zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

基本的に学習、勉強はいやなこと?

受験の季節でしたね。

大学も今、最中で、K大は8日に終わりました。

中学受験東京地区は、2月1-3日が最大の山場です。

たかがネットの記事ですが、Yahooニュースの「中学受験はなぜ盛り上がるのか?」

というのがあったので、これをちょいとした材料に我が家の状況などを紹介します。

記事では長きにわたり批判がある加熱する中学受験・・ということで主な「批判」例を5つ挙げています。番号は私が振りました。

 (2月12日(月)2018年 10:47 Yahoo!ニュースから)

 

1.小学生に無理やり受験をやらせて勉強ぎらいになる。

2.小学生が夜中まで勉強することになり、心身共に疲労する。

3.親子関係が悪くなる。

4.非常に高額な塾代、子育てにお金がかかることは少子化の大きな要因となっている。

5.社会が予測不能な変化をしており、記憶中心の受験学習に意味がなくなっている。

 

 基本これらの話は、小学校受験の「お受験」や中学受験、大学受験みんな同じで、大前提は、「誰もが勉強は嫌いなはず」「勉強は無理矢理させるもの」という概念ですね。なんかかわいそうです。

 

長々とは書きません。うちでは息子は勉強は好きでした。終わりって感じ。

これは、3と大いに関係します。

 

「世間」がおもしろいのは、お父さんがサッカー選手で、子どもにサッカーを親身にあるいは尋常でない時間をかけてトレーニングしてもなんだかそれは「美談」になり、それで息子・娘が優れたサッカー選手になったら褒め称えられます。

 

今やっているオリンピックでも親が選手とかいう話は紹介されますし、つきっきりトレーニングとかよくあるネタですね。それでしまいには「家族の熱意ある支えによってここまでこれました、ありがとう」とこれも美談らしいですね。フィギュアとかお金もすごいかかってますよね。この間もテレビ見てたら、ショートトラック伊藤亜由子さんのお父さんが浜松から名古屋に週3回だったか車で送迎してとか、そうお金持ちでないからたいへんだったとか、確かにたいへんだなぁ、すごいなぁという話をやっていました。

 

勉強にあてはまるとって前にブログで同じようにネタにしたことがありましたが・・。

 

静岡から車で週3回東京のサピックスに通わせて、帰りは夜中を回る、子どもはへとへとになり、授業中居眠りをしてしまうくらい・・・とか言えば、当然、「本来の学校の勉強で居眠りするな!そんなまでして塾通いを“強制”するな!」みたいな怒号が飛びそうです。(昔各地にまだサピがなかったころ、実際新幹線通学?で静岡から東京のサピに来ていることと言うのは毎年のようにいたようです。会ったことないですけど。)

 

お父さんがサッカー選手みたいなことと相同に考えれば、「学習することのプロで給料までもらっている」研究者、大学教授を選手にたとえれば、親が子どもに自分の得意なことを伝授するという点では、うちが息子に勉強を教えるのはこの美談と変わりないですよね。お父さんが現役のサッカーコーチなんてこともありますが、うちも私が現役ではないですが、塾教師歴14年くらいですから、受験勉強教える点でもセミプロです。それで院生時代はというか、結婚初期はそれで一家がめし食ってたわけですから。

 

サッカー得意なお父さんが息子とサッカーを通してコミュニケーションって美談になるなら、うちの受験を通したコミュニケーションも美談のはずですよね!

 

算数や数学を教えるのは超得意ですから、それを通して子どもが親をリスペクトしたり、同じ問題をはさんで解法を楽しんだりするのは、よいコミュニケーションですよね。親子の絆は強まります。

 

でも実のところ、わたし自身は「研究はまぁまぁ好き」でも「お勉強はきらい」ということはあって、まさに「丸暗記」であれば大嫌いです。だけど「考えること」なら好きです。

 

それで、5ですが、他にもよくある「今を何も知らないで自分の体験とイメージだけで教育論をぶつ大人」にもれなくよくいらっしゃるように、低級な勉強しかイメージができないようですね。有名校の入試の数学をどうぞ「暗記」で解いてみてくださいって感じですね。中学と大学を混ぜて論じるのはよくないのですが、この話は大学の入試改革でも同様なので(暗記によるセンター入試という言説、多肢選択の批判とか)混ぜちゃいますが、センター試験も「暗記」で9割なんかとれません。とりわけぜひ東大の社会、日本史とか世界史、一度解かなくていいから眺めてほしいですね。

たとえば2012年の世界史の一番はこんな感じ。(引用、東大入試問題世界史 2012)

(第1問

 ヨーロッパ列強により植民地化されたアジア・アフリカの諸地域では、20世紀にはいると民族主義(国民主義)の運動が高まり、第一次世界大戦後、ついで第二次世界大戦後に、その多くが独立を達成する。しかしその後も旧宗主国(旧植民地本国)への経済的従属や、同化政策のもたらした旧宗主国との文化的結びつき、また旧植民地からの移民増加による旧宗主国内の社会問題など、植民地主義の遺産は、現在まで長い影を落としている。植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。

 以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。解答は解答欄(イ)に18行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

 カシミール紛争  ディエンビエンフー  スエズ運河国有化 アルジェリア戦争  ワフド党  ドイモイ  非暴力・不服従  宗教的標章法(注)

 

暗記をしていても「差異を考えたこと」はないかもしれない。場合によってはこの場で各国の方針、ふるまいの差異となりそうなことを思い起こし、答案を構成せねばならない。この「差異を問う」は翌年の2013年入試でも1番で行われています。

 歴史は暗記(だけ)だ!!という言説は、現実の歴史研究やその目指すものを全く理解、頓着せず、(自分がばかで)「暗記するしかできなかった」「暗記以外の勉強をしなかった」体たらくを告白しているだけのことであって、普遍的に「歴史は暗記科目」と言えるわけでもなく、教え方、授業のなかでの思考のさせ方によってどうにでもなるわけです。

 

しかし、小学校では多数の科目をやり、あるいは中学高校でさえも「教師に実力がなく」教師自身が「暗記によって社会の試験の得点が高かった」「暗記大好きさん」であれば、自分自身が「歴史の流れと思考」を主体にした授業なんかできないでしょうし、また指導要領命の日本の教育方法においては、どんどん暗記させて進まないと「範囲が終わらないよ~」ってなことになりそうです。

 

その点、公立よりも自由に教育できる私立の方が楽しく授業も学習もできそうです。

わたしらは高1のときはあまり教えてもらわずに、ゼミ発表みたいに全員が回り持ちして、自分らで調べ、その範囲を皆に説明するという日本史の授業があり、わたしは「平安の貴族政治」を担当して「藤原氏の盛衰」などをやりましたが、十分理解しておらず、また人の説明(授業)を聞いていてもはしょりすぎていて何言っているか分からず、結局あとで参考書で自習する羽目になりましたw。が、いくぶんの主体性は培われ、「藤原氏の歴史上の登場」という結構今に続く日本史としてものすごくインパクトがあり、本当に今に続く、日本社会の「かたち」をつくったという点で摂関政治はすごい発明で面白いものと私に思わせてくれています。ありがとうです。

 

さて、そんなことで勉強に「考える」要素を取り入れると結構楽しいもので、「なぜ?」ということになりますから、「なぜ?」を構成して、その解答を自分なりに探っていく(完全な解答ってのは考えようがないものだなぁと気づいてもいく、100%にならなくても努力してよりよい状態に近づけていくことが大切という研究に通じるマインドはこうして醸成されていくかも)(素人ほど100%正解の答えをほしがる)。これは面白い道のりですよね?

 

でもわたしは受験は必要ないと思って、小受はずっと、中受も最初はかなり反対していたのですが、妻に押し切られました。反対していても教えることはやむなく続けていたので、コミュニケーション、やりとりは、スポーツも他もあらゆることをしていましたが(普通にキャッチボールとかサッカーとか、スキーとか、うちではよく旅行とか、あらゆるお出かけとか)小5,小6では勉強教えている時間も長くなったわけですね。

でも、夜中までなんかしないですし、近所のサピに行ってましたからさして帰りも遅くなく、早寝していました。

 

問題は費用ですよね。費用はやはり圧迫です。前に別に書いた「物量の知育ですか」うちは学習に金の糸目をつけなかったので、これも妻とケンカしましたがそういう決着です。全部妻に負けてます。全敗です。妻は今「どうせ負けるのが分かっているのだから、文句言ったり、反対しなきゃいいのに」と言いますが、意見、考えの方向が合わないのは昔からです。む~。

 

だから勉強嫌いで勉強がいやな子に無理矢理塾通いや深夜までの勉強を強くという虐待まがいのことはわたしも反対ですよ。わたしも自分のこがつくまで行く才能あるとは思っていなかったので、そんなこと最後は無理強いになるだろうと思ったから反対したのです。受かっちまいましたが。

 

ということで、まじめに論じれば、なぜ世間ではスポーツや音楽とか他の才能、特技はほめるのに「勉強の才能」だけdisるのか。それはその才能が最も普遍的に安定した収入と社会的地位に結びつき、下手すると「全員」がやむなく参加せざるを得ない才能アイテムだからですよね。だから妬みも恨みも大きくなる。

 他の方向で大成して報道されるほどに「有名」になった方達はある意味うまい具合にそうした「勉強競争」から離脱して成功した者たちだから、勉強をDisりたい人にとっては英雄であり、それを押し立てて、へんなクイズ番組や東大生いじり番組で、東大生の苦手なことをわざとやらせて嘲笑するといったところでの対立項スターになり得るわけですね。勉強才能への非常に歪んだ社会的評価があるわけです。

彼らが行政や国の仕事をする際に、敵意を向けてdisる人たちのためになるように親身に考えられますかね。disっといて親身にだけしてほしいですか、国民の下僕として?

そりゃあ虫がいいでしょ。いやな思い、20年、30年してきた者が復讐心に燃えて、庶民から搾取するような政策を推進してもシャーデンフロイデではないでしょうか。

 

遇するように遇される、そういったことを受験期の報道からは思う次第です。

わたしがリベラルに傾いたのはたまたま「教える才能をほめられる環境にいて」受験でやってきたことがあまりdisられなかった20代のおかげかもですね。

 

最後に述べれば、でも「暗記」は大事です。データベースなしに思考は回転しませんから。ばかが「思考」だけすると、ツイッターのひどい記事が湧くだけなことがすでに実証されました。基本事項は全部頭に入れましょう。「必要な時に参照」・・だめです。「必要な時」さえ事項が入っていないと「それが必要」と気づきませんから。