zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

そもそも日本に大学は要らない?

なんで日本に大学ってあるのか? そこで飯を食っていてなんですが、そう思う。結局要するに明治維新帝国大学をつくったわけだが、別段内発的なものでもなく、「文明国って大学が必要らしいぜ」みたいなことだったのだろう。

 

もう少しまじめに言って「国家に有為な人材を育成する」という国家の要請に基づく教育・大学観によって(だからドイツとは全く異なる)、官僚などを育成するということだ。官僚と書いたのは、技術者、医師、法曹、教師、これらは全部やろうと思えば専門学校でつくれる。実際そう呼ばれていた現私立大学も戦前にはあった。今でも教養をはぐくむ総合大学の上にアメリカでは専門家養成の大学院がある位置づけで、法曹や医師などは育成している。

 

さて、こんなことを書いているのは、今、自民党内で大学授業料無償化(本当に無償化ではないような気もするが)について、大学を選ぶという話が出ているからだ。

 

制度的にややこしいし、面倒だからそう簡単に今、気球観測しているのがその通りになるかは怪しいが、今以上に大学が自己評価、認証評価でチェックを続けられ、「ちゃんとよく言いつけを守っている」者に報償というか、守らないものを罰する(減点していく)というのを強化していくひとつの手段を又、手に入れるということだろう。

 

寄付金。本当に大学を自立させたければ、アメリカほどにというと難しいけれども、自立的に卒業生や関心を持つ人々から多くの寄付を集めて運用していくことが望まれるなあと痛切に思いますね。

 

文科省からの補助金に頼る限り、その「ひも付き」予算はスポンサーの言うことを聞かないといけない。メディアの広告スポンサーと同じだよね、それよりも今、大学は悪くなっているかもだが。

 

もともと教育なんて、特に小中高など、地域で自律的に行えばいいし、県によって市によって制度や公的補助、支援の仕方が異なっていても構わない。地方自治だと思う。過分の不公平は是正すべきだが。

 

だからよく言われるように本来、文科省なんてする仕事のない役所で、無理に仕事をつくろうとするから、こうやって統制する話や発想(今回のは、経済産業省が言っていて、制度的にOKな見通しがあれば財務省も承認して、文部科学省自体がアイデアつくっているのじゃ全然ないだろうけど)は珍しいことではなく、省庁がある限り、どちらかと言うと規制したり、統制したりという方向に向かうのは役所の自動運動っぽいところもあると思う。

 

茂木は経済財政&「人づくり革命!!」で派も額賀派田中派)だが、思えば、安倍(父)派、森派という清和会は文教族で、おいしい郵政や建設は田中角栄にとられたから(というか郵政はおいしくなるように田中が育てたからだろうが)、あまり利権が大しておいしくなさそうな文部省を当時の非主流派がとったということだろうか。また、非主流だったタカ派教育勅語復活とまででなくても、その人たちが考える「よい国民」「正しい国民」をしつけることに関心がある人たちなので、右翼にとってどうも教育は重要らしい。そういう点でその対抗馬であるべき日教組がわりにおバカであったのは不幸で、本質的に重要な対応が何であるかを見失った点も見逃せないだろう。大体こもの、小人は今も話題になっているように、権力者になりたがって変な校則をつくる。権威に反旗を掲げて、そして自分自身が権威者になる。ソ連でも中国でもこれは人類が歴史的に示した闘争の結末というか、ヘゲモニー争いのありがちな結末という普遍的な真実で、(もちろん右翼もだが)左翼も権威主義的、強権的になるというジャコバン党の法則である。

 

脱線したが、自民系の文教族は自分たちの理想とする教育を学校現場で実現するのが願いであるから、いまさら何の驚きもないが、右翼強権的に振る舞えば「気に入らない教育を展開するところはつぶしてしまえ」ということになるよね。(ついでに言えば最近は不動産からみも含めて文教権益が拡大してオリンピックや競技場や大学敷地や理事会、教授への天下りやありとあらゆる文教領域を食い物にした利権づくりが見事なまでに華々しくなっていて、郵政もびっくりですよね。)

 

今回の選挙で安倍さんの秋葉原演説会にあるように、今の「権力の形」がどういったものかかなり白日の下に明らかになった。過去の歴史から権力者は誰だって思うことがあるものらしいが、「民はいいなりになるバカの方がいい。」これが統治の思想だ。

 

だからそもそも「国民を言いなりにしたい」という統治傾向を持つ政治家ははじめから、われわれの意味での「よい教育」を行うモチベーションは全くないし、文科省お題目の「主体的に思考する」とかましてや「批判的思考:クリティカルシンキング」ができるなど本音では全く興味がない、いや憎んでいるはずである。大学が大学的な本来の教育をすることを憎むのである。だから物を言う大学人が大嫌いである。こうして文化大革命みたいなものが起きるのだから、今の日本の状況って、プチ文化大革命ですよね。

 

中国の留学生に聞いただけだから確かではないけど、中国の大学生はほとんど理系らしい、7:3か8:2か分からないけれども、そりゃ、現体制を客観視して批判する怖れのある「政治思想史」なんてやらないし、だから社会科学はいらないわけだよね。で、国家の豊かさにつながるような技術者を育てる。だから必要なのは理系。

 

今、日本で政策的にやっているのは全くこれと同じで、人文科学なんかいらないから(なぜかさらに社会科学も)、文系をつぶして、産業に役立つ工学部をもっとみたいな感じだよね。

 

要するに人文系って現状を離れた広い、自由な視点で現況を相対化してしまって、あり得るオルタナティブを構想する思考方法を鍛える営みだから、「現実の社会を維持、守りたい」と思っている人たちには全く有用性が感じられない、むしろ「おれたちの邪魔をする」思想だと、戦中的に言えば完全に「危険思想」を持つやからぐらいにしか目に映らないのだと思う。

 

だから、実は社会に役立つ。何百万人もの死者を出さないで、外交的に問題解決する方法や巧みな対話や、こちらの言い分を補強する論理を鍛える技であるから、こうした外交には論理や時に強弁という部分もあるが、「頭のいい」思考が必要だよね。これまでのアメリカは分かっていたと思う。ヨーロッパは言うまでもなく。トランプはそういう歴史から言うと突然変異と言うか時代がもたらした鬼っ子というか。

 

だから日本列島にとどまって永遠に村社会を運営していくのなら、それもありかとも言えるのですよね。好き放題する政府と、何も考えない、意見を言わない国民のとりあわせ。むしろ政争は起きずに安全、平和。みんな仲良く、言い争わず。

 

安倍さんも今回改めてすごく認識したというか認識させちゃったのではないでしょうか。いろいろ頭つかって考えて文句や意見(生産的な代案)などを持ち出してくる枝野さんや立憲支持層はじゃまである。それに対してこんなにひどいことを続けてもまだ自分を支持してくれる何も考えないバカな25%の国民たち。このバカをもっと25%以上の主流派に育て上げないと!と。大学教育なんか授けたらまずいじゃんって。(これは本当に逆に大学に対する過大評価ですよね、ほんと。大学のおかげでクリティカルシンキングができるようになった学生がどれだけいるのか。心理で1年と4年の違いを測定しましたけど、上がるけど、本当に微々たるものだよね、大したことないです、いやでも努力しますけど)

 

素人は中高でも大学でもカリキュラムにあること、先生の言うことは全部身に着くみたいに恐れて教育内容に口出しするけど、笑っちゃうほど身に着かないですよね。自分のこと忘れたか?

 

それはそれとして、だから25%とは言え、どちらかと言うとそれが日本の主流に近くて、「おれたちはバカのままがいいんだ、学習なんて大嫌いだし、教育なんてくそくらえ!」って思うのだったら、日本の大学全部廃止すれば潔くていいと思うのですよね。

「日本国」は教育の価値を認めません、教育勅語だけ尋常小学校で暗誦させて15歳にもなれば働かせますって、労働人口不足少し解消していいじゃないのねぇ。

 

でも、しないでしょ。単に欧米や先進国に恥ずかしいからじゃないの?それ以外の内発的な動機って今の政府では考えられないと思う。要するに明治日本と同じで、「先進国の真似をしたい」このさもしい、小さい(まぁ明治初期では小さくなかったかもしれないけど、今じゃ当然小さい願いだよね)願い以外に、日本国の教育体制として何がとるべきメニューやシステムなのか真剣に議論なんかなされていないように思う。結局現状ありきで。

 

でも本当に潔くないですよね。真に自分たちが願ってはいないのに、先進国並みに体裁取り繕うには「大学って必要らしいぜ」くらいに運営しているのだからそりゃ迷走しますぜ。専門学校以上の学びの機関が想像できないのだから。頭のなかのメニューにそもそもないわけだよね。それで自分らは「大学時代は授業に出ずに遊んでいた。それが人生に役立った」と今も思っているから。だからせいぜい簿記を教える、商法、会社法を教えるくらいしか思いつかないのだろう。まぁ茂木は法経系で、公共経営修士ハーバード大学ケネディ行政大学院)だから「役立つ」法学、経営学、公共政策学みたいなところは安泰かもだが・・・みんな政治学科系が「行政学、公共政策」にどんどん名前変えていったりして(笑)。

 

でも先進国としてみっともないと思うのなら、本当にみっともなくないようにしたいと思うなら(むしろ明治のまじめさで?)、その本質を見極めて、グローバル時代に伍していく、他国や多様な人々ときちんと論理的に対話できる人材はどう育つか、まじめに考えてみ と思うよね。中身もちゃんと真似して、どういった水準の教育が必要か、それはアクティブラーニング以前に、「自由にモノが言える雰囲気の社会」→だから「授業で自由に議論できる」 議論はケンカではない。反対意見を言われても怒らずに自分に役立てる。そういう誰かさんが自分自身超不得意そうな点を抜け出さないと、まともに国際舞台で対話できる人間なんかホントできないよね。

たとえば核廃絶決議だって、見たくないもの(核禁条約)にはふた、スルーみたいな日本人得意のやり方は容易には通用せず、非論理的、根拠薄弱、論理的首尾一貫性のなさに見えるだけ。国内の言い回しや官僚的文法が国際性を持たないことの例でもある。恥をかき、信用を落とし、軽蔑され、結局国益を落としていくんだよね、ホント愚か。 

 

まずは自由に意見が言えること。だから大学は自由に教育すること。多様な方針の私立大学を承認すること。多様な学問、学部を認め、奨励すること。

 

選別とは・・・・人をして唇寒しと思わせる状況をつくることです。そうした社会は沈没していく。悪ければ外から破壊されておしまい。そういうもんでしょう。それともはっきりと中国社会を目指しますか?中国のようになりたい!とか、安倍が言うと面白いよね。なんか北朝鮮みたいになりそうだけど・・・。きっとでもそういうのが好きなんだろうね。早く議会停止したい!!って。