当は正当でないものを無理やりごまかしてしまう」ことを言います。でも本当に信じている人からすればそれは正しく思える。まぁでも正義ってそういう側面がありますよね。だから正義同士闘う戦争が起こるわけです。

 

でもある正義を信じる者はまじめに信じています。近代的には本来の正義というのは合理的に正しいことですよね。数式で証明できるとかが一番いいですけど、なかなかそうはいかないから、代理のひとつとして功利主義的な正しさがあります。しかし、功利主義はいまひとつ人気を獲得しないので、ときどきカント的な正しさがもたげてくるわけです。

 

正義に準じる!!と言えば、日本ではなんか武張っていますよね。まぁ別に謙信ではなくても、戦国武将だって自国領土における功利主義的な正義ではコスト少なく他国領地を分捕れれば利得が非常に大きいわけですから、誰も止めたり、裁定する者がなければ力で奪います。本来は裁定する者が一番正義を体現しないといけないわけですが、幕府は弱体化するわけです。

 

そういえば、そもそも政治、幕府って何かといえば、利害の調停ですよね。大昔から起こる政府機能としてはこの利害の調停が大きかった。とりわけ土地問題が力づくでなるように世知辛くなってくると、なかなか簡単にことがすみません。

 

正義を機能させるには自分が正しい身じまいしないといけない。わりにこのことをよくわかっていたのが北条家の人ですよね。正しさによって権力を維持しないといけない。なぜなら彼らには十分な正統性がなかったからです。正統にはこれは歴史的妥当性が本来必要ですから、天皇家に比較的近くつながるとか、「名門」でないといけないわけですよね。しかし、彼らは(武士団)は、自らその長、将軍である将軍家を破壊しました。血統だけ「尊い」貴種からお飾りの将軍をもってきますが、単に最初、そこの妻、父、義弟に過ぎなかった血のつながっていない親族です。実朝が亡くなればもうそのなけなしの正統性っぽいものもなくなりますものね。

 

歴史の重みから言えば、正統>正当 ですから、正統には叶わないけど(結局足利に滅ぼされる)、せめて正当性を持ちたかった。この理屈を高時や長崎らは忘れてしまったのでしょうね。

 

それよりも古い正統はもちろん藤原摂関家です。西園寺公望とか近衛文麿とか細川護熙とかですね。むかしは天皇が偉く、藤原家が賢かったので、律令的な正しさを藤原家は独占しようとしましたが、すぐに堕落してしまいます。どうも日本は正義とは相性が悪いようですね。能力主義の叙任を始めようとしてもすぐ縁故主義に戻ってしまいます。しまいに血統固定です。正しく物事を運ぶにはエネルギーが相当いるんですね。

 

だからレベルが落ちて、貴族が単に「偉い人」になってしまうと「正しさ」「正義」を謳う武士が現れて、自分たちの式目とかつくって、正しい裁きを自分たちで行いたいと思うようになるわけですよね。

 

でもやがてそれも単なる偉い人に堕落して・・・の繰り返しです。時に正しく立派そうに見える人が貴族層に復活して現れて人気を呼ぶこともありますよね、なんたって根本的に正統性がありますからね。近代化していない世界では、そうした正統性は大事がられます。個人より「家」ですもんね。だから村でも代々、なんとか家の人が村長や今じゃ県会議員とかになっちゃったりする。

 

いまじゃほとんど貴族と武家の区別はつきませんが、普遍的に権威と武威というのは世界にもあったりして、そのいずれかに正しさがくっついたり、近代的にはただ「正しい」だけでがんばったりするわけですね。

 

ということで、血筋の権威があるか、武張っているか、あるいは近代的に頭のよさ、合理的かつ穏当な在り方で売るかという戦略になります。あるいはこれを贅沢に合わせ技するとかですね。

 

日本の統治の仕組みから考えれば、宏池会がお公家集団と言われたのも尤もなことです。現実に貴族がいなければ、貴族って律令的には行政官ですから、要するに国家を運営する行政部隊ですよね。それは今では官僚のことですから、官僚出身者が多かった宏池会は武張ったことはしないわけですよね。それは貴族的には穢れですもんね。「そんな汚い闘争なんて」とかね。だから機能的には貴族的要素ですが血統がなければ正統化はできないから、近代合理的に正当化するわけですね。穏当で優れた政策を出そうと、官僚出身で頭がいいですからね。

さかのぼれば穏当な政党政治家たちとかになりましょうか。ややリベラル系の。

 

武張った伝統は、もちろん長州陸軍系ですから、山縣有朋田中義一系ということですよね。どうして商工省に抜擢されただけでタカ派的立ち位置を形成したのか、政治伝記などを読まないので岸のことはわかりませんが、とても陸軍と仲良かったみたいですね。もちろん軍需調達とかしていたわけですけど。タカ派的リスペクトを得るには武張る戦略が有効で、中曽根さんとかが軍服で登場するとかそうした意識ですよね。いつの間にか自民タカ派非主流派が、21世紀に主流派に変貌していくわけですが、物腰や目つきだけですごめる小泉さんはすごいとして、そうした岸以来の血統、正統性はあるのに、何だか可哀想に安倍さんはたぶん遺伝子的(彼個人的な)にはやさしい感じがしてしまうのに、家系的にがんばって武張らないといけない。苦しいでしょうね。若い時からがんばって身に着けたペルソナなんでしょうけど、どうしても子犬が吠えているくらいにしか見えない。

 

鳩山息子は立ち位置間違えているようにしか見えないが先祖帰りしているのかどうか。本来、かの鳩山兄弟はリベラル寄りで渡ってきたのに。ブランド戦略を壊していますよね。

 

だから日本では、

 <岸・安倍的クラスタ>が長州陸軍的権威を体現し(イメージだけ)、

 <鳩山・細川的クラスタ>が本来、ややリベラル、

   それに宏池会伝統を加えれば、岸田ということに。

   (本来旧田中派みたいのも来るんでしょうけど、額賀さんが

   残念だったのと小渕優子謹慎で見る影もなし。そして旧三木派

   は高村さん引退。思えば昔の竹下7奉行は早く亡くなる方が多かったですね)

 

これに近代理論的理屈(ある意味現代の常識)の正しさだけで

闘わないといけないのが、立憲民主党ということになりますよね。もっとも「正しい」というコトバは共産党の十八番でもあるわけですが。

 

<社会民主主義クラスタ 欧的には大きな政府派・福祉重視>

ということになりましょうか。

 

枝野さんの真摯な在り方が人気を呼んでいるようで何よりです。でも本来理論が大事で、枝野さんは分かりやすく理路整然とあるべきことを語るようでいいのですが、理路に説得されているのか、人物なのか。ついつい土人は属人思考してしまいますから、これが単に枝野人気だけに終わると哀しいものがあります。

 一周まわって復活したこの常識的な正しさですが、使いふるされると、すぐに「正当」(実はうそっぽい)に成り下がるので油断禁物です。「いくらそうは言ってもそうはならないもんだよ~」みたいのが、かつてリベラル系の発言をバカにしていた人たちの言うことでしたね。ただし、本来のリベラルは再配分と多様性ですから、実は世界標準的に見れば本来的でない軍備・外交的にあまり凝り固まると時代の動きに対応できない欠点もあります(重武装左翼なんていくらでもある)。そうした不安を持つ層にしたら単純な護憲は説得効果が働かないでしょうね。さりとて安倍さんの外交が今うまいわけでもないですから一体どうしたもんか。とにかく交替してもらうのが一番いいのでしょうが。

 

いずれにしろ、正しいことを言う人をそのまま素直に立派な人だと思えるようにならないと近代社会は来ないですよね。

 

さいごP.S.みたいな・・・

 術語としては正統=legitimacy 正当化=justification

なので、対象物があり、それを維持したい場合、動詞でjustify となりやすく、そうすることがjustification。「正当だっ」って思うみたいな表現で使う時に対象の性質としてlegitimacyなんでしょうけど、SJ理論の中では盛んに動詞化して、legitimizeなんてのが出てきて、実質、legitimize=justifyで区別していないようです。アメリカは大して伝統ないですから。

参考文献:Jost & Major eds. 2001 The psychology of legitimacy. Cambridge.