zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

どういう社会を構想するか

続きを書いていたらテキストがふっとんだ。いっぱい書いたのが全部飛んだ。気分が大いに落ちて二度と書く気にならなかったが中途半端になっちゃうのでなんとか書く。パソコン調子悪いから今も変換がしばらく時間待ちみたいにスムースに画面に字も出ない。書けるか・・・。

 

前の記事もあるから何を書いて何が書いていなくて飛んだのかもう分からなくなった。

まず複線化だ。戦後、高専などもあるが、およそ学制のシステムが単線化して、商業科、工業科等々もつくったが、結局、普通科が基本でそれらは普通科より下位にあるもののごとく扱われるようになってしまった。

 

本来、進路を決めていく時期はひとによっていろいろで、またそれ自体人の選択の自由となるわけだが、そうした自由を保障する意味でも、多様なルートが社会のなかにあることが大事だ。同窓会で工学系の人と話していてもの作り現場でのモラル低下とか言っていて、そうしたかつての匠の精神とかやはり意識して維持できる仕組みを用意しないと放って置いて保たれるものではない。細かなところを行き届かすというのは生産効率は悪いので、完全に資本主義原理でやっていくと淘汰されかねないのだ。もちろんその付加価値が正当に評価されればだが、本当に労力に見合ったプラスアルファの値が十分つくのかどうかが重要だ。そうすると、今の段階ではある程度の補助とか、育成の補助とかそういった対応が必要となる。なによりもさまざまな仕事での相互リスペクトが大事だ。適切な賞賛を互いに与えるような形をとらないとやる気も減じるってもんだ。

 

 

一方、世界基準では、多くの場合、学士は最低必要という観点があれば、学士を出す教育機関はそう減らす必要はないかもしれないが、ある程度私学の整理、統合、淘汰はやむを得ないだろう。それよりも重要なのは地方国立などはもっと生かし、というか国立大学としての扱いを復活させて、建物、備品周り基本的なところにきちんと税金投入しないといけない。

 

前に書いたと思うが、学会正会員の研究者の給与は税金からの払いである程度高額のインセンティブを保ち、継続的な業績のチャックもある程度すると。こうするとたいへんな税の投入になるかもしれないと思うだろうが、社会ビジョンとしてだからこれだけ考えるのは無理なのだ。

 

わたしはもっと大きな政府を構想しているので、まず、行政の透明性と第3者チェック、チェック機関の給与、報償の確保という前提の下で、もっと行政への信頼を増加させた上で、より高額の税金により、富の再分配を考える。だから大学教員だけでなく、小中高教員の給与、また保育士、幼稚園教諭、介護士等々の公的な社会に必要な役割を持つ仕事に税金を投入する。もっと賃上げするということだ。

 

 

もともとこれらの人を育てる、健康を維持するなどの仕事は、資本主義的観点から見れば利益率の悪いもの(長期に見れば見合うけれども)だから、公的機関から給与を出す。スウェーデンだって女性の就業率が高い背景に女性の公務員率が高いという構造がある。日本は人口あたりの公務員人数の少ない国で、要するに行政サービス含めて、「人的サービス」に金を払うのが嫌いな国民性だ。相談など、弁護士やカウンセラーに金を払う時とか、マスコミが研究者にインタビューして金を払わないなど、「物の購入」でない見えない人的労力、専門知の提供や利用について「金を払う意識」が薄い。まずそこからのマインドを意識して変えていくしかけも必要だ。

 

そうした人によるサービスを労働者ががんばって密度高く働けば安い金でたくさんのサービスが手に入るという卑しい根性をあらためて労働に対して正当な対価を出すのが当然の社会にしていく。

 

こうした全体的な社会ビジョンのなかで、研究者も国民に支えられているわけだから質保証しつつ税金を使うってわけだ。

 

AIやロボットの発展で長期的に見て、労働人口、人数は少なくて済むわけだから、そういう社会を迎えるにあたっての準備として、労働の集約や効率化は政府も関与する方向にシフトしないといけない。なぜなら完全民間だと、AIやロボット導入は大企業、投資的に金を集めた経営者、金のあるところから先に進み、その個の企業の財産としてAIを使い、大量に労働者を整理、解雇して、その経営人だけが効率的に得られた富を享受するという結果になってしまうのだ。つまりAIの導入は富める者をさらに富ませるだけである。

 

だから、AIの導入には政府補助金を用いて、大々的に政府が関与することで私企業の持ち物という性質を減じ、「社会的に行った政策だから公的な責任がある」というなかで、ベーシックインカムの導入とか、効率化によって転職を強いられたり失業したりする者のセイフティネットや再教育に予算をあてていく必要がある。国全体としては効率的に同様の生産が可能で、その利益をやはりおおざっぱには国民全体で分け合うということだ。

 

完全な社会主義なんかじゃないから、もらうものが平等で皆同じとは決してしないが、だからベーシックインカムにプラスして少しのアルバイトで低燃料で燃費のいい生活をしたい志向性の人は、それほどがつがつ働かなくてもそれも自由ということだ。

 

多様性承認は大事で、人の生き方をいちいちうらやんだり、非難したりせずに、どうやっていけるかは社会心理学的課題かもしれないが、努力すれば新たな技能がほぼ無料で身につくようにして、転職がしていける再復活可能な社会、すべり台社会とは逆の社会にし、そういう点でも大学も人々の再教育機関としての役割を果たし、今のように18歳ばかり入学するのではなく、人生のいろんな時期に学びを得るために来ることが保証される必要がある。

だから教育は無料化、あるいは低額の支払いで享受できるように保証し、しかし、今の悪い案みたいに変なことを大学や教育機関に押しつけるのではなく、給与や補助金を出すということだ。

 

こうしたことは高い税と言っても人口減る中で無理で不経済と思うかもしれないが、格差の大きい社会となって、不安定化していくリスクを考えると損はないと思う。心理的安定の上に生産性の高さがついてくると考えられるし、格差によってスラムや犯罪の増加などある方が社会リスクである。なにより社会に安心がないところでは、人心は殺伐としがちだ。

 

所得税はもちろん累進課税でとるし、それなりの法人税をとる。タックスヘブン対策はひとつの案として荒療治で人権上難しいが、そうした確信犯の企業の従業員の公的サービスを受ける資格の停止(猶予期間あり、転職、再就職で問題なし)とかいろいろ措置の仕方はあるが、大きな政府方針でやれば公的サービスなしで生き延びるのはかなり辛いはず。自腹の医療とか保険とか。この日本の地で生きていきたい限り、モラルのない会社では働かない、損になるから働けないとすれば、自動的にそうした企業は純粋に「外国企業」とならざるを得ない、それでいいでしょう。儲かっている企業を惜しがらず、新たなものを立ち上げる前向きでいきましょう。雇う日本人が0人で人を雇えなければなんなりかの対処を考えざるを得ない。

 

たぶん将来も幸か不幸か自動翻訳やウェアラブルな装置が増えれば、自分で英語をしゃべることが苦手な日本人はまだまだ多いだろうから、悪い企業の従業員のままで日本で公的サービス停止だから他の国に移住しますわ、って人々は少数で済むと想像される。

 

企業モラルに対しても法的な対応で信賞必罰的にシステムを用意すれば、要するに「不正したらめっちゃ損」というインセンティブ構造で不正予防、減少を目指す。

 

間接税だってかなりどこでも費目によって違うのは当たり前で、日本だけそれできませんってそんなおバカな国民でもないだろうから、ちゃんと食料品、必需品無課税で、それ以外から消費税課す形で運営すりゃあいい。

 

所得税の累進制が高くていやな金持ちはどうぞ日本を出て行ってくださいと思う。薄汚い精神しか持っていない者は結局社会のモラルを荒らすだけなので、そういう人はいらないと思う。

 

どうでしょうか? フランス革命のように強権的でなく、社会主義ほど平等で強権的でなく、ヨーロッパ的な社会民主主義をより大きく日本に導入していく社会づくりのプランですけど、そうした全体の構図のなかで、研究者を社会のなかにどう位置づけるかを考えているつもりで、だからある程度これは漸進的にしか進まないと思うけど、もしかして50年後には当たり前にそういった社会になっているかもしれない。

 

少なくても、格差により低位にいる人、貧乏な人をあざ笑ったり、差別したり、攻撃したりしてうさを晴らすのは、一種の「暴力的な対処」なのだから本当にピンカーが言うように長い年月にわたって、人類が非暴力的な方向へと文化、社会を構築してきているのだったら、

そういった暴力も、今のわたしたちが江戸時代の切り捨てごめんみたいなものをあり得ないと思う程度に、野蛮で原始人のような「信じられない」状態だったんだねぇと未来の人たちに思われ、そうした原始的な暴力が景を潜め(0にはならないけど)、簡単に低位の者をdisらない社会程度にはなっていくのではないかと祈るものです。