zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

基本的に学習、勉強はいやなこと?

受験の季節でしたね。

大学も今、最中で、K大は8日に終わりました。

中学受験東京地区は、2月1-3日が最大の山場です。

たかがネットの記事ですが、Yahooニュースの「中学受験はなぜ盛り上がるのか?」

というのがあったので、これをちょいとした材料に我が家の状況などを紹介します。

記事では長きにわたり批判がある加熱する中学受験・・ということで主な「批判」例を5つ挙げています。番号は私が振りました。

 (2月12日(月)2018年 10:47 Yahoo!ニュースから)

 

1.小学生に無理やり受験をやらせて勉強ぎらいになる。

2.小学生が夜中まで勉強することになり、心身共に疲労する。

3.親子関係が悪くなる。

4.非常に高額な塾代、子育てにお金がかかることは少子化の大きな要因となっている。

5.社会が予測不能な変化をしており、記憶中心の受験学習に意味がなくなっている。

 

 基本これらの話は、小学校受験の「お受験」や中学受験、大学受験みんな同じで、大前提は、「誰もが勉強は嫌いなはず」「勉強は無理矢理させるもの」という概念ですね。なんかかわいそうです。

 

長々とは書きません。うちでは息子は勉強は好きでした。終わりって感じ。

これは、3と大いに関係します。

 

「世間」がおもしろいのは、お父さんがサッカー選手で、子どもにサッカーを親身にあるいは尋常でない時間をかけてトレーニングしてもなんだかそれは「美談」になり、それで息子・娘が優れたサッカー選手になったら褒め称えられます。

 

今やっているオリンピックでも親が選手とかいう話は紹介されますし、つきっきりトレーニングとかよくあるネタですね。それでしまいには「家族の熱意ある支えによってここまでこれました、ありがとう」とこれも美談らしいですね。フィギュアとかお金もすごいかかってますよね。この間もテレビ見てたら、ショートトラック伊藤亜由子さんのお父さんが浜松から名古屋に週3回だったか車で送迎してとか、そうお金持ちでないからたいへんだったとか、確かにたいへんだなぁ、すごいなぁという話をやっていました。

 

勉強にあてはまるとって前にブログで同じようにネタにしたことがありましたが・・。

 

静岡から車で週3回東京のサピックスに通わせて、帰りは夜中を回る、子どもはへとへとになり、授業中居眠りをしてしまうくらい・・・とか言えば、当然、「本来の学校の勉強で居眠りするな!そんなまでして塾通いを“強制”するな!」みたいな怒号が飛びそうです。(昔各地にまだサピがなかったころ、実際新幹線通学?で静岡から東京のサピに来ていることと言うのは毎年のようにいたようです。会ったことないですけど。)

 

お父さんがサッカー選手みたいなことと相同に考えれば、「学習することのプロで給料までもらっている」研究者、大学教授を選手にたとえれば、親が子どもに自分の得意なことを伝授するという点では、うちが息子に勉強を教えるのはこの美談と変わりないですよね。お父さんが現役のサッカーコーチなんてこともありますが、うちも私が現役ではないですが、塾教師歴14年くらいですから、受験勉強教える点でもセミプロです。それで院生時代はというか、結婚初期はそれで一家がめし食ってたわけですから。

 

サッカー得意なお父さんが息子とサッカーを通してコミュニケーションって美談になるなら、うちの受験を通したコミュニケーションも美談のはずですよね!

 

算数や数学を教えるのは超得意ですから、それを通して子どもが親をリスペクトしたり、同じ問題をはさんで解法を楽しんだりするのは、よいコミュニケーションですよね。親子の絆は強まります。

 

でも実のところ、わたし自身は「研究はまぁまぁ好き」でも「お勉強はきらい」ということはあって、まさに「丸暗記」であれば大嫌いです。だけど「考えること」なら好きです。

 

それで、5ですが、他にもよくある「今を何も知らないで自分の体験とイメージだけで教育論をぶつ大人」にもれなくよくいらっしゃるように、低級な勉強しかイメージができないようですね。有名校の入試の数学をどうぞ「暗記」で解いてみてくださいって感じですね。中学と大学を混ぜて論じるのはよくないのですが、この話は大学の入試改革でも同様なので(暗記によるセンター入試という言説、多肢選択の批判とか)混ぜちゃいますが、センター試験も「暗記」で9割なんかとれません。とりわけぜひ東大の社会、日本史とか世界史、一度解かなくていいから眺めてほしいですね。

たとえば2012年の世界史の一番はこんな感じ。(引用、東大入試問題世界史 2012)

(第1問

 ヨーロッパ列強により植民地化されたアジア・アフリカの諸地域では、20世紀にはいると民族主義(国民主義)の運動が高まり、第一次世界大戦後、ついで第二次世界大戦後に、その多くが独立を達成する。しかしその後も旧宗主国(旧植民地本国)への経済的従属や、同化政策のもたらした旧宗主国との文化的結びつき、また旧植民地からの移民増加による旧宗主国内の社会問題など、植民地主義の遺産は、現在まで長い影を落としている。植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。

 以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。解答は解答欄(イ)に18行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

 カシミール紛争  ディエンビエンフー  スエズ運河国有化 アルジェリア戦争  ワフド党  ドイモイ  非暴力・不服従  宗教的標章法(注)

 

暗記をしていても「差異を考えたこと」はないかもしれない。場合によってはこの場で各国の方針、ふるまいの差異となりそうなことを思い起こし、答案を構成せねばならない。この「差異を問う」は翌年の2013年入試でも1番で行われています。

 歴史は暗記(だけ)だ!!という言説は、現実の歴史研究やその目指すものを全く理解、頓着せず、(自分がばかで)「暗記するしかできなかった」「暗記以外の勉強をしなかった」体たらくを告白しているだけのことであって、普遍的に「歴史は暗記科目」と言えるわけでもなく、教え方、授業のなかでの思考のさせ方によってどうにでもなるわけです。

 

しかし、小学校では多数の科目をやり、あるいは中学高校でさえも「教師に実力がなく」教師自身が「暗記によって社会の試験の得点が高かった」「暗記大好きさん」であれば、自分自身が「歴史の流れと思考」を主体にした授業なんかできないでしょうし、また指導要領命の日本の教育方法においては、どんどん暗記させて進まないと「範囲が終わらないよ~」ってなことになりそうです。

 

その点、公立よりも自由に教育できる私立の方が楽しく授業も学習もできそうです。

わたしらは高1のときはあまり教えてもらわずに、ゼミ発表みたいに全員が回り持ちして、自分らで調べ、その範囲を皆に説明するという日本史の授業があり、わたしは「平安の貴族政治」を担当して「藤原氏の盛衰」などをやりましたが、十分理解しておらず、また人の説明(授業)を聞いていてもはしょりすぎていて何言っているか分からず、結局あとで参考書で自習する羽目になりましたw。が、いくぶんの主体性は培われ、「藤原氏の歴史上の登場」という結構今に続く日本史としてものすごくインパクトがあり、本当に今に続く、日本社会の「かたち」をつくったという点で摂関政治はすごい発明で面白いものと私に思わせてくれています。ありがとうです。

 

さて、そんなことで勉強に「考える」要素を取り入れると結構楽しいもので、「なぜ?」ということになりますから、「なぜ?」を構成して、その解答を自分なりに探っていく(完全な解答ってのは考えようがないものだなぁと気づいてもいく、100%にならなくても努力してよりよい状態に近づけていくことが大切という研究に通じるマインドはこうして醸成されていくかも)(素人ほど100%正解の答えをほしがる)。これは面白い道のりですよね?

 

でもわたしは受験は必要ないと思って、小受はずっと、中受も最初はかなり反対していたのですが、妻に押し切られました。反対していても教えることはやむなく続けていたので、コミュニケーション、やりとりは、スポーツも他もあらゆることをしていましたが(普通にキャッチボールとかサッカーとか、スキーとか、うちではよく旅行とか、あらゆるお出かけとか)小5,小6では勉強教えている時間も長くなったわけですね。

でも、夜中までなんかしないですし、近所のサピに行ってましたからさして帰りも遅くなく、早寝していました。

 

問題は費用ですよね。費用はやはり圧迫です。前に別に書いた「物量の知育ですか」うちは学習に金の糸目をつけなかったので、これも妻とケンカしましたがそういう決着です。全部妻に負けてます。全敗です。妻は今「どうせ負けるのが分かっているのだから、文句言ったり、反対しなきゃいいのに」と言いますが、意見、考えの方向が合わないのは昔からです。む~。

 

だから勉強嫌いで勉強がいやな子に無理矢理塾通いや深夜までの勉強を強くという虐待まがいのことはわたしも反対ですよ。わたしも自分のこがつくまで行く才能あるとは思っていなかったので、そんなこと最後は無理強いになるだろうと思ったから反対したのです。受かっちまいましたが。

 

ということで、まじめに論じれば、なぜ世間ではスポーツや音楽とか他の才能、特技はほめるのに「勉強の才能」だけdisるのか。それはその才能が最も普遍的に安定した収入と社会的地位に結びつき、下手すると「全員」がやむなく参加せざるを得ない才能アイテムだからですよね。だから妬みも恨みも大きくなる。

 他の方向で大成して報道されるほどに「有名」になった方達はある意味うまい具合にそうした「勉強競争」から離脱して成功した者たちだから、勉強をDisりたい人にとっては英雄であり、それを押し立てて、へんなクイズ番組や東大生いじり番組で、東大生の苦手なことをわざとやらせて嘲笑するといったところでの対立項スターになり得るわけですね。勉強才能への非常に歪んだ社会的評価があるわけです。

彼らが行政や国の仕事をする際に、敵意を向けてdisる人たちのためになるように親身に考えられますかね。disっといて親身にだけしてほしいですか、国民の下僕として?

そりゃあ虫がいいでしょ。いやな思い、20年、30年してきた者が復讐心に燃えて、庶民から搾取するような政策を推進してもシャーデンフロイデではないでしょうか。

 

遇するように遇される、そういったことを受験期の報道からは思う次第です。

わたしがリベラルに傾いたのはたまたま「教える才能をほめられる環境にいて」受験でやってきたことがあまりdisられなかった20代のおかげかもですね。

 

最後に述べれば、でも「暗記」は大事です。データベースなしに思考は回転しませんから。ばかが「思考」だけすると、ツイッターのひどい記事が湧くだけなことがすでに実証されました。基本事項は全部頭に入れましょう。「必要な時に参照」・・だめです。「必要な時」さえ事項が入っていないと「それが必要」と気づきませんから。

大食堂

消耗品買いに大学生協来た。いつも混んでて騒がしいから利用しない生協大食堂。

今日はまだ入試期間なのでというか、もう春休みなので空いてる。


鳥たまどん。

f:id:zatsu_ten6:20180208113802j:plain

いつの間にか「惣菜バー」ができてたので、ちょっととってみた。グラム売り。でも冷えてたのでめしに埋め込んだ。まあレンジも置いてあるけど。

唐揚げの質がいまいちやったー。

2学舎食堂の方がうまい。

めし

幸い母親は怪我入院以前の状態に戻った。要支援も上がって下がった。

親はものすごく昔堅気なので、どうしても自分で料理を作りたがる。こちらは心配、懸念もあって、関西来て、14日とか12日とか東京の非常勤もないし、昨年度までのふだんより長期滞在している。

しかし、この間親にずっと晩ごはんを作らせると負担でさすがに疲れも出てくるから、敢えて中日あたりに泊まりに出たり、三日に一度は会食とか外で食べて帰ることにしている。

本当に会食ならよいが、そうも都合よく行かないので、適当にひとりで食べてる。多いのはジャンクなもので、松屋の牛丼、南方や大学商店街のラーメンとか王将。

もっと好きなものに徹底するために時にはスーパーで食べたい惣菜だけ食べる。

今津のライフストアにはイートインスペースがあるので、ええおっさんがひとりで食べてると侘しいがあまりひとめを気にするタイプでないので、平然と鯵フライとか、天ぷらものとか、ふだん家で作るには面倒すぎて作らないようなものを食べる。

今日は寿司パック食べた。

酒を飲む人は、ここで当然ひとりで飲み屋に入るが私の人生にそういう選択肢はない。飲まない人間にとって夜は厄介だ。ビンボーでもあるから、いつも素晴らしいフレンチや和食をいただくこともないし、そもそもそれほどそういうのを食べたい個人的欲求がないので(人となら入るモチベーションが出る)、ジャンクで十分というか、気楽な食べなれてるものが食べたくなる。

ということでわりに夏場はスーパーで食べているが、やはり今日は寒いぞ。冬場は向いていないな。

ということなので、ましなもの食べたいときは、いろいろな人を呼び出して食べるが、土曜日とかも高校の同級生と芦屋で食事する。院生と食べることもあるがいつもいつもとはいかない。ty大は必要もなく、やたらいつもいつもであったがw。

ということで、敢えて時間を潰して、そろそろ帰るか。

親はひとりなら昨日のシチューの残りとかまぐろの煮こごりとか簡単にテキトーに済ますようだから何よりだ。まぁ配達さえあればもうかなり大丈夫みたいだ。春からは月いちで関西に通うことにする。

2月

もうすぐ2月だ。早いものだ。

 

11月の母親の骨折、入院からVisaのアクシデントから、もろもろいっきに仕事が押し寄せた11月から12月、もう何をしていたかも思い出せないくらい、学んだこともふっとんだくらい雑務の方が増えて、一部は自業自得だが、意外に帰国する手続きもその後の手続きも面倒なものだった。

 

それで2月後半にまたまたニューヨークに戻るが、一旦帰国しているからこうなるとこれはほぼ自腹になるのだ。往復のフライトはいいけど、宿泊費が出ないから、自腹だ。後半滞在するAirbnbは決めた。最後だし、でも意外に安かったからニュージャージーと同じほどの値段でマンハッタン内にとれた。ただ、地下鉄の駅まですぐではなく、10分くらい歩く。道が凍ってなければよいが。決定するまで番地が開示されないから評判のなかで「駅まですぐ」ってのを信じてクリックしたのだ。最寄りでも8分、こちらの必要な駅だと11分くらいしそうだ。

 

それで今日は、2月中にフライト代の領収書(カード請求の明細書)出ないと困るから、フライトの予約をした。SPSPに出るから、成田→NY→アトランタ→成田 というわけだ。15泊ということになるか。半月だ。なんか完全に英語から遠ざかってしまっているから大丈夫だろうか? テレビとかでも全く英語を聞いていない。仕方ない。

 

NYで何をするというよりも、締め切りが過ぎる辞典項目を書かねばならない。Visa的な手続き、今後も問題なくUSAに出入りすることを保証するための振る舞いなので、NYUでないといけないってことも本当はないのだ、いやNYUの国際部から書類はもらって来ないといけないし、それが一番の用件ではあるのだけれども。先方の日本人留学院生と研究の打合せは何度かしたりするが、研究用件的にはそれが一番必要なことだ。

 

マンハッタンは2週間しかいないから、どの程度のものをまた抱えていくかは考え中であまりトランクに詰め込んでもアホみたいなので、なくてもなんとかなるものは極力省きたい。缶切りなんか迷うところだ、小さいけど。プルタブ方式のだけ注意して買えば、ツナ缶もスープ缶もトマト缶も買えないことはない。

 

モチベーションがいまいち上がらないから部分的にでも一緒に行ってくれる人を探したが全くだめだ。そんな暇な人はこの超繁忙期の2月にはいない。でも2週間ほどまた自由な1人の生活するのも楽しみではある。それが一生の最後の自由かもしれないけど。

人間観が拙い

教育現場のさまざまな問題は多くあるし、問題だけが目立ち、もちろん問題ないところはたくさんあると思う。けれども一旦問題が出ると、教師、役職者、教育委員会そろってどうしようもない。隠蔽についてはインセンティブ構造で解決ができるかもしれないが、唖然とするのは担当者の人間観がそもそも貧しいことだ。

 

これは先の日記とあわせて言えば、ひどい言い方すれば、

 

バカな教育系大学教授→悪影響を被るバカな教師志望者

 これが多数派を握るバカな教育現場、互いにばかげた影響を相互に与え合う。

 

もちろん教員はいろんなどこの学部学科からも発生するからもちろん「人間教育」なんて行き届くはずもないところから教師は湧いてでる。でも数学科から数学教師とかある理学部の専門学科から理科教師とか、そういうのも必要に思うから、難しい。

 

それに大学で「教育」「授業」したからって「そのように育つ」ものでもない。

 

難しい。

 

だけど、底上げしない限りは絶対悪くなりこそすれ、よくはならないので、諦めずに底上げするに限る。

 

だから、教育学部などの教員は、その教授、大学教員採用時によほど気をつけるべきだ。楽観的な「学校好き」優等生なんていらないから、(ひとりふたりならいてもいいけど)、ちゃんと人間観のできているもの、多様性の分かるものに、日頃から雑談でもつぶやきでも何でもいいからその雰囲気を伝えてほしいものだ。

 

社会の人間観をましなものにしていくには、たとえ効果薄くても教育現場や少なくとも教育に関わる大学教員あたりの粘り強い働きかけや世間に発信する主張あたりからでないと届いていかないと思う。

 

もともと教育系に教師志望者として来る学生なんて、すごくバイアスかかっていて、むしろステレオタイプも思い込みも普通より強いと思って接した方がいい。その思い込みをぶっこわすことなく、現場に入られたらたまらないのだ。

 

職権構造からの解析

社会的・状況的要因を重視する社会心理学の観点からは、たとえばある政治状況がよろしくないと感じているとき、それを担う個人や政治家のひとびとの個人的思想傾向や人柄(うそつきとか)に帰属する批判も起こりがちであるが、「それ以外」の要因にも目を向けてみることも有益であろう。

 

たとえば、日本では自民党内の主流の変遷や思想傾向の変化が見られるのだとしたら、それが利権構造とどう連動しているか考えてみる。

 

話を見えやすくするためにあえて簡単な「例題」として、思い切り単純化して描いてみれば、仮に「昔」は自民党員はもっとリベラルであったが、今右に振れているというのが本当に事実だったすれば・・・。

 

かつての利権構造では、開発の誘致や大型公共工事プロジェクトによってキャッシュバックや裏金の賄賂で潤っていたとする。前提に「政治家になりたがる人は権力好き」ということを措定してみると、「権力ピラミッドの上に行きたがる」という命題が演繹される。上に行くには通常金がいる。金の出所は主にふたつで、「元々資産家である。資産家の家系である」か「自分で稼ぐ」ということになる。

 

この後者の「自分で稼ぐ」派は、権力を得るためにどんどん新たな金が必要となるから、賄賂的利権に結びつく。それで一昔前の日本ではときどきこういうのは立件されてつかまるが、その背後にはつかまらなかった水面下の氷みたいなのがドンとあって、要するに社会全体でこうしたことに甘い傾向があったから、それでいけてたのだろう。

だから建設族などの建築利権は、内需拡大をうたっていて産業振興していればいいわけだから(新たな工場用地取得や工場建設なども含む)、旧大蔵省と建設省運輸省あたりががんばっていればいいという非常に内向きの視線で問題なかった。

 

これらの内需は平時の需要だから「明日戦争になる」ときに家を建てるやつも設備投資するやつもいないわけだから、穏便に平和を追求した方がいい。これらが旧田中派経世会)や旧大平派(宏池会)系の保守本流のあり方で、平和の追求と穏便な中道的語りでよかったわけだ。

 

しかし、バブルで最高の土地、建設利得を得たあと、それは逆に不良債権となり、この不況を経て内需が縮小したあとには、もうけ口は限られるようになった。もともと大きな土地が開発されまくってきたわけだから、こうなると残っている大きなものは国有地払い下げ、用途の変更(まさに長州藩下屋敷だった防衛庁の跡地がミッドタウンとして開発されるように)であり、そうしたなか森友問題みたいに払い下げ利権などが起こるわけだ。動かせる土地が限られるもんだから、最近は文科省を通して、巨大な「大学用地」を動かすような話があり、うまくいかないと文科省以外の「特区」みたいなので土地取得を容易にしたり、あるいは省庁天下りで大学理事となる人が大学の土地転がしをしたり、大学用地の切り売りをしたりして儲けるのだ。

 

しかし、これは所詮旧モデルであり、限界がある。同様に電波利権や送電線利権みたいなものも突き上げが激しく、だんだん安泰とはいえなくなってくる。

 

そうしたとき、アメリカが典型的にやっているような戦争利権みたいなものがあり、軍需産業で稼ぐということ。この場合は従来とは異なり、「平和ではいけない」ので、敢えて「平和が脅かされる」ことをプロパガンダする必要がある。人々に不安の脅威を受け付けることによって高額の武器、設備購入が受け入れられやすくなる。安全が脅かされたら何もかも仕方ないのでと、特別予算も振り向けやすいのだ。仮にここに他国の資金などが流れいるとしたら利権もでかくなる。

 

どこの資金かはわからないが、そうした資金の蓄積が○○会議みたいなところを経てばらまかれると、右寄りの発言をした方が「儲かる」という利権構造が成立する。昔はそんな発言では全く儲からず、却って攻撃を受けていたのが、逆に利権構造となるのだ。

 

そう考えれば、政治家が右寄りになるのは個人的思想がどうとかいうよりも、利権のある場所、金の来る場所に惹きつけられて、「望まれる発言・行動」をとるようになっていくという発展プロセスが仮説として考えられるわけで、検証するならそうしたことをデータから検証すればいいのだと思う。裏金の流れをデータ化することが困難だからデータ分析による研究はついつい表の顔の分析しかできなくなる。現実に「見える」(「ある」ではない)ものしか分析できないのが、データによる現状分析だから、わたしのように見えないものの方がずっと好きというたちでは、現在のデータがそれほど興味をひかない。しかしあるいは、だんだん予測がすごくなっていくだろうから、現状からはじき出した将来予測みたいなところから面白いことを考えられるかもしれないが、それも裏金とか見えない変数なしでの予測だから、どうだろうかなぁとは思う。

 

だから自民内でいまどき中道っぽいこと言っていても受けないし、なんの得にもならないし・・・という風に時代が変わってきたのかもしれない。

 

そもそも「政治家になりたい人」は「何かを変えたい」モチベーションの高い人もいるかもしれない(単に大もうけしていばりたいだけでなく)、自民は従来変えるのではなく「維持する」政党だったわけだから、それなのに「変えたい」病の人がおおぜい自民に来たら、現状を変革、維新みたいに右巻き転回というのもひとつの解だ。これは個人差要因と状況との交互作用だが、そういったこともあるのかもしれない。

 

以上。

 

 

どういう社会を構想するか

続きを書いていたらテキストがふっとんだ。いっぱい書いたのが全部飛んだ。気分が大いに落ちて二度と書く気にならなかったが中途半端になっちゃうのでなんとか書く。パソコン調子悪いから今も変換がしばらく時間待ちみたいにスムースに画面に字も出ない。書けるか・・・。

 

前の記事もあるから何を書いて何が書いていなくて飛んだのかもう分からなくなった。

まず複線化だ。戦後、高専などもあるが、およそ学制のシステムが単線化して、商業科、工業科等々もつくったが、結局、普通科が基本でそれらは普通科より下位にあるもののごとく扱われるようになってしまった。

 

本来、進路を決めていく時期はひとによっていろいろで、またそれ自体人の選択の自由となるわけだが、そうした自由を保障する意味でも、多様なルートが社会のなかにあることが大事だ。同窓会で工学系の人と話していてもの作り現場でのモラル低下とか言っていて、そうしたかつての匠の精神とかやはり意識して維持できる仕組みを用意しないと放って置いて保たれるものではない。細かなところを行き届かすというのは生産効率は悪いので、完全に資本主義原理でやっていくと淘汰されかねないのだ。もちろんその付加価値が正当に評価されればだが、本当に労力に見合ったプラスアルファの値が十分つくのかどうかが重要だ。そうすると、今の段階ではある程度の補助とか、育成の補助とかそういった対応が必要となる。なによりもさまざまな仕事での相互リスペクトが大事だ。適切な賞賛を互いに与えるような形をとらないとやる気も減じるってもんだ。

 

 

一方、世界基準では、多くの場合、学士は最低必要という観点があれば、学士を出す教育機関はそう減らす必要はないかもしれないが、ある程度私学の整理、統合、淘汰はやむを得ないだろう。それよりも重要なのは地方国立などはもっと生かし、というか国立大学としての扱いを復活させて、建物、備品周り基本的なところにきちんと税金投入しないといけない。

 

前に書いたと思うが、学会正会員の研究者の給与は税金からの払いである程度高額のインセンティブを保ち、継続的な業績のチャックもある程度すると。こうするとたいへんな税の投入になるかもしれないと思うだろうが、社会ビジョンとしてだからこれだけ考えるのは無理なのだ。

 

わたしはもっと大きな政府を構想しているので、まず、行政の透明性と第3者チェック、チェック機関の給与、報償の確保という前提の下で、もっと行政への信頼を増加させた上で、より高額の税金により、富の再分配を考える。だから大学教員だけでなく、小中高教員の給与、また保育士、幼稚園教諭、介護士等々の公的な社会に必要な役割を持つ仕事に税金を投入する。もっと賃上げするということだ。

 

 

もともとこれらの人を育てる、健康を維持するなどの仕事は、資本主義的観点から見れば利益率の悪いもの(長期に見れば見合うけれども)だから、公的機関から給与を出す。スウェーデンだって女性の就業率が高い背景に女性の公務員率が高いという構造がある。日本は人口あたりの公務員人数の少ない国で、要するに行政サービス含めて、「人的サービス」に金を払うのが嫌いな国民性だ。相談など、弁護士やカウンセラーに金を払う時とか、マスコミが研究者にインタビューして金を払わないなど、「物の購入」でない見えない人的労力、専門知の提供や利用について「金を払う意識」が薄い。まずそこからのマインドを意識して変えていくしかけも必要だ。

 

そうした人によるサービスを労働者ががんばって密度高く働けば安い金でたくさんのサービスが手に入るという卑しい根性をあらためて労働に対して正当な対価を出すのが当然の社会にしていく。

 

こうした全体的な社会ビジョンのなかで、研究者も国民に支えられているわけだから質保証しつつ税金を使うってわけだ。

 

AIやロボットの発展で長期的に見て、労働人口、人数は少なくて済むわけだから、そういう社会を迎えるにあたっての準備として、労働の集約や効率化は政府も関与する方向にシフトしないといけない。なぜなら完全民間だと、AIやロボット導入は大企業、投資的に金を集めた経営者、金のあるところから先に進み、その個の企業の財産としてAIを使い、大量に労働者を整理、解雇して、その経営人だけが効率的に得られた富を享受するという結果になってしまうのだ。つまりAIの導入は富める者をさらに富ませるだけである。

 

だから、AIの導入には政府補助金を用いて、大々的に政府が関与することで私企業の持ち物という性質を減じ、「社会的に行った政策だから公的な責任がある」というなかで、ベーシックインカムの導入とか、効率化によって転職を強いられたり失業したりする者のセイフティネットや再教育に予算をあてていく必要がある。国全体としては効率的に同様の生産が可能で、その利益をやはりおおざっぱには国民全体で分け合うということだ。

 

完全な社会主義なんかじゃないから、もらうものが平等で皆同じとは決してしないが、だからベーシックインカムにプラスして少しのアルバイトで低燃料で燃費のいい生活をしたい志向性の人は、それほどがつがつ働かなくてもそれも自由ということだ。

 

多様性承認は大事で、人の生き方をいちいちうらやんだり、非難したりせずに、どうやっていけるかは社会心理学的課題かもしれないが、努力すれば新たな技能がほぼ無料で身につくようにして、転職がしていける再復活可能な社会、すべり台社会とは逆の社会にし、そういう点でも大学も人々の再教育機関としての役割を果たし、今のように18歳ばかり入学するのではなく、人生のいろんな時期に学びを得るために来ることが保証される必要がある。

だから教育は無料化、あるいは低額の支払いで享受できるように保証し、しかし、今の悪い案みたいに変なことを大学や教育機関に押しつけるのではなく、給与や補助金を出すということだ。

 

こうしたことは高い税と言っても人口減る中で無理で不経済と思うかもしれないが、格差の大きい社会となって、不安定化していくリスクを考えると損はないと思う。心理的安定の上に生産性の高さがついてくると考えられるし、格差によってスラムや犯罪の増加などある方が社会リスクである。なにより社会に安心がないところでは、人心は殺伐としがちだ。

 

所得税はもちろん累進課税でとるし、それなりの法人税をとる。タックスヘブン対策はひとつの案として荒療治で人権上難しいが、そうした確信犯の企業の従業員の公的サービスを受ける資格の停止(猶予期間あり、転職、再就職で問題なし)とかいろいろ措置の仕方はあるが、大きな政府方針でやれば公的サービスなしで生き延びるのはかなり辛いはず。自腹の医療とか保険とか。この日本の地で生きていきたい限り、モラルのない会社では働かない、損になるから働けないとすれば、自動的にそうした企業は純粋に「外国企業」とならざるを得ない、それでいいでしょう。儲かっている企業を惜しがらず、新たなものを立ち上げる前向きでいきましょう。雇う日本人が0人で人を雇えなければなんなりかの対処を考えざるを得ない。

 

たぶん将来も幸か不幸か自動翻訳やウェアラブルな装置が増えれば、自分で英語をしゃべることが苦手な日本人はまだまだ多いだろうから、悪い企業の従業員のままで日本で公的サービス停止だから他の国に移住しますわ、って人々は少数で済むと想像される。

 

企業モラルに対しても法的な対応で信賞必罰的にシステムを用意すれば、要するに「不正したらめっちゃ損」というインセンティブ構造で不正予防、減少を目指す。

 

間接税だってかなりどこでも費目によって違うのは当たり前で、日本だけそれできませんってそんなおバカな国民でもないだろうから、ちゃんと食料品、必需品無課税で、それ以外から消費税課す形で運営すりゃあいい。

 

所得税の累進制が高くていやな金持ちはどうぞ日本を出て行ってくださいと思う。薄汚い精神しか持っていない者は結局社会のモラルを荒らすだけなので、そういう人はいらないと思う。

 

どうでしょうか? フランス革命のように強権的でなく、社会主義ほど平等で強権的でなく、ヨーロッパ的な社会民主主義をより大きく日本に導入していく社会づくりのプランですけど、そうした全体の構図のなかで、研究者を社会のなかにどう位置づけるかを考えているつもりで、だからある程度これは漸進的にしか進まないと思うけど、もしかして50年後には当たり前にそういった社会になっているかもしれない。

 

少なくても、格差により低位にいる人、貧乏な人をあざ笑ったり、差別したり、攻撃したりしてうさを晴らすのは、一種の「暴力的な対処」なのだから本当にピンカーが言うように長い年月にわたって、人類が非暴力的な方向へと文化、社会を構築してきているのだったら、

そういった暴力も、今のわたしたちが江戸時代の切り捨てごめんみたいなものをあり得ないと思う程度に、野蛮で原始人のような「信じられない」状態だったんだねぇと未来の人たちに思われ、そうした原始的な暴力が景を潜め(0にはならないけど)、簡単に低位の者をdisらない社会程度にはなっていくのではないかと祈るものです。