zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

【いろいろ】右ハンドル【自動な自動車】

科学は日進月歩ですね! 自動ブレーキや自動運転,どんどん新たな技術が開発されています。わたしは,開発する科学者のポジティビティよりはいつも悲観的なことや悪いことを思いついてしまう癖があるので,よくつまらない文句を言います。

 

さて,アメリカにでかける直前に我が家では,車を買い換えました。

まじめに車というものにつきあっている人々が,古典的にはだんだんよい車というものに乗り換えていったり,社会的地位の上昇に伴ってすばらしい車にお乗りになられるらしいということも閃聞したりしますが,もちろん我が家では異なります。

 

兄がドイツに赴任している間,車を譲ってもらったり,妻が免許とって運転しやすいものに変えたり,子どもの送り迎えに便利で妻が運転しやすいものにしたり,ふつうのに戻したり,いきつもどりつです。車には金をかけない方針なので,せいぜいこの「ふつう」というのはホンダアコードだったりします。だんだん小さくなってそのあと,トヨタアクアとかになっていました。アコードでは視野がめちゃ悪いのでアクアにしたのですが,それとて,十分ではなく,わたしがアメリカに去る?にあたって,日常のお抱え運転手,ドライバーが不在になるので,息子にもちいとは運転させようということになったようで,そこで・・・超初心者が安全に運転できて車庫入れできるというコンセプトでトヨタのルーミーに変えました。

 

わたしはそれを見ずに渡米したわけですが,このたび一時帰国しまして,そのお鼻の短さに驚きました。幅を長さも短いので,我が家の車庫に入れるのもかなり容易になっています。ちょっとした狭いところでの取り回しや回転もできちゃうという小回りのよさです。確かに幅が小さければそれだけぶつかることも少ないでしょう。ありがたや。

これは自動ブレーキ機能もついているのがポイントで,まかり間違って息子がぶつけそうになってもストップがかかると。その上,これは昔からありましたが,何か近いとピピピピという音が。しかも余計お世話なことにちゃんと車がごらんになっているのか,2車線とかの道で車線をまたいで運転しているとピピピピとご注意が!いやぁ井の頭通りは二車線またいで運転するのが快適なのだが(左からしかカンパチを直進できないが,2車線快適に走れるほど車線が広くなくて,みなさん窮屈に無理矢理2車線で走っている上に左に駐車車両がしばしばいるので,いつでも左にいける雰囲気でやや右車線によってまたいで走るのが井の頭通りドライバーというものです(嘘です。わたしがやっているだけです)。

 

ローカルな話で恐縮ですが,我が家がしばしば通るルートでは,甲州街道から中央高速側道を久我山に向けて走るというルートがあり,この戻りは,久我山方面からワープするようにいつの間にか桜上水に至る高速じみた上にあがったり降りたりまた上がったりする無法なスピード地帯を含んでいます。これが側道を無理矢理つくったせいか,カンパチの手前からカンパチを越えておりて,ふたたびあがるときには,首都高速にはいる路線と交差します。第2側道から高速にいく車たちと,第1側道からはいった上から降りてくるものたちで,大移動があり,わたしは家に帰るのでもちろん首都高速に突入するのではなく,左の側道に振るわけで,その3車線から再び最左翼側道を切り離し,側道2車線が高速ではないくせに,高速っぽく橋頭っぽく上がっていくわけですね。

 

さ~て,そのとき,・・・ウィンカーです!!

 

車が賢く上品?すぎるので(あるいは賢いわんちゃんのようにお行儀がよい?),ウィンカーは下品にかちっとなんかはまりません。ちょいと指でおろせば,てぃくてぃくといった感じで,ウィンカーが作動し始めますが,基本,その停止は「自動!!」です。

右にハンドルを切って戻せば,ウィンカーは切れます。

 

もちろん! 東京はそんなんじゃぁない道だらけです。二手にわかれるが,あまりにゆるやかに右カーブしているとか。ウィンカーはおさまりません。上品なので,そこで切ろうと思って,ぼんと触って戻すと,左ウィンカーをつけ始めます。実にいい案配で力加減をしないとおとなしくとまってはくれません。反対のウィンカーがつき始めてあわててそれをまた停止させようと・・・という滑稽なことになります。高速と左右入れ違い移動をなしながら。 これ・・死ぬでしょ。

 

ただ,車線変更する場合は,ちょっと以前から確かにこういう車はあったので,左ウィンカー出して,左車線に移ったあと,右ウィンカー出しているやつがいたら生暖かく見守って,あるいは近寄らないだけですね。

 

しかし,構造的にかならず,第1側道から中央側に全員右ウィンカー出しながらはいって,あがっておりる途中に左ウィンカーだして,首都高速に入らない側道側にすべっていくことも多いという状況では,その下の方から第2側道からやって来た車は,前の車が中央から側道側に移ってくると左ウィンカーを見て思い,それと入れ違いに場所を占めるように,同時に右車線,首都高速側に移動するわけです。右車線の左移動と,左車線の右移動が入れ替わるようにほぼ同時になされるわけですね,まぁ70Kmくらいの速度で。

 

だけど,入れ替わる気がなくて,そのまま首都高速に入りたい人は? さっき右ウィンカーだしていて,上っている間に(もちろんその段階でウィンカーは勝手に切れないから),手動で切ろうとしますよね。だけど,ルーミーでは・・・即,それは左ウィンカーが入ることに!! 恐ろしい,そんなので,あと30m首都高速に向かって走る車の目の前に側道から,こっちが左に行くと思って入れ替わってくる車がこっちの右車線にいきなり!!重なるように入ってくるでしょう,あ~おそろしや。

ウィンカーの間違いって,結構致命的だと思いませんか? 4車線くらいで走っていたら,まんなかあたりの車はどっち行くかわからないじゃないですか。さっき右ウィンカー出して移ってやつが,さらに右に行くこともあるし,しばらくあとに左に戻ることもあるだろうし,それを信じて予測して横を走っていると,ウィンカーの間違い,ウィンカーとその車の行動が異なるときには,危ない場面はありますよね。

 

通常の車も曲がってからハンドル戻せばウィンカーは勝手に切れます。が,ルーミーはそれがずいぶんおしゃれなしくみになっているのか,通常のちょいだしという行為選択肢がなく,ちょいだし動作=完璧ウィンカー動作なので,このモードでは,車が回転を検知するまで自動的にウィンカーの継続程度を判断し,1回ついてやめてくれるとか,必ず3回か5回ついてやめてくれるとかそういうことになりません。かちっとはまらないので,「戻す」という操作がそもそも「おさまらない」ので,要するに運転者にとって,「ウィンカー出し(とめ)」という行為の統制可能な程度(controllability)が大幅に減っているわけです。

 

ちゃんと曲がるときに,ウィンカーを用いる。そういう世界観で車が制作されている。あくまで道路が片側1車線しかない世界ですね。東京で販売しないでください。迷惑だと思います。とは言い過ぎかもしれませんが,まさに「自動性が事故を呼ぶ」まずい典型例だと思いますね。運転しない人が思いついたのでしょうか?そんなわけないと思いますが。謎です。

わたしはコントローラビリティが好きなので,この車がやたら頻繁にスピード落ちただけでエンジンを勝手にとめたり,いちいちそのくせガルルンゴゴシン!っとださい音をたてて,エンジンをかけ直したりするのもめっちゃ不愉快極まりないです(これはやめられるモードがあるが,妻はあっていいだろうとそのまま使う方針である)。エコで,バスさんがやっている程度にやってくれる分にはエコ活動にけんか売る気もありませんが,明らかに過剰動作で,止まる寸前に勝手に先に切られたときには,渋滞のろのろに近くて今このとき,急に流れが動き出したらどうすんでぃ!!!と追突の危機さえ感じたものです。

 

かくのごとく,いろいろ妙な自動性が車にくっついていると,自分が制御しているのではなく,メカニズムが制御している感がいっそう強大になっていくので,わたしの場合,その副作用としてもう今日あたりは,この車今わたしがブレーキふんで本当に止まるんだろうかとか,自分が踏もうとしているのはアクセルではなくてブレーキだよね,などと過剰な警戒心と不信感が持ち上がってくるようになり,あぁわたしにはこの車は運転できないと思い,きっと車の方が,もっと純粋無垢でポジティブ心理学が好きな人向きの仕様で幸せに成り立っているんだなぁと,安い車なのに,「車が人を選ぶぞ!!」なんて思った次第でした。

 

いやぁ「自動車」ってほんと便利ですね。 もうマニュアル車にして何もしないでほしいよ。いや,安い車だからだって? あぁそうかもねぇ。 クルーズとかはあった方が便利ですしねぇ。

 

あ,タイトルに「右ハンドル」ですか? はじめは妻が不安がってわたしに運転させなかったのですが(そもそもウィンカー出さずにワイパーを動かしたりしていたので),原村で運転したり,いまだに子どもを駅まで迎えに行ったり,吉祥寺に買い物に行ったりで,結局,無意識でも右寄りに位置取りするようになってしまって・・残念ながらアメリカに戻ったら,きっとこの逆で位置取りを左に修正しないといけないレベルに自分の「自動性」が再形成されちまったかなと・・,たかが数週間で・・もったいないと。まぁそんなことで。帰米するといきなり夜EWRから78号線ベツレヘムなので,眠くても意識をしっかり保たないといけませんよね。

昭和史を読む

マッチョなことは嫌い。これは昔からだ。

自分はことばづかいが悪いから、あるいは意外に思う人もいるかもしれないが、あまり男らしいことはきらいである。別にジェンダー的には異性愛ですけど。

 

幼少の頃、近所の同じ年くらいの子どもたちが遊び材料にかえるやら生き物をつかまえて、ときにはネコとか、動物実験的に(わたしの目からは)虐待しているのがすごくいやだった。でも、思えば自分は腰抜けなのか、いやなわりに、直接友達のやっていることを「止めた」という記憶はない。

 

そんなわけで、小学校の頃は、普通に少年雑誌でスポ根マンガを読んでいたが、題材は大体野球かサッカーで、あしたのジョーも欠かさず見てはいたが、実のところボクシングとかの殴り合いはあまり好きではなかった。そもそも血を見るのが嫌いである。

 

だから、やたら競い合ったり、殴り合ったり、戦闘シーンを見ないで済むことに少女漫画で気づいてからは、もっぱら少女漫画雑誌やコミックスを買ったり、立ち読みしていた。このスタンスは今も不変である。

 

ってそんな話がしたいのではなく、「戦争」だ。そんなわけで、学術的にも知識的にも重要だってのはわかっていたが、どうしても戦争本に手が出ず、読む気になれず、そのあたりの知識が全くもって欠けている(近頃流行った応仁の乱の本とかあるが、古代、中世の戦闘の原因、成り行き、結果とかのある意味、古すぎて抽象的に近いものは適当に学んだ。しかし明治維新につながるひとつひとつの細かい戦闘についてはやはり読む気にならずいまだに知識が貧弱である)。

 

といっても近頃、民主主義などを考察しているとどうしたって、日本の場合は、明治以降の政治の流れや戦闘にも目配りせざるを得なくなってくる。江戸時代と明治にはからきし関心がなかったので、明治時代以来の近代政治の流れなどは大して承知していないが(読むのはせいぜいどちらかというと戦争を積極的にしない側の西園寺公望とかを描いた新書とかだ)、たまたま帰国したのが、敗戦の記念日に近い頃だったので、「昭和史講義」(ちくま新書)を買って読んでみた。

 

最新の研究から執筆者たちが語っているので勉強になった。雑なイメージしかない日中戦争への突入や太平洋戦争への突入がこういう簡単な記述を読むだけでも、なかなかに難しいことに気づかされた。

戦争は容易に統帥できるゲームとは違い、遠く離れて正確なことがよくわからない(特に当時の通信手段では)状況で、必ずしも思い通りに統帥や作戦遂行ができないなか、現場が勝手に流れで動いていく。シミュレーションするには、そうした立場のことなる現場での力動を十分加味しないと、理念的にこういけばこうなるだろう!ではないのだということが、古代以来の多くの参謀、策謀家が直面したであろう常識にぶつかるのである。そしたまた必ずしも「現場」のみんなが暴走しているわけでもない。

 

グラナダで中国の国際放送が7月7日盧溝橋のふりかえり、討論をやっていたということにも少し関心が惹起されたところもあったが、素朴にはずるずるととか、こっから突入とかあるが、盧溝橋でさえも直後、講和というか停戦合意ができそうになったこと、現場でもある意味責任者たちは「どう終わらせるか」必ずしも考えていないわけではなかったこと、当初誰も長期化を望んでいなくて、ちょいとアタックして有利な条件を引き出して、さっと停戦合意みたいなことは実際繰り返されていたこと、そうした当時の状況からすれば、何をすれば長期化という失敗に突入していくかわからない、なかなかに難しい状況であったのだろうことがわかる。特に中国戦は宣戦布告していないので、国際的にちゃんと?戦争に突入したわけではなく、日本国内の理解でも当初は小競り合いの延長くらいの意識しか持たれていなかったという。さらにまたそもそも一体誰を中国の代表として相手にするかが混乱もしていた時代でもあり、どのような中国政府を想定、形成していくかという企図についても3案ほどあったという。

 

そして、当時いかにアメリカや日本そして皇室も「共産化」という当時世界が直面していた「最新」の動きに、現代からの想像以上に怯え、怖れ、警戒をはらっていたかも知ることができた。わたしたちは現在、共産主義が失敗したことを知る世の中、長い間日本ではそういう方向性は決してメジャーになることなく終始しているというあとづけの知識から見ると信じられないくらい、ある種の知識人は本当に、世界の必然的な歴史進化の動きが、資本主義→社会主義共産主義と進展していく可能性を考え、あるいは怯え、政府への不満や国内の混乱がそうした動きに結果することをいかに警戒し、おそれたかということだ。

 

また、途中まで「中華民国」(資本主義)をある意味、日本もアメリカも応援しつつ、日本は戦うことになってしまったが、こう簡単に?中国陸地部が共産主義側にいわばとられてしまうというか共産化されるとは考えていなかった(中華民国をなんとかかんとか立てられてそれを中国の代表として考える(実際中華人民共和国との国交復興前まではアメリカも日本も台湾をゆいいつの「中国」とみなしていたわけだが))という未来予測のもとにあれこれが行われる。このちくま新書でも井口氏が指摘していたが、実際中華民国が力をもって中国平定を成し遂げていたら、アメリカの極東、東アジア戦略の中心は中国となっていたので、実際の大戦後のように(冷戦、朝鮮戦争)、日本を重視したり、日本の重化学工業や経済復興を認めて力を貸したりなどという方針にはアメリカ(&西洋)がなっていなかった可能性があることも、その指摘にはっとした。

 各地にもっていた工業施設は実際、満州においては解体されてロシア(ソ連)に持ち去られたらしいが(戦争被害補償という理屈らしい)、他のあちこちも中国に移設という選択肢があり、日本の工業の設備の空洞化が起こらないとも限らない情勢だったのが、たまたまというか蒋介石軍の弱体(なのに共産軍をあくまで敵視しつづけて、アメリカは共産軍も懐柔して連立政権を視野に入れた戦後復興を構想していたのと齟齬をきたしたそうな)、想定外の徹底的な負けで台湾に追いやられた(こんな羽目になるなら別の手があったろうときっと思ったはずだろう)によって、そしてその台湾政権の不安定な力のなさによって、資本主義のとりでは日本列島に築かざるを得なかったことが日本の復興、高度成長につながった。もっとも最近の研究では、「高度成長」ともてはやすが、同じ状況に立った際の韓国やインドに比べると日本の成長スピードも結末の成長成果、その期間も下回っていて、追い風があったにもかかわらず、さして大して「高度に大成長」はしなかったという冷静な経済分析があり、まぁ周りの状況は異なるが、実際そうなのだろう。まだ世界に前例が出ていなくて起こったことなので、一応みんな当時は驚異の目で見ていたってだけで。

 

もちろん現在地勢的に見ても、中国が世界も認める立派な国であれば、いよいよ日本の存在意義や価値が薄れるわけだが、いろいろな意味で大暴れして扱いにくい国であってくれるおかげで、おとなしく素直な日本はまだ欧米からペット扱いで可愛がってもらえる余地があるわけだ。世界に好かれる中国が成り立った日には(そういうことがあるか分からないが)、ちゃんとそれでも日本は独自価値を認められ、リスペクトされる存在たりえるのか、それはまさに、やはり経済活動、文化活動をふくめた戦略なんでしょうね。

 

 

日本へ買い出し、調達

いやぁネット環境大事ですよね。まずいです。

 

アメリカに行く前に日本で購入したHanacellのスマホ機、「日本でも使えます」って売りにしていたから、通常のスマホとして遜色なくというかアメリカで使っているときのように「日本でも使える」と思っていました。どうも「使うこともできなくはない」ということでしょうか。でもLTEで接続ができていないので、結局Wifiが使える環境にないとただのメモ帳付きカメラみたいな小箱になるだけです。(しかも内部容量がすごく小さいので満足にアプリもインストールできません。元からある全く不要なアプリを削除しようとするとそれは無理みたいな・・・おいおいっって感じです)

 

で特段今日本に帰国していて自前のWifiルーターを持っているわけではないので、要するに日常、自宅のなかからしか通信できません。空港でもそうでしたが、ipadとかならFreewifiがつながる状況でもこのスマホはどうにもつながりません。ログイン画面がどうやっても出てこないという問題があります。で、日本でもフリーWifiが使えそうな場所でもスマホは使えないという・・・。ま、あと2週間だからいいでしょう。学会会場ではipadを使いましょう。

 

9日から12日まで関西におりました。さらに悪いことに関西の実家(関西での家)はネットが苦手な高齢者世帯で、父の死後は解約して何もインターネットが使えるなんらかの回線をひいていないので、昨年度まで自分がいるときは手持ちのWifiルーターか、かつての(携帯)電話回線LAN でつなげていました。それは問題なかったのですが、3月に全部解約して行きましたから、関西においては研究室からしかインターネットにアクセスすることができない状態で結局ほとんどアクセスしませんでした(院生と7時間話しているのがせいいっぱいで結局ネットを要する仕事はひとつもできずじまい)。

 

法事をこなしたあとは、土曜日新幹線で帰京し、息子のサークル演奏会に出向き、朝4時半起きなのでふらふらしながら戻ってきました。本当はこちらでも今日、妻の側の墓参りに行くとか言ってたのですが、力尽きて妻子だけで今でかけております。

関西を往復してようやく一週間ほど落ち着いて東京にいる状況になったので、なすべき仕事を整理して前に進めていきたいと思っています。

アメリカで主力で使ったいたPCがいるときからそうなんですが、だんだんディスプレイがおかしくなってきたので、補うためというかさらに持ち運びの勝手のいいのを科研予算を用いて大阪ヨドバシで現金購入し、そのまま事務に書類を出し検品をして持ち帰ってきました。本日、もろもろのソフトをインストールしております。前に記事に書いておりました一太郎も入れました。一応SPSSも入れました。実験するのに描画が必要なので花子も入れておきました。やっと仕事ができますですよ。

 

さて、ようやく本題ですが、アメリカで手に入りにくいものいろいろこちらで購入して帰る予定がありました。ペンシルベニアですからNYほど手近に日本食料品店(ついでに雑貨も少し売っている)がなく、あるいは売っていても超高いものとかがあります。

 

関西にいる間にヨドバシで変圧器をさらにひとつ購入し、腕時計のベルトがやばくなってきていたので購入、交換し、近所のドラッグストアでかび防止、虫防止のシート、サロンパス、インスタント味噌汁、ミニチキンラーメンを買い、100円ショップでまな板、小さめのおたま、菜箸、朱肉、S字フック、でかくない歯ブラシ、箸をもう一膳買いました。予定のものはほぼそろいました。ひがしまるうどんスープやゆずこしょうも手に入り、トランクに試しに詰めてみたら以上のものだいたい収まりそうなので、あとセーターの追加などの衣類と本を合わせて持ち帰りしたくはできました。

 

一ドルショップで売っているものも「100円」よりは高いのでかさばらないものは買ってしまう。またサイズ的に歯ブラシとかそうですが、安いのだと大きさが合わず、コンパクトサイズで必要なもの(使い捨てカップに味噌汁やスープをそそぐことが可能な大きさのおたまとか)という観点も重要です。

 

関西の研究室から宗教、民俗本などはダンボール2箱にして、25日から滞在予定のホテルにEMS便で出しておきました。わたしの到着前に届く形になりますね。ひとつ失敗したのは郵便局からすぐ大学事務へ行って領収書含め控えも全部つい出してきちゃったので、せっかく追跡可能なEMSにしたのに番号を手放してしまい、大学は翌日から一斉休暇で次、いつ開くのだろう、たぶん到着頃には追跡できなくてあまり意味をなさない状態になってしまったということでしょうか。だいたいなぜか商売上は(ネット注文以外)アメリカは電話主体の社会でこうした連絡もホテルは電話なら受けられるけれど、連絡メアドなどは記していないのですね。他にもメールしても音沙汰ないけど電話したら話が始まるとか、そういうことがわりにあります。家探しでもWebから入れていても(だいぶん経ってから)電話が突如かかってきます。配送だけはSMSとかで届け日調整が現れますが、UBERでもいざ出会いないと電話になりますし、いざとなったら全部電話ってことですね。電話ないとさまざまな手続きが運ばないというのは大学の同僚先生に教えてもらっていたので、それで入国してからスマホ探すより、最初から持っていること優先で日本国内でアメリカ用スマホを調達していったわけです。確かに当初から大助かりで、またお店屋さんで会員登録とかなんでもすぐに口頭で電話番号を聞いてくるので、電話番号をもっていないと生活できる感じがしません(スーパー、レンタカー、文具屋等、ディスカウントショップ、チケット購入、鉄道、バスの切符購入、ランドリーもろもろの場面で)。

 

今、息子から電話で「今業務スーパーで買い物してるけど、アメリカに持って行くもんでなんかいるか~?」と問われましたが、かくのごとくだいたいそろったので「カイロしかもういるもんない」と言っておきました。まぁむしろおいしい晩ご飯とおやつでしょうか。業務スーパーならではの冷凍ホールケーキとかいろいろありますよね。キムチチャーハンの冷凍パックもいいですね。

 

ということで買い出し終了です。

 

こうした雑務を予定より早い段階でほぼ済ますことができたので、辞典執筆なども一項目でもたくさん、手持ちの資料の豊富な日本にいる間に書いてしまいたいと思います。

 

 

 

 

 

観望会

日本、帰国しました。暑いですね。

といいますか、改めていろいろ災害が起きている日々があり、あまり呑気なことを言っているのも気がひけますが、とりあえず観望会行ってきました。原村星まつりです。

 

夜中も(夜中こそ)星を見るために大きな望遠鏡をねらいの対象にあわせて見せてくれています。自分でやるほどのマニアではないので、小さい望遠鏡しかもっていませんが、それも今回は使わず双眼鏡で見るくらいです。土星が見えます。

 

土曜日の夜は、ときおり晴れ間の時間帯があったり、雲の間から見えていたりですが、とにかく月が今回は明るい(月齢12.7)のでそもそも星団とかは見えにくい条件なのですね。なので、もう月に焦点合わせていたりする方も多く、月をまじまじ見る感じです。

 

恒例のアクアマリンのコンサートもお姉さん長男5歳ともなり、パワーアップした感じで、初期の頃の線の細さとはまた違った迫力ある歌声でがんばってました。応援してます。アクアマリンのCOSMOSなんと「道徳」の教科書のどれかに掲載されるそうです。驚きです。宇宙市民のような観点持てみたいなことなんでしょうか。環境にやさしくとか。なんだかそういうお墨付き?をもらうのも微妙な感じがしますが、もっと知ってもらうための役に立つ点ではいいんじゃないかと。

 

ということで、朝市とかいろいろ高原野菜を買いこんで来て、夕食ではとれたての枝豆とかブロッコリー、カリフラワーなど満載で楽しんでおります。 が、ほんと暑いですね。

 

 

倉庫格納そして帰国へ

31日にはマイク先生と共同研究(連名になるかどうかはさらに計画がフィックスしてから決める)がおよそまとまり、この秋学期と次の春学期に何をするかが決まった。大学院生の協力というか参加を得て、Blame現象についてちょいとデータをとるつもりだ。

 

ということで、31日に仕事を終えて、プリンター含め研究室を完全に片付けて荷物撤去、倉庫に搬入した。もちろんKatieにJush Candyを置いていった。研究室は返還になるから、部屋の鍵もID Officeに返しに行って、なんかもう立ち去る雰囲気ですよね。また来るけど。 また来るはずなのに、なんか来て最初に入ったスーパーをうろつくと3月2じゅう何日だかが懐かしい~とか思っちゃって、いやまた来るでしょと。

で、その後何回かに分けて本日最終搬入して、段ボールやバッグなど、荷物と言えそうなものは結局9個あった(別に残った水のボトルパックと洗濯洗剤はそのまんま置いて)。意外にありますよね。でも来たときのことを考えると~、持って来てまた今度持っていく身に着けている最重要のバッグはのけて考えると、スーツケース2つとでかいバッグひとつで、それで他に本とか諸々大学に段ボール1つ送っていたので、元々4つある。そのうちのスーツケース自体はもちろん帰国に持っていくが中身が大幅に異なり、こちらに置いておくものが多いから、それをばらすと5個分くらい。それでも4個増えているわけだね。

 

新たに買った段ボールが3つとおとといStaplesで買った透明ケース(衣装ケースの道具箱版みたいな、衣装入れよりも幅がずっと小さい)、元々の本の段ボールの他、新しい段ボールの1つが主に本で、1つが主にスーツケースから出された衣類なわけだから、あとは、雑貨等々が2つ分あるってことですね。意外にかさばりますよね。

 

雑貨の主なものは、電気スタンド、コーヒーメーカー、時計の重要3点セットの他、この宿で新たに買ったフライパンやフライ返し、前からの缶切りやラップ、虫よけスプレー、文房具、旅行中せこくためたシャンプー、石鹸類のジプロック、若干の食器がかさばるものの主たるもの。3週間置いておく食品類はここで買ったオリーブオイルとガーリックソルトだけ。ジプロックに入れて格納。やはり虫の餌食になるといやだからあとはすべて廃棄。腐るかもだし。(要するに残ったマヨネーズとチリソースとBBQソースを捨てただけだが)

 

で、帰国したら大学から宗教、民俗関係本を主に送るわけだが、Priority郵送で送るとしてあれは日付が全く分からない。3週間からひとつき。経験上だいたい3週間で届く。10日に出すとぎりぎり31日。考えどころだ。でも新しいアパートでは早く来た場合に受け取り不可能だから、今日、再渡米後、月末まで滞在する宿(今の宿の近所)に出向いてお願いしておいた。万一早く二週間ちょうどで届いたりすると24日でこっちが来る前だから、届いたら捨てないでおいといてね、箱1つだけだからと説明して承諾を得ておいた。ぜひ滞在中にちょうど届いてほしいものだ。ということで一応送り先は確保できたのでよかった。

 めっちゃ遅く届いた場合だけ問題でこまめに連絡して届いたことがわかったら取りにいくが、レンタカーは9月3日返却予定だから、そのあとだとどうするかってことになる。そのとき考えよう。バスでもいいし。安全なのは追跡可能なもっと速い便を使うことだが、大学からは10日にしか出せないから、えらく早く着きすぎてどうかなぁってことになる。届日指定ができたりもするがそんなに遅らせられるのか・・。大学から一旦東京の自宅に送っておいてタイミング見はからって速い航空便っていうのが最も確実ではあるのだが、あまりにバカらしい。と、くだらないことを考えるのにあれこれ時間を費やしても仕方ないので、そんなあたりで片づけを終了して、持っていくスーツケースの中身が動いたりしないか確認してます。

 

レイキャビクでスーツケース載せるのにすごいぶん投げている光景を見てから、あ、これはスーツケース空だとだめだなと思ったので、家人と相談して、飾り模様のあるペーパータオルとか紙ナプキン、ジプロックなどをスーパーで買い、詰め物代わりに入れてかさ上げして、まぁでも今計量すると15kg。そんなものですね。

 

ということで、あしたフライトです。今夜は何も汚さないレンチンものを晩御飯に食べて終わりです。お疲れ様で~す。

 

 

ミートボール?

キッチンあるのでいろいろ単純料理を楽しんでいるのですけど・・。

失敗しました。ミートボール。

 

な~んかいい冷凍食品も買おうかなとスーパーで物色していて、わりに好きなミートボール、これだ!と思って、説明書きを見る。すると、オーブンで焼け、あるいはオーブントースター、あるいは油で揚げる??最後は何で?とちょっと思ったが、オーブントースターでできるんなら最低限、フライパンで転がしてたらできるんちゃう?と買った。

 

で、まず解凍気味にレンジかけてみるかぁとレンジに入れていたら、・・・モクモクモク・・・お、煙、ヤバい!

 

すぐ止めて、なんで焦げるのか・・!? よく見たらどうも想像していたミートボールとはちょっと違って衣みたいのがついている。これはパン粉?パン粉だから焦げたのか?? で、かちかち。水気飛びました? おかしいな。固い。

 

では、煮よう。ミートボール煮込みとまではいかないが。フライパンで。カップスープの素があるからそれをお湯にとかせばちょっとクリーム味ミートボールになるんじゃない。

 

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焦げ焦げ~

 

で、途中で味見してみると・・なんかコロッケに近い食べものだな、これ。衣があってミンチが・・ミンチカツ? そりゃ普通煮込みませんね。煮込みカツにもしない。スープは悪くないが、一旦焦げた分はどうしようもない。食べられましたが・・・あまり今日はおいしくなかったですっぅ。失敗。

原村行くぞ!

暑い状態の日本に帰りたいというわけではないのですが、家族と離れて4か月以上経ちました。一緒に海外というプランが敢無く潰えて、一人赴任も新鮮な経験もあり、楽しい部分もあるのですがこのままでは独身なれ?してしまいそうです。

 

考えておりましたが、いくら宿代が安いとはいえ、宿泊費とレンタカー代を合わせて考えれば、一日一日いるごとに支給される日当よりも赤字になっていくわけですね。幸い、マイク先生の研究の話を31日にできることになりました。研究計画にめどが立った。ということは長居することもないということで・・・・・原村!!

 

ちょっと帰国期間が長くなるなぁと二の足を踏んでいたのですが、今回こっちに送らなかった書籍について4月あたりからすでに後悔しており、荷物減らして仕事できないんじゃ本末転倒ですから、ちょっと慎重に選択して、日本から必要な書籍は一気に送ることにします。

後半のポリサイ(政治心理学)や公正、偏見、宗教、文化など広範なものに対応できるように。特に文化は日本の古いもの、民俗学がこちらで手に入りにくく、Kindle化もされていないし、古書になっているものはAmazonも直接こっちに送ってくれないし。

ということで、日本の本を選ぶのにもゆっくり時間をかけた方がいいかなと。さらに書かないといけない原稿がありますが、これも置いてきている図書を参考図書として使わないと原稿が完成しません。予定より長くしても仕事は終わらないくらいあるってわけですね。

 

いずれにしても、31日限りで研究室追い出されることになったのが、帰国時期を検討する端緒になったわけですが、本日、研究室を貸してくれたケイティ教授にお礼のチョコレートをベツレヘムではお土産やお持たせに利用する数少ない店であるJosh Candyに行って(幸い宿から近い)、アソートを買いまして、お礼を記したカードと共に机の上においておきました。(まだこちらいますけど)

 

で、こちらにある書籍と当分使わないものを段ボールに詰めて、倉庫に搬入しました。うっかりガムテープもっていなかったので袋のせてふたにしていますが、それは31日にまた貼ることにします。

 

プリンターももう持っていこうかとも思ったんですが、ちょっとぎりぎりまで粘って31日に最終的に撤去、運搬します。

倉庫ではまず、買い込んだビニル袋を下に全体引き、その上にマットをひき、段ボールを2つ積み重ね。トランクはシートをとめる感じでどかんと・・。な~んか頼りない感じです。上は屋根までの途中で抜けているし。

 

段ボールでは頼りないので、ひとつプラスチック衣装ケースみたいのを購入して、コーヒーメーカーやフライパン、若干の調味料をジプロックに入れたものなどはそこに入れてやや密封に近い形で置いておくつもりです。

 

さて、ちゃんと再入国できるか。本日ジーンさんは今週バケーションということでいませんでした。他の人が6か月有効のサインをもうもらっているから大丈夫だよ!というので、まぁそれでいいかと。一応最新のI-94はプリントアウトしておきました。J1ステイタスの確認。再入国時に提示します。

 

昨日、紀要論文はひとつ書き上げたし、本当はもう一本書きたかったけれど、実験計画が2つできたし、共著論文投稿の方は春学期の間だいぶ手を入れたりして時間をかけたのがとにかくできあがったし、まぁいいかと。

大学でやる実験はやはり離れているといろいろアクシデントで他の教員との意思疎通がおろそかで春にはできず、秋に延期になってしまいました。遠慮して延ばしたのに再び時期がかち合ってしまうという不運ですが。

 

と、なんか状況説明みたいな回になってしまいましたが、原村観望会に合わせて帰国をします。国際理論心理学会の発表後にアメリカに戻ります。

 

一度Weehoken中を見ておきたかったなぁ。必要な設備、用具見ると分かるから日本から持っていけるのだが、時間がなかったです。見ないまま引っ越すのも不安なので、8月終盤引っ越し前に一度行っておきたいと思います。

 

一時帰国は気が楽ですよね。荷物はお土産とてきとーな詰め物でほとんどトランク空だし。帰りにいるもの詰めて持ち帰るのが重要。といっても、朱肉、はえたたき、電動ひげそりの掃除ブラシ、忘れて必要なもの、こっちで入手できないものってささやかでアホみたいですよね。あとはサロンパスと使い捨てカイロの追加。一番大事なのは、医者に行ってまた薬を半年分もらってくることです。

 

つまらない駄文でお粗末さまでした。(在外研究にまつわる事務的な報告事項としては抜かせない点を含んでいるかなと)大学には学会参加の証拠書類として名札とかホテルの領収書、航空券とかいろいろ用意して出してくるつもりです。

 

原村2泊できるとよかったのですが、もう安めのいつものペンションがあいていなくてとりあえず週末1泊を押さえています。とれれば金曜日から行っちゃう手も。時差ボケで運転したらやばいかもですが。