zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

【仕事の】なんだかなぁ【仕方】

書かなくてはならない辞典の仕事を持ってきちゃっているわけだが、なかなか進んでいなかった。時差ボケでボーとするとかもあるが、まともな机がない。ナイトランプを置く台を机にしようかと思ったが、結局食べ物類やカップなどが占拠している。グラスやカップなどは床に置く気がしないから仕方ない。やはりきちんと作業机のある物件を調べて入るべきと思い知った。

 

このAirbnbは4室(リビングの衝立裏は「部屋」とは言えないがとりあえず)あるが、Webで見てみると、すけすけのガラスのロフトとなりは一日$50でさらに安く、この小屋裏の真下の唯一まっとうな一室は一日$100だ。そのまっとうな$100のところにカギを渡してくれた長期滞在者とおぼしきジョージ君がいる。

 

ニュージャージーにいたときとは逆にここではジョージ君が牢名主の古株みたいな感じだ。確かに彼は1階でもあるし、すぐドアの前がトイレ、キッチンであるからかなり自由に行き来して使っている。レンジも4回連続で何かあたためをやっていて、わたしもそこまでではないが、NJではチキンフィレ→ごはん とか、チーズナッチョ→ハンバーグとか連続でレンジを使用したり、のんびりパスタを茹でたりしていた。湯はレンジでなく、やかんがあったからいつも沸かしたりしていた。

 

ジョージ君はわりに昼間も滞在していて、ちょっと買い物して戻って来たりで、まさにNJのときに私がやっていた感じと同様だ。

 

こちらはいちいち2階から降りないといけないから、下の様子がよくわからないこともあり、ときどきレンジで湯をわかすだけするが、まだ調理するほどキッチンを使っていない。

 

さて、ジョージ君が1時半くらいに出かけたあと、1階にある食卓テーブルにパソコンをおろし、そこで辞典項目を書き始めた。反射的にすぐやり始めた。書ける!!

4項目くらいさらさらと書いた。こういうがら空きの机、テーブルトップがあると途端に仕事ができるのだ。あまりのことに一体どうしたもんかと・・・。昔よりこの症状はひどくなっているな。

 

前からサテンやコメダ、ジョナサンやサイゼリア、時には自宅のなかでさえ、普段あまり使わない部屋に新たな文机とかを2つ置いて執筆していた時代もあった。普段使いの机はすぐに乱雑になるからあまり使えないのだ。それでも自宅の机が一番デカイので、散らかしても少しどけるとスペースくらい作れるので帰国時には無理にPC置いて書いてはいた。

 

大昔はまだそれほどには散らかさなかったのか、研究室が朝霞時代はまっとうにそこで仕事していた。心研、教心研、実社心研3つに連続して書いていたサンタバーバラ帰りのまともな頃だ。ただし、この頃は車で来ていたので、家庭、子どもの状態が許せる機会には夜中2時くらいまで大学で仕事していて、真夜中に車で帰宅するなんてことをしていたのもある。なにしろ、新学科設立というか再編でその再編委員と学科主任を3年間連続で勤めていたひどい時代だったけれど、文科省宛の書類を書きつつ、それでも論文書いていたわけだ。

 

大学での深夜業務ができなくなり、それから家でも夜型なのに深夜仕事ができなく、しなくなって久しいが、それは家でのエネルギーが仕事より子どもを教える方に使っていて、それで疲れて時間を合わせて一緒に寝ちゃっていたからなのだろうな。2005年に朝霞を引き上げになって以来、そういえば、本の執筆などまとめてやりたいときは八王子のホテルに自己缶詰して書いていたり、泊まりを使うようになり、やはり家とは異なる別室で作業を行うクセが強化されていったような気がする。

 

幸い、NYUの机には自分の私物を置いていないから、せいぜいそこも利用して書くことにしよう。Think Coffeeで書くのも好きだけど。

 

これほど環境・状況に容易に動かされやすいたちだとは・・。

 

文京区ではカフェ・ド・クリエを使うか・・・。

目の前のココスは学生が多すぎるし、不忍通りグラッチェはつぶれて、デニーズは気に入らないから使わないしなぁ。

 

アクシデント

昨日はBB(ブラウンバッグトーク)だった。

ジョストゼミのサラの発表が予定されていた。「男らしさ」Manhoodの問題。男性性へのこだわり、要請と政治態度(保守性)との関係。

だが、一人目の発表の途中で警報が!

 

 

写真手前右側がジョンゼミの一部の面々。警報は鳴りやまず、みんな仕方なしに建物から退去。サイコロジー棟の向かいの歩道に。

すると、消防車2台がやってきた太いホース抱えた消防士が建物のなかに・・・。火は見えないからボヤかな・・・。と思ったら、なんと訓練だったようです! しかしちゃんと消防車が来る! みんな551からそのまま出てきたので、コートもなし(この日はでも気温18度。寒くない)、荷物もない。戻れるまでここで待っているしかない。どれくらいで終わるかのアナウンスはない。(近くにスタバやThinkCoffeeはあるけど)

 

わたしは10日間だけなので、あえて新たなに部屋のカギをもらわなかったので、荷物全部抱えたまま動いていて、幸いそのままで出て来れた。トーク前に誰もゼミのラボにいなかったので荷物を置けなかったのだ。1時半を過ぎちゃったのでわたしは時差ボケでめっちゃ眠くなり、疲れてもう帰りましたよ。

 

ちなみに翌日、やはりラボのカギはもらいました。待ち作業時間とかあるし、木曜もトーク、金曜もリサミとかあるので。

新たな住まい(Airbnb)

18日にNYにまた来た。10日ほどいて、アトランタに行く。

またAirbnbだ。一度くらいマンハッタンに居てみたいと思い、探した。意外にこの辺、安い値段であるのだ。シェアだもんね。NYUのMLでも短期のサブレットが出ていたりする。

これは一日6500円だ。マンハッタン内ではまぁ安い。

 

しかし、入って驚いたことに二階があった。階段の上がわたしの部屋と案内してくれた長期滞在風のジョージ君が案内してくれた。

最上階の6階なので、上のロフトというか小屋裏があるのだ。まぁでもロフトというには日本でのイメージよりもしっかりした階段ついているし、上の空間の利用だ。しかし、上の部分にドアをつけてさらに2室にわっている。

 

母屋下がりしているので頭をぶつける。で上のような写真に。壁も天井も同じ真っ白なので、危険が目に入りにくく頭をぶつける。だから色のはっきりした目立つものを貼りつけておいたらぶつけないだろうと。知覚的なアフォーダンスの利用である。カイロの袋が赤いのでそれを貼りつけておいたが面積が小さく、もうひとつ大きく行きたい。ここで、カレンダーの前の月のとかあればちょうど好都合なのだが、到着したばかりで何もない。そこで、一番ボロイ?パンツを天井に張り付けたw。色がしっかりあるからしかもちょっとぶら下がったような状態で(セロテープで止めている。セロテープは持ってきた)なかなかよい。見苦しいが、これで頭はぶつけなくなったよ。

 

しかし食料品の値段が高い。NYCとNJで全然違う。

 

昨日は、前の住居近くにバスで行って、買い物して帰ってこようかと思ったが、ちょっと疲れてやめた。アジアンスーパーで適当にカップ麺とか缶詰とか当座のを買った。高い。でも、バス$3、戻りPATH $2.75 (ライトレールは一枚残っている)かかることを思えばまぁいいかと。でも25セントで買えるカップ麺が$1.99だったから3個買っただけで$5以上よぶんにかかっている。侮れない。

 

コインランドリーもないことが分かったので、木曜か金曜に洗濯ものリュックに入れてNJのスーパー隣のランドリー行って、それで買い物してついでに横の中華屋でテイクアウトでもしてくるつもり。

 

火曜日BB、水曜日科研打ち合わせ、木曜トーク、金曜清水さんと情報交換・・結局毎日出掛けることに・・・。辞書は進むかなぁ・・。まだ時差ボケで調子が出ない。

塾文化

自分の体験でものを言うととっくに古びているかもしれない。

 

だからそういう怖れも抱きつつ、塾に集まることを考えてみる。

近畿、首都圏以外の経験を持たないので、そうした都市部しか分からない。

 

そこで言えることは、一般に小学校は多種多様の集まり→塾に行くことで同類を発見。

 

こういうことだ。だからもちろん両方あっていい。

 

成績がよいものもそうでないものも、学校のクラスではいろいろである。また地域柄特色のある学区域もあるかもしれない。塾ではそれと異なる新たな人間関係が発生する。場合によっては学校のクラス以上に仲良くなり、わかり合える友だちを見つけることもある。少なくともその「出発点」にもなり得る。

 なぜなら、同じ塾に通っていて、さらに同じ中学に進学すると同志感覚がさらに増えるからだ。

 

それほどでなくても、「弱いつながり」を構成する利点から言えば、多種の弱いつながりは有効で、学校だけだと場合によってはイジメとか行き詰まることとか、担任教師と合わないとかあるが、塾では異なる経験ができて、「自分はクラス以外での生き方を持ち得るのだ」という気持ちを抱くことが可能だ。まじめにこれは自殺防止にもなる。

 

クラスで評価されない子が塾でほめられたり(いわゆる「下のクラス」でもちょっとしたことで塾教師は成果をほめることがある。人間的に必要なだけでなくて、経営的にも求められているからだ。塾を好きになってもらわないと、子どもにやめられると経営が困る。学校と違って塾はいつでもわりに簡単に辞められる)、自分と趣味やレベルが合う子を見つけて友だちになったり。

 

おとなでも実世界で趣味の合う人間をなかなか見つけられないけれど、ネットならということはいくらでもあるだろう。小学生ではネットを自由にという環境にない子もいるから、塾というオルタナティブ・ワールドで探索の機会が増えるのだ。

 

また、いわゆる「できる子」にとっても、小学校の勉強は簡単すぎて、またでき過ぎることが学校のクラスでは「浮く」ことにつながるのが、同じくらいのレベルの子が集まる塾に行けば同志が見つかる。趣味や関心も頭の回りやすい子的な関心の向け方やその論評、スタンスをわかり合えるというか「コミュニケーション可能」ということもあり、とっても嬉しいし、楽しいのだ。

 

塾の休み時間や行き帰り、たぶんしばしば学校のクラス内よりもいきいきと楽しそうにしているやからはいると思う。もちろん常にその逆もあるから、がんばって上のクラスについて行こうと奮闘しながらうまくいかないで鬱屈を抱く子どももいるだろうし、親のプレッシャーの与え方次第も、「塾」というのに子どもが関わるスタンスに影響を与えるだろう。だからプレッシャーは極力減らした方がいい。「とりあえず、その場その場でまじめにきちんとやる」ことの積み重ねを注意していくのが無難で、実測値が揺らいでいく模試の成績にあまり一喜一憂して、次のテストでは「絶対、○○以上」とか「αにいけ」とか過剰にプレッシャーにするとキツイだろう。「・・・だったらいいね」くらいに目標を据えるというか、本人の希望も見極めながら「目標を共有する」のがいいだろう。

 

いずれにしろ、学校以外の校友のチャンスはあった方がいいのだが、無料ではない限り、ここで収入レベル、経済階層によるチャンスの多寡があることも残念ながら事実だ。単にさらなる学習の機会を平等に確保するなら、塾無償化的に公立小学校に7限、8限を設けて学校の先生の残業ではなく、自治体からのバイト料で塾講師的な者が教えればいいのだが、オルタナティブな校友の場にならないばかりか、できることが限られる。

それにいたちごっこでどんなに公的な場で教育時間を拡大しても、「もっとすごい特別の教育」を謳う民間業者は必ず出てくるし、教育ってそれだけ多様に工夫できるのが事実であるから、「全部を全員に包み込める」はあり得ない。差を減じる努力はあり得ることだけ指摘しておくが。それに塾教師にしろ、ふだんの学校での教育にしろ、もっと個性に合うように工夫することを教師の実力だとすれば、用意されたカリキュラムも教師の質も全くそれを保証できる状態ではない。給与のよい会社の会社員なみの給与を教員に払わないと、それだけの工夫ができる質の教師は養成が難しいと思う。結局、その社会が教員的な役割の者をどう収入面でも遇するかは、その国での教育レベルに影響し、結果将来の国民のレベル(政府や政治選択にも影響する)にも影響し、日本のように教師の学歴が低ければ結局国民の学歴も低くなり、官僚や政治トップが博士号さえもっていないという低学歴国家になる。そういうことだ。

 

また上を育てるだけでなく、柔軟な人間観を持ち、多様な子どもに充実感や達成感をそれぞれ抱かせるのは相当な技が必要である。こうした教職プログラムは現在あまりないので、教師は無手勝流で現場で結局「自分の趣味嗜好に合う」子どもをえこひいきするしか接し方がよく分かっていない教師達を量産するのだ。これは本当に子どもの全般的不幸を体系的に増幅する仕組みがそもそも組み込まれているといっても過言ではない。教師の心の柔軟性を高めるのは教師育成上、最も重要で子どもの命に関わる課題だと思っている。

 

基本的に学習、勉強はいやなこと?

受験の季節でしたね。

大学も今、最中で、K大は8日に終わりました。

中学受験東京地区は、2月1-3日が最大の山場です。

たかがネットの記事ですが、Yahooニュースの「中学受験はなぜ盛り上がるのか?」

というのがあったので、これをちょいとした材料に我が家の状況などを紹介します。

記事では長きにわたり批判がある加熱する中学受験・・ということで主な「批判」例を5つ挙げています。番号は私が振りました。

 (2月12日(月)2018年 10:47 Yahoo!ニュースから)

 

1.小学生に無理やり受験をやらせて勉強ぎらいになる。

2.小学生が夜中まで勉強することになり、心身共に疲労する。

3.親子関係が悪くなる。

4.非常に高額な塾代、子育てにお金がかかることは少子化の大きな要因となっている。

5.社会が予測不能な変化をしており、記憶中心の受験学習に意味がなくなっている。

 

 基本これらの話は、小学校受験の「お受験」や中学受験、大学受験みんな同じで、大前提は、「誰もが勉強は嫌いなはず」「勉強は無理矢理させるもの」という概念ですね。なんかかわいそうです。

 

長々とは書きません。うちでは息子は勉強は好きでした。終わりって感じ。

これは、3と大いに関係します。

 

「世間」がおもしろいのは、お父さんがサッカー選手で、子どもにサッカーを親身にあるいは尋常でない時間をかけてトレーニングしてもなんだかそれは「美談」になり、それで息子・娘が優れたサッカー選手になったら褒め称えられます。

 

今やっているオリンピックでも親が選手とかいう話は紹介されますし、つきっきりトレーニングとかよくあるネタですね。それでしまいには「家族の熱意ある支えによってここまでこれました、ありがとう」とこれも美談らしいですね。フィギュアとかお金もすごいかかってますよね。この間もテレビ見てたら、ショートトラック伊藤亜由子さんのお父さんが浜松から名古屋に週3回だったか車で送迎してとか、そうお金持ちでないからたいへんだったとか、確かにたいへんだなぁ、すごいなぁという話をやっていました。

 

勉強にあてはまるとって前にブログで同じようにネタにしたことがありましたが・・。

 

静岡から車で週3回東京のサピックスに通わせて、帰りは夜中を回る、子どもはへとへとになり、授業中居眠りをしてしまうくらい・・・とか言えば、当然、「本来の学校の勉強で居眠りするな!そんなまでして塾通いを“強制”するな!」みたいな怒号が飛びそうです。(昔各地にまだサピがなかったころ、実際新幹線通学?で静岡から東京のサピに来ていることと言うのは毎年のようにいたようです。会ったことないですけど。)

 

お父さんがサッカー選手みたいなことと相同に考えれば、「学習することのプロで給料までもらっている」研究者、大学教授を選手にたとえれば、親が子どもに自分の得意なことを伝授するという点では、うちが息子に勉強を教えるのはこの美談と変わりないですよね。お父さんが現役のサッカーコーチなんてこともありますが、うちも私が現役ではないですが、塾教師歴14年くらいですから、受験勉強教える点でもセミプロです。それで院生時代はというか、結婚初期はそれで一家がめし食ってたわけですから。

 

サッカー得意なお父さんが息子とサッカーを通してコミュニケーションって美談になるなら、うちの受験を通したコミュニケーションも美談のはずですよね!

 

算数や数学を教えるのは超得意ですから、それを通して子どもが親をリスペクトしたり、同じ問題をはさんで解法を楽しんだりするのは、よいコミュニケーションですよね。親子の絆は強まります。

 

でも実のところ、わたし自身は「研究はまぁまぁ好き」でも「お勉強はきらい」ということはあって、まさに「丸暗記」であれば大嫌いです。だけど「考えること」なら好きです。

 

それで、5ですが、他にもよくある「今を何も知らないで自分の体験とイメージだけで教育論をぶつ大人」にもれなくよくいらっしゃるように、低級な勉強しかイメージができないようですね。有名校の入試の数学をどうぞ「暗記」で解いてみてくださいって感じですね。中学と大学を混ぜて論じるのはよくないのですが、この話は大学の入試改革でも同様なので(暗記によるセンター入試という言説、多肢選択の批判とか)混ぜちゃいますが、センター試験も「暗記」で9割なんかとれません。とりわけぜひ東大の社会、日本史とか世界史、一度解かなくていいから眺めてほしいですね。

たとえば2012年の世界史の一番はこんな感じ。(引用、東大入試問題世界史 2012)

(第1問

 ヨーロッパ列強により植民地化されたアジア・アフリカの諸地域では、20世紀にはいると民族主義(国民主義)の運動が高まり、第一次世界大戦後、ついで第二次世界大戦後に、その多くが独立を達成する。しかしその後も旧宗主国(旧植民地本国)への経済的従属や、同化政策のもたらした旧宗主国との文化的結びつき、また旧植民地からの移民増加による旧宗主国内の社会問題など、植民地主義の遺産は、現在まで長い影を落としている。植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。

 以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。解答は解答欄(イ)に18行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

 カシミール紛争  ディエンビエンフー  スエズ運河国有化 アルジェリア戦争  ワフド党  ドイモイ  非暴力・不服従  宗教的標章法(注)

 

暗記をしていても「差異を考えたこと」はないかもしれない。場合によってはこの場で各国の方針、ふるまいの差異となりそうなことを思い起こし、答案を構成せねばならない。この「差異を問う」は翌年の2013年入試でも1番で行われています。

 歴史は暗記(だけ)だ!!という言説は、現実の歴史研究やその目指すものを全く理解、頓着せず、(自分がばかで)「暗記するしかできなかった」「暗記以外の勉強をしなかった」体たらくを告白しているだけのことであって、普遍的に「歴史は暗記科目」と言えるわけでもなく、教え方、授業のなかでの思考のさせ方によってどうにでもなるわけです。

 

しかし、小学校では多数の科目をやり、あるいは中学高校でさえも「教師に実力がなく」教師自身が「暗記によって社会の試験の得点が高かった」「暗記大好きさん」であれば、自分自身が「歴史の流れと思考」を主体にした授業なんかできないでしょうし、また指導要領命の日本の教育方法においては、どんどん暗記させて進まないと「範囲が終わらないよ~」ってなことになりそうです。

 

その点、公立よりも自由に教育できる私立の方が楽しく授業も学習もできそうです。

わたしらは高1のときはあまり教えてもらわずに、ゼミ発表みたいに全員が回り持ちして、自分らで調べ、その範囲を皆に説明するという日本史の授業があり、わたしは「平安の貴族政治」を担当して「藤原氏の盛衰」などをやりましたが、十分理解しておらず、また人の説明(授業)を聞いていてもはしょりすぎていて何言っているか分からず、結局あとで参考書で自習する羽目になりましたw。が、いくぶんの主体性は培われ、「藤原氏の歴史上の登場」という結構今に続く日本史としてものすごくインパクトがあり、本当に今に続く、日本社会の「かたち」をつくったという点で摂関政治はすごい発明で面白いものと私に思わせてくれています。ありがとうです。

 

さて、そんなことで勉強に「考える」要素を取り入れると結構楽しいもので、「なぜ?」ということになりますから、「なぜ?」を構成して、その解答を自分なりに探っていく(完全な解答ってのは考えようがないものだなぁと気づいてもいく、100%にならなくても努力してよりよい状態に近づけていくことが大切という研究に通じるマインドはこうして醸成されていくかも)(素人ほど100%正解の答えをほしがる)。これは面白い道のりですよね?

 

でもわたしは受験は必要ないと思って、小受はずっと、中受も最初はかなり反対していたのですが、妻に押し切られました。反対していても教えることはやむなく続けていたので、コミュニケーション、やりとりは、スポーツも他もあらゆることをしていましたが(普通にキャッチボールとかサッカーとか、スキーとか、うちではよく旅行とか、あらゆるお出かけとか)小5,小6では勉強教えている時間も長くなったわけですね。

でも、夜中までなんかしないですし、近所のサピに行ってましたからさして帰りも遅くなく、早寝していました。

 

問題は費用ですよね。費用はやはり圧迫です。前に別に書いた「物量の知育ですか」うちは学習に金の糸目をつけなかったので、これも妻とケンカしましたがそういう決着です。全部妻に負けてます。全敗です。妻は今「どうせ負けるのが分かっているのだから、文句言ったり、反対しなきゃいいのに」と言いますが、意見、考えの方向が合わないのは昔からです。む~。

 

だから勉強嫌いで勉強がいやな子に無理矢理塾通いや深夜までの勉強を強くという虐待まがいのことはわたしも反対ですよ。わたしも自分のこがつくまで行く才能あるとは思っていなかったので、そんなこと最後は無理強いになるだろうと思ったから反対したのです。受かっちまいましたが。

 

ということで、まじめに論じれば、なぜ世間ではスポーツや音楽とか他の才能、特技はほめるのに「勉強の才能」だけdisるのか。それはその才能が最も普遍的に安定した収入と社会的地位に結びつき、下手すると「全員」がやむなく参加せざるを得ない才能アイテムだからですよね。だから妬みも恨みも大きくなる。

 他の方向で大成して報道されるほどに「有名」になった方達はある意味うまい具合にそうした「勉強競争」から離脱して成功した者たちだから、勉強をDisりたい人にとっては英雄であり、それを押し立てて、へんなクイズ番組や東大生いじり番組で、東大生の苦手なことをわざとやらせて嘲笑するといったところでの対立項スターになり得るわけですね。勉強才能への非常に歪んだ社会的評価があるわけです。

彼らが行政や国の仕事をする際に、敵意を向けてdisる人たちのためになるように親身に考えられますかね。disっといて親身にだけしてほしいですか、国民の下僕として?

そりゃあ虫がいいでしょ。いやな思い、20年、30年してきた者が復讐心に燃えて、庶民から搾取するような政策を推進してもシャーデンフロイデではないでしょうか。

 

遇するように遇される、そういったことを受験期の報道からは思う次第です。

わたしがリベラルに傾いたのはたまたま「教える才能をほめられる環境にいて」受験でやってきたことがあまりdisられなかった20代のおかげかもですね。

 

最後に述べれば、でも「暗記」は大事です。データベースなしに思考は回転しませんから。ばかが「思考」だけすると、ツイッターのひどい記事が湧くだけなことがすでに実証されました。基本事項は全部頭に入れましょう。「必要な時に参照」・・だめです。「必要な時」さえ事項が入っていないと「それが必要」と気づきませんから。

大食堂

消耗品買いに大学生協来た。いつも混んでて騒がしいから利用しない生協大食堂。

今日はまだ入試期間なのでというか、もう春休みなので空いてる。


鳥たまどん。

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いつの間にか「惣菜バー」ができてたので、ちょっととってみた。グラム売り。でも冷えてたのでめしに埋め込んだ。まあレンジも置いてあるけど。

唐揚げの質がいまいちやったー。

2学舎食堂の方がうまい。

めし

幸い母親は怪我入院以前の状態に戻った。要支援も上がって下がった。

親はものすごく昔堅気なので、どうしても自分で料理を作りたがる。こちらは心配、懸念もあって、関西来て、14日とか12日とか東京の非常勤もないし、昨年度までのふだんより長期滞在している。

しかし、この間親にずっと晩ごはんを作らせると負担でさすがに疲れも出てくるから、敢えて中日あたりに泊まりに出たり、三日に一度は会食とか外で食べて帰ることにしている。

本当に会食ならよいが、そうも都合よく行かないので、適当にひとりで食べてる。多いのはジャンクなもので、松屋の牛丼、南方や大学商店街のラーメンとか王将。

もっと好きなものに徹底するために時にはスーパーで食べたい惣菜だけ食べる。

今津のライフストアにはイートインスペースがあるので、ええおっさんがひとりで食べてると侘しいがあまりひとめを気にするタイプでないので、平然と鯵フライとか、天ぷらものとか、ふだん家で作るには面倒すぎて作らないようなものを食べる。

今日は寿司パック食べた。

酒を飲む人は、ここで当然ひとりで飲み屋に入るが私の人生にそういう選択肢はない。飲まない人間にとって夜は厄介だ。ビンボーでもあるから、いつも素晴らしいフレンチや和食をいただくこともないし、そもそもそれほどそういうのを食べたい個人的欲求がないので(人となら入るモチベーションが出る)、ジャンクで十分というか、気楽な食べなれてるものが食べたくなる。

ということでわりに夏場はスーパーで食べているが、やはり今日は寒いぞ。冬場は向いていないな。

ということなので、ましなもの食べたいときは、いろいろな人を呼び出して食べるが、土曜日とかも高校の同級生と芦屋で食事する。院生と食べることもあるがいつもいつもとはいかない。ty大は必要もなく、やたらいつもいつもであったがw。

ということで、敢えて時間を潰して、そろそろ帰るか。

親はひとりなら昨日のシチューの残りとかまぐろの煮こごりとか簡単にテキトーに済ますようだから何よりだ。まぁ配達さえあればもうかなり大丈夫みたいだ。春からは月いちで関西に通うことにする。