zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

政権の正統性

昨日のジョンのゼミは正当性の動機の話でした。ここらへんの文脈になると西欧的思考は意識的過ぎてそもそも術語のネーミング、概念の持ってきたからして違和感があるのだが、それは温めて考えておくことにして、正当性、正統性の話をしてみたい。

 

わたし自体、高校がいわゆる進学名門校みたいなところでそこからT大に入っているわけだから、同級生と言うのは日本のなかでわりあい「よいめにあっている」「優遇されている?」部類かと思う。医師や弁護士など資格稼業、それから議員みたいな政治家そのもの、それらを除いて考えてみても。 ただ、わたし高校は特段、金持ち的高校ではないので、資産家はそう多くないし、すでに特権を有している資産家連合体みたいな慶應的要素は皆無だ。東京にはそうした要素のある成蹊とか成城とかさすが首都で、資産の有効運用(人脈づくりも含めて)に資する共同体がいくらか形成されているのは興味深い。中小においても大企業ほどではない、裕福な事業家、地域の名士などそうした「中堅社長層」を受け入れていることの多い、高校・大学もだんだん分かってくる(特に塾業界で長く働いていると)。

 

そうした者たちが自分の利益になるように、あるいは自分の資産を守り、それを子どもたちなど血族に譲り渡していくにあたって「有利な」政治選択を行うのは「合理的選択」であり、そうした意味で長期にわたって日本で政権党をやっている自由民主党を支持するのも分かる(小自営は意外に公明ないし共産支持というのが増えて来るが)。

 

自民党はひとことで言えば、こうした既得権層、もっと簡単に言えば、「富める者がますます富む」ための政党であり、(事実どうなのかもう少し慎重に言うべきだろうが)日本の支配層が支配を維持し続けるために支配層自身に有利な互助団体である。たとえば経団連から支持を受け、昔はもっと大っぴらに大献金があり、そうした支配-支持関係のなかで金を回転させていた。

 

戦後から高度成長へとしばらくはこれは全く正当化できたかもしれない。大企業と言っても海外に出れば中小企業、それを国家が国家戦略として応援し(通商産業省はそのための省庁だったと言えるだろう)、産業を保護・育成し、世界にはばたかせる。まぁ一理ある。それによって国全体が富むということがあるからだ。まるで重商主義政策である(戦争もそうやって生じていった)。

 

しかし、1980年代以降、日本の大企業は、世界でも優れた企業であるし、十分儲かっている企業だ。企業と言う存在を建前的に考えれば、資本家は資本を投与して効率的に儲けようとするわけだが、AIとかロボットとかを考えない時代であれば、それには人手が必要だった。いくら儲けるアイデアがあっても周りで大勢の人が実際に動いてくれなければ全く儲からないし、話が始まらない。そこで労働市場ということになり、比較的よい給与を提示すれば人が集まり、喜んで働いてくれて、まぁ一種Win-Winとなるわけだ(実際は権力が全く異なる)。戦後の日本の労働組合はおおむねそういった路線でWin-Win感が持てるように賃上げ闘争を繰り返し、その代わり会社に忠誠を誓い、自己の労働を投入していたわけだ。会社も大きくなるし、給与も上がるし、やる気も出るしみたいな。

 

しかし、資本家の心性は、自分自身の儲けになるわけだから、それは創業家が滅んで株式会社の雇われ社長、会長に変わって行っても、個々人がまず自身の利益を考えがちなのはその通りである。すると、「合理的」には、なるべく同じ仕事をしてもらうなら「従業員は給与は安く働いて」もらうのが経済的に効率的だと(実は錯覚かもしれないのだが)考え、そうして非正規社員、アルバイトが増え、時給も買いたたかれて最低賃金近く、従業員は誰も働いても儲からず、徐々にやる気を減退し、会社自身は利益をあげてストックしていく(内部留保)。もちろん経営陣には高給与が支払われる(日本の場合、退職金などの支給で補う方法がとられたりするが、もちろんアメリカほどの高給与ではない。世界水準で見れば文句言われるほどもらってないよ~とみんな言うだろう)。

 

しかし、従業員がゼロになれば会社なんて成り立たない。それは労働市場という市場で怜悧に調達するということだろうが、人間は物品とは違うという考えを明確に打ち出せば(物品扱いしてほしいですか?)、企業にはそうした公的責任もあり、とりあえず「うちの会社に来てちゃんと働いてくれている」ことに感謝すれば適正に利益を配分するのが責務であろう(していない)。

 

ちゃんと見れば(というほどもない当たり前のことだが)、ここには明白に労使対立があり、経営陣は給与は安く抑えたい。利益は守りたい。そのためには法制的にも業界を守りたい。だからそれが可能と思える政治権力と取り結ぶ(もちつもたれつ)。つまり、企業の利益と自分の利益をあくまで守り、稼いで儲けていくことを、多くの人間の幸せよりも優先する方向性、選択が政権党との癒着ということになる。だからそうした者たちが自民党を支持するのは当たり前である。自民党は大企業、支配層、連合体であるわけだから、もちろん東電はつぶさないし、メディの電波利権は守り抜くし(メディアも支配層の一角である。大企業だから、当然インセンティブとして自己の権益保持という方向性を持つのは当然とも予測できる)あるいは農村や地方においてはその地方権力や地方企業、農協などと結びついて、その地方における政治・経済的に有利な地位を保持するシステムとなる。典型的には地方に道路を通したり、望むものを誘致したり、あるいは本当には望まないものだが、なんらかの利権につながる要素のあるものを誘致することを説得して個人的・仲間的利益は確実に確保したりなど。

 

当たり前のことしか書いていないので退屈で申し訳ないが、こういう仕組みは自分の身の回りで起こっていることから、本当に本当に当たり前のこととして身に染みていた。だから「庶民の利益を守らない」共産党的には「庶民いじめ(あまり好きな言い方ではない)」(いじめとは異なるもっと本質的でシステム的な大問題と思うのだが)というフレーズはいわば「当たり前」のことであって、むしろ人々がそれに耳を貸さないことが不思議で仕方がない。

 

だからすでに利得を得ている層がそのまま利得を得続けるために自民党に票を入れるのは当たり前なのだが、そうでない人まで自民党に票を入れないと長期政権にならないし、今回だって自民党圧勝と言われ、野党の票が割れるとかだけど、それもそもそも自民党に誰も入れなければ野党の票が割れたって野党が勝つのだから、「誰かが」自民党に投票しているせいで常に自民党は勝つのだ。

 

なぜ??

 

これは本当に昔から分からなかった。

 

すでに日本が富みだしてから、「すでに儲けている人がさらに儲けようと思って、自己利益獲得に奔走する、既得権益の保持に奔走する」のはそもそも生き方として見苦しい、汚い、卑しいとしか思えなかったので(中高の頃からそう思っていた)、自分はあまりそうした「卑怯な」仲間には入りたくないと思って生きてきた(大学人も既得権益の一角だと言われたら、それはある意味そうだと首肯せざるを得ないが、本来の役目はもっと第三者的、監視的なものである)。

 

だから「利益も得ていないのに」いやむしろそれで「被害を被っているのに」「賃金を安く買いたたかれているのに」大勢の人々が自民党を支持することが不思議で不思議で仕方ない。「あなたたちのための政党ではないし、政党も全くそう思っていませんよ」ということなのだが。

円安誘導だって輸出企業が儲かったり、株価が上がって株を大量に持っている富裕層はさらにますます富んだりするために行われただけであって、このところの政策も裕福な者限定で有利な政策しかしていない。当然である。自民党なんだから、それが本来の正しい方向性なのだ。庶民を富ませ、幸せにするために政党やっているわけではない。

 

前にこのブログで、内田樹とかの「破滅願望では?」とか、「本当に貧しいものはなんか考えているゆとりがそもそもない」とかいくつか頷ける理由もあるわけだが、どうもそれでは足りない。ごく普通に日常を送って、貧窮にあえいでいるわけでもない(が、もちろん金持ちでもない)庶民の一定数がこぞってなぜか自民党に票を入れる。自分の想像力の限界で、昔からこの謎が本当にわからない。

 

昨日議論して、理論的にはシステム正当化なんだ、それで安心なんだ、そうだよねと議論は終わるのだが、やはり何か徹底的に腑に落ちないのだ。なんか自分が遊離していておかしいのだろうか?

 

庶民にとって(こういういい方も見下しているようでおかしいように思うのだが)、「なんか安心っ!」ってそんな大事なことなのだろうか。たぶん大事なんだろうね。そして「そのまま自民党政権が続く」というのは「いつも通りの日常が続く」こととイコールであり、「何か安心」なのだろうね。これは日本人に「不安遺伝子」抱えている人が相対比較上ではちょっと多いからでしょうか。「結局なじみのある光景が日常的に一番安らいでよい」(たまに観光旅行で楽しむのはいいが帰ってきて「あ~やっぱり日本が一番落ち着くわ!」と言っていたい?)

 

これは決して「安心のただ乗り」ではなく、生活上高い対価をじわじわとず~っと払わせられての上であるわけだが、「取られている感」が少ないというのは政権運営が上手ということなのでしょうね。上手な人が減っている気はするが。安倍さんはそうした既得権益層が、あまりそれが目についてその利得構造が庶民から見える白日の下にさらさないように気を付けていたのを身もふたもなく、ある意味正直にがんがん、「自分たちが得したい」「私が得して何がいけないんですか! だってわたしは最高権力者なんですよ!」「わたしは自分自身が個人的にしたいことをすごくしたいんです!」ともろに叫ぶ方で、昔気質の自民党議員から見れば「そこは黙っとけ~」「それを言うなよ」という目も当てられない、行儀をわきまえない子どもみたいに見えるのではないでしょうか。やはり「破壊衝動」か?彼個人は。

 

昨日は決定権のない者、パワー(勢力、権力)ない操作をするとよけいにシステム正当化みたいなのの発表で、それ自体そうなのですけど、つまり政治的に有効性感覚を持てない者がよけい政権党支持するみたいな、でも支持しないとそんなに不快なものなんでしょうかね~、やっぱり不思議。