zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

ことば

やはり大学授業料無償化は実際無償化でなかったという話ですが・・。

 

西欧では、現実の現象と概念を対応させているので、この現象にはこのことばを使うべしというのがある。これは学問分野では助かることで、もちろん定義したりもするが、いちいち論文のなかで定義をしないふだんから使われていることばもそれが「どういう意味」であるかの合意はおよそできている。だからはっきりしているのだ。というか、はっきりしないのだったら何のために言語を用いるのだ。

 

こっちの人とあっちの人の頭のなかにそれぞれアイデア、考えがある。どう違っているのか、あるいはそれは同じことなのかすり合わせ、検証するために言語を媒介にして交換する。ここで言語の指し示す意味があいまいで、こっちがペンのことを言っているのに、同じことばで向こうが消しゴムだと思っていたら話はこんがらがるだろう。だからことばだ。

 

はじめにことばありき。

 

ことばで世界はつくられていく。人権、共有、理解、正当、借金なんでもそうだ。

 

だから、ちまたの人が日常の会話でいくらかテキトーな使い方をしたとしても、西欧世界では少なくても政府の公的発表とかましてや政策の説明などのおおやけのものではことばをちゃんと使う。そして仮にちゃんと使わなかったら(トランプ大統領のように)、即座にマスコミなどが取り上げて難詰する。記者会見のなかで、それはこういうことば、概念を使った方が適切ではないかと訂正されるだろう。

 

だから「無償化」というひどい言い逃れをやるのは、日本人はよくやることと思っているかもしれないが、こういうことば遊びは西欧世界からしたらかなり異常で、それはコミュニケーション拒否と受け取られてもおかしくはない。異なる概念のものにうまい言い方をかぶせてごまかしてやろうというのは、あらゆる場面で見受けられるし、過大広告は取り締まる法律もある。しかし、次から次にそうしたにせのことばをかぶせるのは、ありていに言って「ずるい」ことであり、これがこの日記で時々書いているように、東アジアの国々が「ずるいやつら」というステレオタイプが形成され、進展してくる基盤となるのだ。「やつらの言っていることは信用ならない」ということ。

 

なにしろ、アメリカが最初に開国を迫って日本にやってきたとき、対応に臨んだ、江戸幕府の役人は「役職を騙った」。上司が自分の役職名を部下に騙らせたのだ。にせものの役職。なぜなら、なんかあったら上司は「自分が責任をとりたくないから」

 

そう、言葉を騙るのは、「極力責任をとりたくない」「無責任」ということの大きな表れなのだ。

 

しかし、政治家という職業は、実は「責任をとる」商売なのだ。専門家のような専門性もない。しかし、専門家や部下の説明をしっかり受けてその要所を理解し、最終的に判断を下すのが政治家の役目。あえて責任をひっかぶるということで給与が発生しているのだ。

 

だから「責任を回避しよう」という姿勢しかない政治家は月給どろぼうだ。仕事をしていないに等しい。というか、うそをまき散らすなら、本来の健全な業務を「妨害している」「混乱に陥らせている」といってもいい。むしろそいつこそが国家反逆罪みたいなもんだ。

 

うそは組織を滅ぼす。

ゼミ発表

2回目のゼミ発表が終わった。

 

まぁなんだ、どうということもない無難なというかやや気が抜けた感じ、いや発表は議論にはなったけど。

性差別のところを選び、日本語でやれば理論的にかなり強いところであるはずなのだが、やはり表現は難しいよね。受け取りのレベルもあるし。日本語でもこのあたりは通じない失敗経験が何度かある。

なぜだろう。

 

たぶん、聞き手はそれぞれ相手がどんなことを言いそうか予測、構えて解釈するんですよね。これまでの人生のその誤解やディスコミュニケーションを振り返ると、ジェンダー問題について「保守的」と見られやすいようだ。なぜかわからん。早くから結婚していて、結局妻が専業主婦になったからだろうか。まぁそうなんだろう。こっちが昔市民運動で男女同権方面(当時はまだそういう言い方した)にも気合入れてやっていたとかそういう過去をみなさん知らないし。昔からの性差別解消本をかなり読んでいるとか知らないだろうし。

 

まぁ進んだ女性は特に年上のおじさんは保守的に決まっているとか、ましてや自分の妻を「専業主婦にしている」とんでもないやつとかそういう感じなんだろうか。

 

まぁ確かに結婚したとき、付き合っているときの理想は、同じ様な目標(臨床心理学)を共にいだきつつ、共に働き、同志のような・・・とそういうフラットな在り方が理想だったのだが、これは誰に言っても当事者にしかわからないことだが、妻の「からだが弱い」という事実を甘く見ていた。

 

今日、発表したのは主に慈愛的偏見の悪効果だ。慈愛的偏見にあたる記述、項目を読むだけで、そのあと、女性が自身の身体、みかけにコンシャスになったり、容貌管理行動が増加する。慈愛的偏見の罠にはまり現状を維持する方向の行動を再生産しちゃうってやつだな。それと、実際に性差別問題について異を唱えるプロテスト行動に関わることが抑制されるとか。もちろんこれも現状維持の方向に振れるということだ。敵対的差別の言説に触れる方が抗議などの集合的行為が増加、活性化する。

 

女性は虚弱という文章もあったが、まさに妻の虚弱さは、それをかばうこちらの行動を慈愛的行為に変換してしまい、温情的な性差別行動を成立させてしまう。ベタに言って重い荷物を持つとか、車で送り迎えするとか。でも、とがった活動系の人ってしばしば頭悪いから個人差が分からないんだよね。今回も個人差は議論のなかですごく強調した。わかってもらえたかどうか分からないが。男女差の問題ではなく、女にも男にもとてもつもない個人差があるから、性で分けてものを見るのではなく、個人を理解するだけでいいのだと、スタンスの取り方を変えるという話だ。現代では常識だと思うのだが。

 

だから、女性全員を強くするとか、男性の乱暴さを一律的に下げるとか、「一斉モード」で事に当たるのではなく、「人の違い」を性別の違いに帰属しなければいいのだ、社会的場面で。もちろんホルモン的に検定かければ遺伝的に性差はあって有意差は出るが、それは実際の今目の前の行動の何パーセントを規定しているのかということだよね。多く見積もっても30%くらいならば、70%は状況要因で動かせる。だから性の観点で理解するのではなく、状況を変化させ、整えること(男性の育児休暇とか典型)が大事。男性の育児にあてられている時間が短いのは、日本の男性の労働時間が長すぎるという労働問題に帰着する点もある。時間のゆとりがもっとできたら、使い方も変化させやすい。このあたりも本当に日本の労働運動の愚策、失敗作のつけだ。

 

車椅子だったら階段をあがるのを援助するかもしれない。その障がいのある人が男でも女でも。妻はたまたま女でからだが弱い。それだけだ。虚弱なら何かしら面倒みないといけない。当然で、そうしかない。20歳まで生きられないと言われていたやつが50まで生きているのだから大したもんだ。はっきりいって相手がわたしでなければ、30歳くらいで死んでいるのではないか。時間にかなり自由がきくとかでないとあらゆる場面でタクシー運転手みたいなことはできないし、本人はただ個性的に「我が強い」からタクシーに乗るのがきらいで困ったもんだとか。どうしようもない。今回この10月だって、もう死にそうな田舎の叔母が最後の力ふりしぼって上京してくるからって、田舎から東京に移した(複雑な背景がある)実母の墓参りに、ふらふらに死にそうになりながら(たぶん)家→羽田→小平→家と運転しているのだ。本当は助けに行こうと思っていたが叶わなかった。1年くらい寿命縮んだだろうか。

 

まぁ横道の話が長くなったが、こういう人の個性(女性だからというのと関係ない。喘息などは男でも女でもなる)の問題だが、はたからみたらとても「伝統的な」家庭運営している古いパパに見えるんだろう。

で、話戻るがだから本当なら場の雰囲気から言ったら性差別後進国ニッポンから50代のおっさんが来ているわけだから、役割としたら古いいこと言って若いセクシズム研究者にいじられたり、からかわれたり、非難されたりすれば分かりやすくて、雰囲気がめでたしめでたし、おもしろかったとなるよね。

 

でもいきなり、ラディカルフェミニズムっぽい話から始めて、それでもうまくいかない点は何か、それで、いかに進化的圧力をわれわれは乗り越えるかとか正面切ってやり始めると、なんか期待に沿わない感じで、イスラエルのお兄ちゃんが保守派の役割を代わりにとってくれましたわ。

でも、こっちから言おうと思っていたトランスの話は、これまた日本から来ている院生の女性が持ち出して話し始めたから、なんだか議論も迷走して・・・と。Johnは「それはそうだが、それはおいといて」という。いいのかな。結局男性だから女性だからの視点をきれいに徹底的に無効化できるのは、トランスジェンダーインターセクシャルだと思うのだが。そういった情報にもっと陽を当てるというか、日常的に「ふつー化」(誰も知っている。よくあるよねみたいな状態)していくことこそ、「男だから・・」とかのセリフを抹消する方略でもある。発表者のひとりは、このマンフッド研究者だ。

 こちらの英語表現が超下手だから、やりとりやその場の議論になると、ますます英語自体がめためたになって日本語で言っても分かりにくいことやふとしたら、真逆に誤解して取られることも多くある微妙でややこしい話をそこまで英語でする語学力が自分にないことによく気づいた。そういえばこうした話題はそもそも英語でしゃべったことが一度もない。自分の研究では扱っていないからポスターの前でそんな話を一度もしないからだ。そりゃあ、英語も出んよね。

 

まあ日本でも別にジェンダーの話題ふったら面白うそうなんて、全く思われないたちだから、そういうことはしゃべらないし、逆にとられて誤解されるのはもういやなので、若い時のようにケンカふっかけたりもしないし。こういう信念系のところは論者も妙に信念もっていたりして、信念バイアスで人の言うことを虚心坦懐に聞けない柔軟性の欠けるところがあるよね。これがひとつフェミニズム運動の陥ったそっぽ向かれる現象みたいなことで、昔はそのそっぽ向かれる現象が戦略的に損ばかりなので、どうしたらいいかケンカを吹っ掛けると、180度異なる「保守派の難癖」みたいに誤解されて、大体この手のひとは自分よりこの人の方が考えが先を行っていることをすごく認めたくない人々で自分が一番前を行っていると信じたい向きで、それが強情な「信念」になっちゃっているからたちが悪い。だけどあまり運動内部でバトルをやると、つまらない内ゲバみたいになって、これまた外部の見物者からあいつら性懲りもなくまたやっているよ(笑)みたいに嘲笑ネタにされるので、本当にスタンスが難しいのだ。

 

だから、性差別ネタは社会学会ならともかく、中途半端な連中くらいしかいない社会心理学会では一切しゃべらないことにしている。

 

とにかく・・・・つかれた。でも、発表済んだ。もう帰っていい。

とか、違うだろう。そんなことよりも自分の研究しないと。少なくとも5つやることを紙に書いて壁に張った。だんだん残り時間が少なくなっているので、やっていかなくちゃならない。少し日本語文献も読まなくちゃのものがある。あしたアマゾンから届く。

 

 

 

 

 

 

 

4分の3の人は・・・

自民が国会の質問時間割合のことではしたないことを言い始めたようですね。まぁあんだけめちゃくちゃやってて、首相もある程度議席減ることも覚悟して選挙して、それで(野党分裂があったとしても)これだけの議席数得られたら(別段野党が林立する状況は今後そうは変わらないし、むしろ「希望」みたいなくさびを打ち込まれたら、実質「野党」でまとまることができなくなるかもだし)、「もう何したって国民は承認してくれて平気なんだ」と思ってもおかしくない。

 

普通の神経でもそう思って、奢っておかしくないと思いますよ。

 

で、そうなるのは小選挙区制のせいだと。これが細川・河野のハト派二名の合意で成立した選挙制度とは全くもって皮肉なことだ。

 

中選挙区制で幅を利かせていた自民党内派閥政治がじわじわ後退し、官邸か幹事長かそのときに強い者が決める党公認調整という一本化で議員が縛り上げられて、官邸が強い場合は政権に物も言えなくなってしまうと。これで結果的にだが、ハト派の方がじり貧して非主流だった清和会が政権を担い続けることでどんどん勢力拡張して第1派閥となり、現在も牛耳っているというのは本当に歴史はどう展開するか分からないものだ。

 

いずれにしろ、与党に有利な選挙制度がこの圧倒的な議席数の中で容易に変更できるはずもないので、ちょっと考えてみた。

 

今回の投票率が53.68%で、たとえば自民の比例得票率は33.2%、かけ算すると17%くらい。小選挙区では25%だという。これを立憲支持者や共産党やマスコミの一部が、25%の支持で75%の議席!!と言って批判している。

 

それはそうなんだし、民主主義の基本である国会議員選挙で、民意が正しく反映されないのは大問題で木村なんかが言うようにもっと比例代表部分を増やすとかの改善した方がいいのは本当にそう。

 

だけど・・変にそのあたりいい気になって勘違いしない方がよいと思う。これはとても「都合のよい」計算だ。

 

なぜなら、「棄権」した、投票に行かなかった者の多くは、報道で自民大勝という予測を知り、それでいいやと思って、じゃあ自分は投票しなくても・・わざわざ雨の中・・とかかもしれない。そこまで意識的でなくても、潜在態度研究者としては、本気で「意識的に」この状況をどうにかしてやろうと思っている人はだいたい投票したはずで、考えないとか情報を知ろうとしない層というのは、大体現状肯定、今でまぁいいし・・・と思っていると考えた方がいい。

 

今、SJの論文読んでいるが、社会変化、集合行為(抗議とか)への参加という最終従属変数の論文だ。Study2では現実に実験室でその場でチラシ何枚持っていくかとか署名するかで測定している。署名するとかは1,0変数でロジスティック回帰をしているわけだが、変化を起こす行動をするかvsしないかで物事を測定したら・・・・

 

たとえば立憲や共産に投票するのでなければ、「棄権」って「社会を変える方に(憲法改正的に言えば変えない方でややこしいが)行動しなかった」という従属測度0の方ですよね。

 

だから潜在支持層、このままでまぁいい層、今死ぬわけでないから、政治に興味がない層。全部これ「現状の支持層」と捉えればどういう景色が見えるか?

 

やってみた。投票率は53.68%。

比例の得票率は、立憲19.8、社民1.6、共産7.8。これが明確に野党共闘などで安倍政権的なものの存続に異を唱えた勢力。安倍的方向を補完、支持するのが希望と維新。ただ、今選挙後、あまりに希望ネイティブが当選せず、旧民進党員だらけで小池が批判されている現況を見ると本当にそのまま盲目的に憲法改正自民案にまるごと賛成するのかとか、他の政策でも対応が不透明だ。

 

とりあえず、でも 53.68%×(19.8+1.6+7.8)=15.67だから、意識的に批判的に行動した(大地は分からん)のは16%ということだ。

 

裏を返せば、国民有権者の84%はまぁこのままでいいんじゃないのという意見、おおざっぱだが・・。 驚くよね。すごいでしょ。

これ、本当にまじめに考えた方がいいと思うよ、リベラルの人たちとか。

 

まぁ今の希望の党の動きもあるし、投票時点では有権者が「希望の党」の中身をよくわからず、小池さんは安倍さんを批判しているらしいと思って、「批判票のつもりで希望に投票する」という悲しい行動をしている場合も想定は可能であるし、人によってそれほど右でもない個々の旧民進党議員を地元でずっと応援していた後援会の方々が、比例も希望と書いた(復活当選のため)ということも勘案したら、希望入れたらどうなの? と。

 

希望の党は得票率17.3%なので、有権者からの割合は9.3%。まぁおおまけでこの9%を引けば、84-9=75%

 

びっくりしたぁ!! このモノ言わない棄権者の潜在的消極的支持(あずまんのなんやかやはあったけど、まあほぼ無視できる数だろう)を含めてしまえば、国民の4分の3は「現政権のあり方」を支持しているってことでないの! 議席が与党4分の3で合ってるじゃん(いやいやいや制度的には・・・・問題が・・・)。でも「国民の潜在的民意」というか雰囲気で言えば、そうとっぴな議席配分でもなく、国民の大人(在住外国人ものぞいて「国民」と言っているわけだが日本では)は75%が政権支持!!

 

まぁ確かに考えてみれば、貧困度も深刻になったとは言え、あした死ぬというような状況の人はまぁわりあい少なくて、昨日までの生活がまた明日起きても続いて・・・みたいなことで、内戦状態にもテロ頻発状態にもないそこそこ食うもんあるこの日本で「政治に関心持たなくても死なない」という感じで、別に「政治やりたい人に任せときゃいいじゃん、面倒くさいし、ご苦労さん!!」みたいな考えが、多くても驚いてはいけないのかもしれない。

 

さすが、民主主義や国民の権利について、世界的に特殊な意識を有している西洋世界の人たちからしたら、あり得ない状態かもしれないが、「政治はおかみにおまかせ」というのは、中国も韓国も北朝鮮も日本もそうであって、東アジアのいわば「普遍的な」国家観ですもんんね。デモが有効とかいう政治的有効性感覚は今は韓国の方が高いだろうし、台湾も香港も・・。日本では「民衆」が政権を転覆したなんてことは2000年の間一度もないわけだから(そういう意味では石川のの一向宗はすごい、やはり宗教!)、「そんなこと想像できない」「あるはずない」と思ってもおかしくない。

 

国民の4分の3は積極的、あるいは消極的に、これまでの政治にさして不満を抱いていない(これから何が起きるかは知らないだけかもだが)。まあでも内閣不支持率を見たら40%以上あったりするから、そのほんとかどうか分からない(顕在測定だから)40%のうち、多く見積もっても25%にあたる部分(40%のなかの6割、いや態度未定、NAの人が票入れているかもだがもちろん)が実際の投票として批判票を入れていると、これは全体の投票率からみてももっともな感じであるが、入れなかった4割の人も本当に強い態度で「実は不支持」なのかわたしはちょっと信用しないですね。まぁ今回創価学会のある部分が白票などで現政権の下駄の雪状態の公明党を批判しているという話はあるが、数字的に大勢は変わらないだろう。

 

ってことで、84%がまじ、好戦的な日本に共感して、日本の北朝鮮化をまじに支持して、反対する人を「非国民!」と呼び始めるなら・・・・「難民申請」できたらいいなぁ。グリーンカードとるのはたいへんだけど、ちゃんと難民になって「日本から出ていけ、非国民~」で追い出されたら、ヨーロッパあたりであとの一生暮らすのも楽しいかもしれない。(ため息)

 

暖房入った

ってまぁ2回目なのですが、最近、最低気温が摂氏で言って5度くらいに下がることがあり、その辺になると自動的に入るようです。

 

インターナショナル・ファカルティ・レセプションが先日あり、日本の方と4人会いましたが、暖房入ったみたいにおっしゃってた方いて気になってました。

 

というのもヒーターがひどくぼろぼろで!

かなりひどい外形です。

 

こちらはセントラルヒーティングが多いので、前のペンシルベニアもそうでしたが、それは一軒家だからか、大家さんが意図的に入れるので、「ハイデア! 寒いか?」とか聞いてくれて入れてたりして、なんでだかなぁ3階小屋裏みたいな感じで日中サンルームみたいになるからか、そうはめちゃくちゃ寒くはなく(日本の同時期より寒いが)、部屋で厚手のフリース来てれば平気だったので、最低が5度くらいでも暖房入れないときもあった。

 

こちらニュージャージー、やはり寒暖の差は激しくて、5度~20度とか、今日は、5度~14度くらいでわりに普通ですけど、昨日は一日中ひどい雨だった。

 

それで昨日の方が寒かった気がするが、昨日起きたときは暖房入ってなくて、だけど今朝起きたときは、ん?なんか部屋があたたか、と思って入っていた。だいたい5度近辺になると自動的に入るみたいで安心した。ちょっとまだ臭いけど。

 

で、どれもそうかは知らないが、セントラルヒーティングは時間かかるというかあったまるまでの時間差が大きいから、明け方とかに入ると午前中いっぱい暑い。夜中だけあったかけりゃいいが、というのはぜいたくだが、むしろそのあと、どんどんあったかくなって来るので、冗談でなく、のぼせるというか、今、エアコンの喚起を並行してかけているくらいだ。同居住人がいるから、ずっと大きく入口の戸を開けているわけにもいかないし、1階だからあまり外に向けて窓を開けっぱなしておくわけにもいかない(時々空気入れ替えでいる時間帯に開けるけど)。のぼせるとすぐ頭痛してくるたちなので気をつけなきゃいけない。

 

今、入りたてだからこんな感じ。本当に寒くなると暖房は入りっぱなしになるからむしろ安定してくる。何しろリビングのより大きい器具は、2山くらいがあったまってとまっていて、これは結構長時間かけないと全部の山があったまっていかないような気がする。

あしたはさらに天気がましになるようだ。31日火曜日、グリニッチビレッジのハロウィンパレード楽しみだ!

そもそも日本に大学は要らない?

なんで日本に大学ってあるのか? そこで飯を食っていてなんですが、そう思う。結局要するに明治維新帝国大学をつくったわけだが、別段内発的なものでもなく、「文明国って大学が必要らしいぜ」みたいなことだったのだろう。

 

もう少しまじめに言って「国家に有為な人材を育成する」という国家の要請に基づく教育・大学観によって(だからドイツとは全く異なる)、官僚などを育成するということだ。官僚と書いたのは、技術者、医師、法曹、教師、これらは全部やろうと思えば専門学校でつくれる。実際そう呼ばれていた現私立大学も戦前にはあった。今でも教養をはぐくむ総合大学の上にアメリカでは専門家養成の大学院がある位置づけで、法曹や医師などは育成している。

 

さて、こんなことを書いているのは、今、自民党内で大学授業料無償化(本当に無償化ではないような気もするが)について、大学を選ぶという話が出ているからだ。

 

制度的にややこしいし、面倒だからそう簡単に今、気球観測しているのがその通りになるかは怪しいが、今以上に大学が自己評価、認証評価でチェックを続けられ、「ちゃんとよく言いつけを守っている」者に報償というか、守らないものを罰する(減点していく)というのを強化していくひとつの手段を又、手に入れるということだろう。

 

寄付金。本当に大学を自立させたければ、アメリカほどにというと難しいけれども、自立的に卒業生や関心を持つ人々から多くの寄付を集めて運用していくことが望まれるなあと痛切に思いますね。

 

文科省からの補助金に頼る限り、その「ひも付き」予算はスポンサーの言うことを聞かないといけない。メディアの広告スポンサーと同じだよね、それよりも今、大学は悪くなっているかもだが。

 

もともと教育なんて、特に小中高など、地域で自律的に行えばいいし、県によって市によって制度や公的補助、支援の仕方が異なっていても構わない。地方自治だと思う。過分の不公平は是正すべきだが。

 

だからよく言われるように本来、文科省なんてする仕事のない役所で、無理に仕事をつくろうとするから、こうやって統制する話や発想(今回のは、経済産業省が言っていて、制度的にOKな見通しがあれば財務省も承認して、文部科学省自体がアイデアつくっているのじゃ全然ないだろうけど)は珍しいことではなく、省庁がある限り、どちらかと言うと規制したり、統制したりという方向に向かうのは役所の自動運動っぽいところもあると思う。

 

茂木は経済財政&「人づくり革命!!」で派も額賀派田中派)だが、思えば、安倍(父)派、森派という清和会は文教族で、おいしい郵政や建設は田中角栄にとられたから(というか郵政はおいしくなるように田中が育てたからだろうが)、あまり利権が大しておいしくなさそうな文部省を当時の非主流派がとったということだろうか。また、非主流だったタカ派教育勅語復活とまででなくても、その人たちが考える「よい国民」「正しい国民」をしつけることに関心がある人たちなので、右翼にとってどうも教育は重要らしい。そういう点でその対抗馬であるべき日教組がわりにおバカであったのは不幸で、本質的に重要な対応が何であるかを見失った点も見逃せないだろう。大体こもの、小人は今も話題になっているように、権力者になりたがって変な校則をつくる。権威に反旗を掲げて、そして自分自身が権威者になる。ソ連でも中国でもこれは人類が歴史的に示した闘争の結末というか、ヘゲモニー争いのありがちな結末という普遍的な真実で、(もちろん右翼もだが)左翼も権威主義的、強権的になるというジャコバン党の法則である。

 

脱線したが、自民系の文教族は自分たちの理想とする教育を学校現場で実現するのが願いであるから、いまさら何の驚きもないが、右翼強権的に振る舞えば「気に入らない教育を展開するところはつぶしてしまえ」ということになるよね。(ついでに言えば最近は不動産からみも含めて文教権益が拡大してオリンピックや競技場や大学敷地や理事会、教授への天下りやありとあらゆる文教領域を食い物にした利権づくりが見事なまでに華々しくなっていて、郵政もびっくりですよね。)

 

今回の選挙で安倍さんの秋葉原演説会にあるように、今の「権力の形」がどういったものかかなり白日の下に明らかになった。過去の歴史から権力者は誰だって思うことがあるものらしいが、「民はいいなりになるバカの方がいい。」これが統治の思想だ。

 

だからそもそも「国民を言いなりにしたい」という統治傾向を持つ政治家ははじめから、われわれの意味での「よい教育」を行うモチベーションは全くないし、文科省お題目の「主体的に思考する」とかましてや「批判的思考:クリティカルシンキング」ができるなど本音では全く興味がない、いや憎んでいるはずである。大学が大学的な本来の教育をすることを憎むのである。だから物を言う大学人が大嫌いである。こうして文化大革命みたいなものが起きるのだから、今の日本の状況って、プチ文化大革命ですよね。

 

中国の留学生に聞いただけだから確かではないけど、中国の大学生はほとんど理系らしい、7:3か8:2か分からないけれども、そりゃ、現体制を客観視して批判する怖れのある「政治思想史」なんてやらないし、だから社会科学はいらないわけだよね。で、国家の豊かさにつながるような技術者を育てる。だから必要なのは理系。

 

今、日本で政策的にやっているのは全くこれと同じで、人文科学なんかいらないから(なぜかさらに社会科学も)、文系をつぶして、産業に役立つ工学部をもっとみたいな感じだよね。

 

要するに人文系って現状を離れた広い、自由な視点で現況を相対化してしまって、あり得るオルタナティブを構想する思考方法を鍛える営みだから、「現実の社会を維持、守りたい」と思っている人たちには全く有用性が感じられない、むしろ「おれたちの邪魔をする」思想だと、戦中的に言えば完全に「危険思想」を持つやからぐらいにしか目に映らないのだと思う。

 

だから、実は社会に役立つ。何百万人もの死者を出さないで、外交的に問題解決する方法や巧みな対話や、こちらの言い分を補強する論理を鍛える技であるから、こうした外交には論理や時に強弁という部分もあるが、「頭のいい」思考が必要だよね。これまでのアメリカは分かっていたと思う。ヨーロッパは言うまでもなく。トランプはそういう歴史から言うと突然変異と言うか時代がもたらした鬼っ子というか。

 

だから日本列島にとどまって永遠に村社会を運営していくのなら、それもありかとも言えるのですよね。好き放題する政府と、何も考えない、意見を言わない国民のとりあわせ。むしろ政争は起きずに安全、平和。みんな仲良く、言い争わず。

 

安倍さんも今回改めてすごく認識したというか認識させちゃったのではないでしょうか。いろいろ頭つかって考えて文句や意見(生産的な代案)などを持ち出してくる枝野さんや立憲支持層はじゃまである。それに対してこんなにひどいことを続けてもまだ自分を支持してくれる何も考えないバカな25%の国民たち。このバカをもっと25%以上の主流派に育て上げないと!と。大学教育なんか授けたらまずいじゃんって。(これは本当に逆に大学に対する過大評価ですよね、ほんと。大学のおかげでクリティカルシンキングができるようになった学生がどれだけいるのか。心理で1年と4年の違いを測定しましたけど、上がるけど、本当に微々たるものだよね、大したことないです、いやでも努力しますけど)

 

素人は中高でも大学でもカリキュラムにあること、先生の言うことは全部身に着くみたいに恐れて教育内容に口出しするけど、笑っちゃうほど身に着かないですよね。自分のこと忘れたか?

 

それはそれとして、だから25%とは言え、どちらかと言うとそれが日本の主流に近くて、「おれたちはバカのままがいいんだ、学習なんて大嫌いだし、教育なんてくそくらえ!」って思うのだったら、日本の大学全部廃止すれば潔くていいと思うのですよね。

「日本国」は教育の価値を認めません、教育勅語だけ尋常小学校で暗誦させて15歳にもなれば働かせますって、労働人口不足少し解消していいじゃないのねぇ。

 

でも、しないでしょ。単に欧米や先進国に恥ずかしいからじゃないの?それ以外の内発的な動機って今の政府では考えられないと思う。要するに明治日本と同じで、「先進国の真似をしたい」このさもしい、小さい(まぁ明治初期では小さくなかったかもしれないけど、今じゃ当然小さい願いだよね)願い以外に、日本国の教育体制として何がとるべきメニューやシステムなのか真剣に議論なんかなされていないように思う。結局現状ありきで。

 

でも本当に潔くないですよね。真に自分たちが願ってはいないのに、先進国並みに体裁取り繕うには「大学って必要らしいぜ」くらいに運営しているのだからそりゃ迷走しますぜ。専門学校以上の学びの機関が想像できないのだから。頭のなかのメニューにそもそもないわけだよね。それで自分らは「大学時代は授業に出ずに遊んでいた。それが人生に役立った」と今も思っているから。だからせいぜい簿記を教える、商法、会社法を教えるくらいしか思いつかないのだろう。まぁ茂木は法経系で、公共経営修士ハーバード大学ケネディ行政大学院)だから「役立つ」法学、経営学、公共政策学みたいなところは安泰かもだが・・・みんな政治学科系が「行政学、公共政策」にどんどん名前変えていったりして(笑)。

 

でも先進国としてみっともないと思うのなら、本当にみっともなくないようにしたいと思うなら(むしろ明治のまじめさで?)、その本質を見極めて、グローバル時代に伍していく、他国や多様な人々ときちんと論理的に対話できる人材はどう育つか、まじめに考えてみ と思うよね。中身もちゃんと真似して、どういった水準の教育が必要か、それはアクティブラーニング以前に、「自由にモノが言える雰囲気の社会」→だから「授業で自由に議論できる」 議論はケンカではない。反対意見を言われても怒らずに自分に役立てる。そういう誰かさんが自分自身超不得意そうな点を抜け出さないと、まともに国際舞台で対話できる人間なんかホントできないよね。

たとえば核廃絶決議だって、見たくないもの(核禁条約)にはふた、スルーみたいな日本人得意のやり方は容易には通用せず、非論理的、根拠薄弱、論理的首尾一貫性のなさに見えるだけ。国内の言い回しや官僚的文法が国際性を持たないことの例でもある。恥をかき、信用を落とし、軽蔑され、結局国益を落としていくんだよね、ホント愚か。 

 

まずは自由に意見が言えること。だから大学は自由に教育すること。多様な方針の私立大学を承認すること。多様な学問、学部を認め、奨励すること。

 

選別とは・・・・人をして唇寒しと思わせる状況をつくることです。そうした社会は沈没していく。悪ければ外から破壊されておしまい。そういうもんでしょう。それともはっきりと中国社会を目指しますか?中国のようになりたい!とか、安倍が言うと面白いよね。なんか北朝鮮みたいになりそうだけど・・・。きっとでもそういうのが好きなんだろうね。早く議会停止したい!!って。

Mailシステム

大学のメールシステム

ひやっとトラブった。

 

春学期の間か、勝手に届く大学からのいろいろな案内。

中にITセンターからのがあって、

 

10月から変わります(たしかそう)

 

とあって、これまでのGmailを用いた学内というか、大学のシステムのWebメールと称しているものが、終わるというかリニューアル。それで案内に「これまで転送かけていた人は一旦無効になるので、再設定お願いします」とあった。とうに忘れていたよ。

 

そしてそのシステムが始まらないとその設定はできないと。10月にいつの間にかそうなってて忘れてましたよね、当然。もう25日たった。

 

気づきましたよ、届いていないという恐ろしい事実に。

 

今日、事務作業ついでに、APAの来年の年会費払ったりしていて、プロフィールは確かに大学のメアド。まぁいいよねと。でカード払いして完了、確認メール届きますと。それを印字してまた大学に送らないといけない。??ん? 届かないぞ、いつまで待っても。

 

変だなと、この段階でも思い出さず、大学のWebメール直接見てみよとと開こうとしたら、目新しいものが・・なんだこりゃ、Office365、そんなものになっているのか。マイクロソフト・・嫌な感じ。

 

確かにいじっていると、わかりづら~い、変な(とこっちが感じるだけか)仕様。で、メール見ると、あ~、APAから届いているやん。下を見ると、あれ見知らぬメールが、あれ、人事課から10月13日提出?ひゃ~、みたいな。あと秘密裏のお仕事の依頼とか。

 

そうだよ、転送できてないんだよと、その時点で冷や汗が・・・。

 

転送設定。どうもやはりマイクロソフトはグーグルが嫌いなのか、個人のGmailへの転送保存が、途中でとまり3回やったが失敗。できない。

 

その時点で(自分が忘れていたにも拘わらず)、だいぶ腹立ってきて(gmailを教えている出版社がこれも締め切りをいつの間にか過ぎていたが、なぜかこの大学アドレスに督促などを送ってきていた点もある。なぜ人の言った方に連絡してこないか・・・と)、雑な「自動応答」を設定。それだけにしておいた。

 

2時間くらいたって、知らしめたほうがよいので、自動応答は少し文言を改善して残しておいたが(それでもちょっと無礼かも)、Gmailへの設定がうまく行かないので、別の捨てアドを迂回させてGmailへ。試してみたら一応うまく行く。で、APAの連絡先も変えておいて、大体見ていると、APAと10月から学科の連絡と(これまでGmailだったと思うのだが、教室幹事が代わったからか)、学内の自動配信(研究費募集のご案内やなんやかの注意、これ送るたびに自動応答来たら、担当者怒るかもなぁ)、見知らぬ人からの連絡、みたいなくらいしかないので、まぁこれで大丈夫だろうと。

 

しかし前のもそうだったが、どうして大学はこういつも使いにくいシステムを利用するのだろうか。ところで、アドレスだが、高校のMLの面倒を見てくれている慶應SFC教授に今はなっているSony製Jogダイアルの発明者が、前に「なんで職場のアドレスみんな使うんだ、(自分みたいに)よく動くけど人は一緒なんだから個人のアドレス使えばいいだろ、特に高校同窓なんてプライベート関係なんだから、名刺みたいに職場のアドレスに頼ってんじゃねーよ」みたいな発言していたときから、「それもそうだな」と思って、大学のは使わずにずっと今はGmailですべてやりとりしてますって体制になった。転送がちゃんとできてれば問題ないからねぇ。でも、APAとかやはり登録するとき、ホントに大学の人間なんですよ~、みたいな信用形成マインドでつい大学のアドレスで登録しちゃう場面ってありますよね。

 

今日はいちにちでいろいろなひやひやが・・

あせった~

部屋の予約のことです。

 

前から書いていますが、ここのアパートの部屋は3室あって、わたしがC室と呼んでいた元来の家主の主たる部屋は今日のやりとりで、red room ってらしいことが分かりました。わたしのいるところがblue で反対となり(奥)がgreen。まぁ当たり前だけど、それぞれ別にAirbnbに出しているのですよね。ところがその写真がなんかの拍子か考えを変えたのか、同じ写真なのに、blue → redに移っていたのですよね。

 

いろんなことがあるから、ここだっていいかどうか入ってみないと分からない。いるうちにNYに慣れたら同じようなシェアとかでももっと大学の近所に見つかるかもしれない。一応しょっちゅうsublet!ってアナウンスがMLに流れているし。

 

そう思って、ごく適当に最初予約したときは、12月半ばまでにしておいた。いろんなこともあったが、入れ替わる来客にも慣れたし、意外に来客は街に繰り出ていなくなる昼間とかが自由に昼食つくったり、風呂に入れる状況も把握したので、まぁこれでいいかと思うよになった。そして、少し荷物も増やしたからこれは簡単に引っ越しもできない。引っ越すレンタカー借りるだけで出費だ。だから少々安いお得なのがあっても引っ越し費用を加味して考えるとあまり得にもならない。実際マンハッタンに15分で着くこともわかったし、問題ない。

 

ということで、延長したのですよね。気に入ったからいるよ~ってことで承認を得た。実は少し前のこと。

 

それで今日、家主からメールがあって、部屋が違うと。

まー、そうだろうなとは思っていた。写真同じだけどタイトルがちょっと違っていて、仕事用デスクありと。自分のはむしろなしという表示だった。実際にはPCデスクあったけど。レッドルームはでっかい机がある。まぁどうなるか、適当になるだろうと。

 

それで家主からそのつもりなのか?と、「いいや、できれば同じところに居続けたいけど」「うん、問題ない」となったのだが、・・

しばらくして、「入れ替えないといけない、サイトであんたのいる部屋を12月に予約しちゃっている人がいる。一旦キャンセルでその人をレッドに入れ替えるから、あなたも一度キャンセルしてくれ」と。

 

最初West New Yorkで予約をかけていたとき、先方都合でキャンセルってのを一旦したらちゃんと戻ってきたし、ある意味問題なくできたので、今回もそう懸念なく、ウェブサイトに・・。

 

そっちからしないで、こっちがキャンセルするのか?と問うと、お願いします~みたいな。これまでのいろんなやりとり実績もあるから、当然大丈夫と思って(実際大丈夫だったのだが)、キャンセル、最初の1か月は抜きますってWeb上では、19万円ほど取られたまま。

 

で、そこにもこれ返ってくるよねみたいなメッセージ書いて、キャンセルしたぞ~、cancel feeがかかっているけど、と不用意にFeeって言っちゃったのがよくなかったのか、なんか誤解されて、Feeは払う・・・とか返信されて、あせったのなんの。

 

いやいや19万円とられているからそれは多すぎるでしょ、そっちの入れ替えを信じてキャンセルしたんだからっと書いて、ここにはこうしてさらさらと報告していますが、ひとつひとつのやり取りに実際はタイムラグがあるから、その間、返事来るまではらはら・・・

 

で、最終的に、「お~、誤解していたよ、もちろん月家賃は返還するよ、もう手続きした」ということでAirbnbからも19万戻りました~みたいな連絡が来て一段落。Feeもなく、全額ちゃんと戻ってきました。

 

で、写真が変わっていて見つけられなかったこのブルーの部屋用のURLを教えてもらって、もう一度予約しなおし、(これも一度横取り?先方は分からないから正当に・・・先に取られていて、家主がそれを事情が・・と断って、ほれっ今すぐ予約いれい、少し安くしておいたから!という感じでごたごたはしてましたが・・)

確かに前とったときより、少し家賃のドルが下がっているみたいだ。ところが、前よりも高い、円では。そう、円安??ですか?前より?

 

カード払いが悪いのか計算してみたら1ドル117円。そうか~、そんなにしているのか、これ、直接WellsFargoでドルで払うべきだったなぁ。今は夏の帰省後(現金を持ち帰って)WellsFargoにドルを入れちゃっているから心配ないし、ドルで引き落としの方がよかったな、考えてみればと思ったが、まぁ今回は後の祭り。日本円としては前より少しだけ支払いは高くなった(もともとは、こっちの部屋の方が高いらしいが、なぜか・・)。

 

ということで無駄に隣の部屋に「引っ越し」みたいな変な手間もかけずに済み(向かいがすぐトイレで空きのすきを見てすぐ飛び込めるから気に入っている)、問題解決やれやれ。今日の午後はそんなことであまり仕事が進まなかったよ。