zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

昭和史を読む

マッチョなことは嫌い。これは昔からだ。

自分はことばづかいが悪いから、あるいは意外に思う人もいるかもしれないが、あまり男らしいことはきらいである。別にジェンダー的には異性愛ですけど。

 

幼少の頃、近所の同じ年くらいの子どもたちが遊び材料にかえるやら生き物をつかまえて、ときにはネコとか、動物実験的に(わたしの目からは)虐待しているのがすごくいやだった。でも、思えば自分は腰抜けなのか、いやなわりに、直接友達のやっていることを「止めた」という記憶はない。

 

そんなわけで、小学校の頃は、普通に少年雑誌でスポ根マンガを読んでいたが、題材は大体野球かサッカーで、あしたのジョーも欠かさず見てはいたが、実のところボクシングとかの殴り合いはあまり好きではなかった。そもそも血を見るのが嫌いである。

 

だから、やたら競い合ったり、殴り合ったり、戦闘シーンを見ないで済むことに少女漫画で気づいてからは、もっぱら少女漫画雑誌やコミックスを買ったり、立ち読みしていた。このスタンスは今も不変である。

 

ってそんな話がしたいのではなく、「戦争」だ。そんなわけで、学術的にも知識的にも重要だってのはわかっていたが、どうしても戦争本に手が出ず、読む気になれず、そのあたりの知識が全くもって欠けている(近頃流行った応仁の乱の本とかあるが、古代、中世の戦闘の原因、成り行き、結果とかのある意味、古すぎて抽象的に近いものは適当に学んだ。しかし明治維新につながるひとつひとつの細かい戦闘についてはやはり読む気にならずいまだに知識が貧弱である)。

 

といっても近頃、民主主義などを考察しているとどうしたって、日本の場合は、明治以降の政治の流れや戦闘にも目配りせざるを得なくなってくる。江戸時代と明治にはからきし関心がなかったので、明治時代以来の近代政治の流れなどは大して承知していないが(読むのはせいぜいどちらかというと戦争を積極的にしない側の西園寺公望とかを描いた新書とかだ)、たまたま帰国したのが、敗戦の記念日に近い頃だったので、「昭和史講義」(ちくま新書)を買って読んでみた。

 

最新の研究から執筆者たちが語っているので勉強になった。雑なイメージしかない日中戦争への突入や太平洋戦争への突入がこういう簡単な記述を読むだけでも、なかなかに難しいことに気づかされた。

戦争は容易に統帥できるゲームとは違い、遠く離れて正確なことがよくわからない(特に当時の通信手段では)状況で、必ずしも思い通りに統帥や作戦遂行ができないなか、現場が勝手に流れで動いていく。シミュレーションするには、そうした立場のことなる現場での力動を十分加味しないと、理念的にこういけばこうなるだろう!ではないのだということが、古代以来の多くの参謀、策謀家が直面したであろう常識にぶつかるのである。そしたまた必ずしも「現場」のみんなが暴走しているわけでもない。

 

グラナダで中国の国際放送が7月7日盧溝橋のふりかえり、討論をやっていたということにも少し関心が惹起されたところもあったが、素朴にはずるずるととか、こっから突入とかあるが、盧溝橋でさえも直後、講和というか停戦合意ができそうになったこと、現場でもある意味責任者たちは「どう終わらせるか」必ずしも考えていないわけではなかったこと、当初誰も長期化を望んでいなくて、ちょいとアタックして有利な条件を引き出して、さっと停戦合意みたいなことは実際繰り返されていたこと、そうした当時の状況からすれば、何をすれば長期化という失敗に突入していくかわからない、なかなかに難しい状況であったのだろうことがわかる。特に中国戦は宣戦布告していないので、国際的にちゃんと?戦争に突入したわけではなく、日本国内の理解でも当初は小競り合いの延長くらいの意識しか持たれていなかったという。さらにまたそもそも一体誰を中国の代表として相手にするかが混乱もしていた時代でもあり、どのような中国政府を想定、形成していくかという企図についても3案ほどあったという。

 

そして、当時いかにアメリカや日本そして皇室も「共産化」という当時世界が直面していた「最新」の動きに、現代からの想像以上に怯え、怖れ、警戒をはらっていたかも知ることができた。わたしたちは現在、共産主義が失敗したことを知る世の中、長い間日本ではそういう方向性は決してメジャーになることなく終始しているというあとづけの知識から見ると信じられないくらい、ある種の知識人は本当に、世界の必然的な歴史進化の動きが、資本主義→社会主義共産主義と進展していく可能性を考え、あるいは怯え、政府への不満や国内の混乱がそうした動きに結果することをいかに警戒し、おそれたかということだ。

 

また、途中まで「中華民国」(資本主義)をある意味、日本もアメリカも応援しつつ、日本は戦うことになってしまったが、こう簡単に?中国陸地部が共産主義側にいわばとられてしまうというか共産化されるとは考えていなかった(中華民国をなんとかかんとか立てられてそれを中国の代表として考える(実際中華人民共和国との国交復興前まではアメリカも日本も台湾をゆいいつの「中国」とみなしていたわけだが))という未来予測のもとにあれこれが行われる。このちくま新書でも井口氏が指摘していたが、実際中華民国が力をもって中国平定を成し遂げていたら、アメリカの極東、東アジア戦略の中心は中国となっていたので、実際の大戦後のように(冷戦、朝鮮戦争)、日本を重視したり、日本の重化学工業や経済復興を認めて力を貸したりなどという方針にはアメリカ(&西洋)がなっていなかった可能性があることも、その指摘にはっとした。

 各地にもっていた工業施設は実際、満州においては解体されてロシア(ソ連)に持ち去られたらしいが(戦争被害補償という理屈らしい)、他のあちこちも中国に移設という選択肢があり、日本の工業の設備の空洞化が起こらないとも限らない情勢だったのが、たまたまというか蒋介石軍の弱体(なのに共産軍をあくまで敵視しつづけて、アメリカは共産軍も懐柔して連立政権を視野に入れた戦後復興を構想していたのと齟齬をきたしたそうな)、想定外の徹底的な負けで台湾に追いやられた(こんな羽目になるなら別の手があったろうときっと思ったはずだろう)によって、そしてその台湾政権の不安定な力のなさによって、資本主義のとりでは日本列島に築かざるを得なかったことが日本の復興、高度成長につながった。もっとも最近の研究では、「高度成長」ともてはやすが、同じ状況に立った際の韓国やインドに比べると日本の成長スピードも結末の成長成果、その期間も下回っていて、追い風があったにもかかわらず、さして大して「高度に大成長」はしなかったという冷静な経済分析があり、まぁ周りの状況は異なるが、実際そうなのだろう。まだ世界に前例が出ていなくて起こったことなので、一応みんな当時は驚異の目で見ていたってだけで。

 

もちろん現在地勢的に見ても、中国が世界も認める立派な国であれば、いよいよ日本の存在意義や価値が薄れるわけだが、いろいろな意味で大暴れして扱いにくい国であってくれるおかげで、おとなしく素直な日本はまだ欧米からペット扱いで可愛がってもらえる余地があるわけだ。世界に好かれる中国が成り立った日には(そういうことがあるか分からないが)、ちゃんとそれでも日本は独自価値を認められ、リスペクトされる存在たりえるのか、それはまさに、やはり経済活動、文化活動をふくめた戦略なんでしょうね。