zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

【説教は】エヴァンゲリオン【思考の宝庫】

エヴァンゲリオン、あれではありません。英語で言えば単に福音。evangelical で福音的、福音派ということになります。

その近所の教会に行ってみた。違うのにも行ってみたいという好奇心と、自分が会衆派だから会衆派で行った方がいいのかもということで、歩2分のところにあるので、福音がついていることが気にはなったが、それも興味深いので行ってみた。

 

本日母の日。母の日向けの説教です。

 

ジェンダーの観点から見ればスゴイことになっています。「母」「妻」としての務めとかがいっぱい書かれているからですね。

 

でも、興味深かった点は、2点。

 

職業人(こちらでは仕事というものは大体特定の職能スキルをつけることに等しい)というものがあるが、母というステイタスには特定の職能的訓練はないという指摘。

 

それとつながるわけだが、聖書を学ぶことがそのスキルを身に着けるひとつの方法であり、子育ての基盤にも聖書を置くということ。

 

 で、子どもが駄々をこねたり、屁理屈で口答えをしたりしたとき

(よくありますよね、「何でそうしなくっちゃいけないの?」とか)、そうしたときに、「聖書に書いてあるから」で済むと。これがlast sayになる(翻訳によってはこれは最期通告になりますけど)と。ま、現代では「なぜ聖書を守らないといけないの?」という根本の問いが出てきますが、敬虔なお宅で子どもがそう言ったらたいへんなことになることが目に見えていますね。まぁなるほど、今回の在外研究のひとつのテーマでもありますが、道徳の底を支えているもののひとつとしての宗教ってことですね、もろに。

 

日本にはあまりこういうのはないので、まじめに個人的人権と個人主義に取り組むと、してはいけないことの底が抜けがちで、単なる強欲なわがままに堕していきやすいという事情も分かります。

 

また、現代は多様化していますから、母の日といっても、いろんな家庭があり、母的なものがいない家庭もあるし、おとうさんがふたりってこともあるし、そこでつらつら母への感謝を語るのも気にはなるのですが、母の日ですから、ひろく自分の養育に関わってくれた人(もう趣旨がずれるかもしれませんがw、虐待のこととかも考えると、近所の人や恩師、ボランティア、いろいろありますね)への感謝に置き換えると、とりあえず、人への感謝を思い起こすことは人を温かい気持ちにさせ、温かい生命を感じなおすひとときになります。

 

わたしのようにやや左の人から見れば、さすがアメリカの保守福音派ってことになり、斜から見ていろいろいちゃもんをつけれるところも多々ありますが、ハイトの著書を待つまでもなく、40周年の講演でも話したように(これ読んでいる人は誰もほとんど聴いていないことは分かっていますが、すいません、そういう話してたんですねT大で)なぜリベラルは負け続けるか、自省も必要だってことです。

 

『おれたち正しいのに理解しない周りがバカでおかしい・・』とこんなこと100年言っていても世界が変わらないから、それは戦略が悪いってことをそろそろ気づいた方がいいんじゃないかってことですね。

 

リベラル側から見ると世の中はおかしいことだらけ。感情研究的に言えば、主たる情動基調は怒り、義憤、憤懣、行動としては相手を責めるということが主になります。社会を動かしている保守、体制側と比べるとマイノリティだったりしますし、望むような政策が次々否決される憂き目に合うわけですね。

 

正直言って楽しくないわけです。「あたたかい」気持ちになる機会が少ない。この人に「温かさ」を感じさせる装置や仕掛けも必要なんだろうけど(祭り的に楽しい運動とか)、それが少ないと擦り減って、温かい方に避難していくということが起きる。

 

正しさvs温かさは、能力vs温かさの二次元とも似て、また、正義・公正vs内集団重視・忠誠という道徳次元の相克、葛藤にもつながります。だから「温かく」ても友達としての友情、人情から国の公共財を安く友達に分けたら、それは不当な利益供与の犯罪になるわけですよね。温かく、優しければいいってもんじゃない。

 しかし、一方、温かさが全くなければ生きていけない。

 

宗教右派はそういう点でも、「家庭的な温かさ」を武器に支持者を抱えていると言えましょうか。

ということで、礼拝は出ているといろいろ思索を刺激されることが面白くて好きだ。まぁここではテレビ見てても説教を見れるが。

 

やはり遠くても音楽とクワイアのよいベツレヘムに行くか~。よい音やコンサート的な要素も礼拝の魅力、おもしろさの重要な要素だからなぁ。くにたち教会は、音楽部があってその辺、さすがくにおんの足元だからとても重視していていいよね。

 

最後に、「会衆派」(権威をおかずに、直接民主制的にみなが集まることで礼拝をつくっていくという考え方)みんなってわけでもないかもしれないけど、長老みたいのがいないから、司式する人がいなくて、全部牧師さんがしているってこと。たいへんやね。右派の好きな秩序とかいっても(典型的には福音派保守)、思想のコンテンツと組織論は別だとあらためて認識。前奏が始まっても私語がやまないという礼拝は初めて経験したわ。びっくり。

 

週に一度、賛美歌で癒しを!! そして、食事には温かいスープを!!