zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

ワイドショー

こちらにワイドショーってあるんだろうか。まぁあるのはあるけど概念が違うような気がする。スタジオで視聴者参加でなにか繰り広げて、観客もそこにいる感じの・・。ライブバラエティに近いのだろうか。

 

日本ではテレビをつけるとどの時間帯でもそれなりにいわゆるニュースワイドショーってやっている。やじうまというタイトルのもあるが、基本コンセプトは野次馬だよね。第3者がなんか社会で起こったことについてあれこれ感想を言うだけだから。その感想を言いたいだけのために突撃取材もするわけですね。

 

単にテレビのチャンネルが今この部屋で少ないだけかもしれないけど、そういうのを見たことがない。少なくても日本で行われているほどの頻度ではそういう放映がないということなのだろう。

 

事件について討議はある。それに詳しい専門家を招いて、インタビューというか対話的に聞いて話をする。いわば昔のクロゲンみたいなことはむしろ日常的にやられていて、問題の理解を深めようとしているわけだ。専門家でないと正確なことがわからないことを先走って素人がああだこうだ議論しても(理知的には)意味がない。当然である。間違った情報や間違った前提から普段自分が抱えている偏見を吐露することになるだけだから。もっとも日本は素人大好き?なので、教育審議会とかでも小説家や芸術家など、「教育」を専門的な学んだり、現場的に有用で詳細な知識を有しているのではない人を議論の場に招きたがる。むしろ「素人目線で考えて」みたいなのは常に「良い概念」であるかのようだ。科学的に間違っていても平気であるということか。

 

たぶんテレビでやっていることの目指していることが異なるのだろう。果てしなく、「楽しみ」「娯楽」をニュース的なものにも求めているのか、正しいことや真実を知りたいのか。

 

もっともフェイクでオルタナティブな真実が流行っている今のアメリカで全国民が真実を知りたがっているとは思わないし、ここがまさになんらかの「格差」なのだろうが、アメリカ大手メディアは(よく言われるように反トランプを展開していたし)、真実や正確なことを知りたい人を視聴者として想定して番組づくりをしているのだろう。メディ自体が真実など放っておいて面白い方がいいからと、やらせやでっちあげを繰り返す日本の事態とは根本的に異なる存在なのだろう。

 

それはもちろんメディアの独立性や日本では全国紙というのが存在して、それが牛耳る形で、そもそも独立に新聞社とテレビ、ラジオがなく、同一体が経営しているという特殊事情もある。そうでないと近代社会の恰好が追い付かなかったのだろうし、何らかのもたれあいもあったろう。

 

メディアの批判力が減退していることが近頃の日本の政治的推移を見ているとひどく感じられるが、なぁなぁのワイドショーニュース全盛であるということからすでに「まっとうな」言論などほぼ排除されているのかと(そもそも用をなさない? 今井絵理子的感性から言えば議論自体がウザイ)感じてしまうのだ。

 

で、次に続く。