zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

荷出しと引っ越し

18日の荷出しは予定時刻にヤマトが取りに来て、あっけなく済んだ。本などを詰めた小ダンボール4箱と、衣類を入れている大1つ、+プリンターで計6個だ。結局これだけなら普通に郵便局から船便で発送と代わらないというかどっちが安いのか分からないが、一応ヤマトに宅配便の値段と比べて・・・と言ってあったので、自宅まで取りに来る宅配よりは安いのだろう、保険付きだし、7万円。重量測ったりすると本が多いから重いしなぁ。ふつうの荷物なら遅い航空便でも1万円あればこの小ダンボールの大きさなら行きそうだけど。本当なら本とかこまめに航空便にした方が遅い方の航空便でも断然早く着く。

船便だと2か月半と言われた。まぁ2か月くらいで着く気はするが。当面使わずに執筆ができそうな本をまとめて放り込んだ。まぁそれはいい。

 

それでその翌日の夕方、レンタカーを借り出してさらに翌日の20日朝から引っ越しだ。19日から熱がある。風邪ひいた。ちょっとつらいが、作業せざるを得ない。19日はふらふらしていたからレンタカー借りた後寄ろうと思っていた買い物をあきらめて、すぐ戻って薬飲んで寝た。20日の引っ越し当日は19日よりかは体調がましだ。

 

で、10時くらいにWeehawkenを出て、13時予定のチェックインには時間があるから、この地域のWalmartに初めて寄った。沿岸ではなく、より奥側にあるSecaucusという地域にある。New York Pennstationから列車に乗ると一駅目のところがSecaucusなのだが、その駅からはちょっと離れた北方だ。大きなショッピングモールでSam's Clubもある。妻所望のSwissMissのホットチョコ、ラズベリー版を探すが、ミルクとマシュマロしかない。なかなか見かけないラズベリー残念。健康志向なのかSugarZeroというのがあった。試しに1個購入。体調がよくはないから行き先に着いてからまた買い物に出るのはきついだろうと思い、1週間分くらいの食べそうな生鮮品を含めた食糧を買い込む。とにかくWalmartは安い。うっかりコーヒーも寄付してきたので、インスタントコーヒーの小さいボトルも1本購入。コーヒーないと生きていけない。今もそれを飲みながら打っている。

 

で、昼にBurgerKing。わりに好きなのだが、近所や大学近くの歩いていけるところになかったので、ご無沙汰していた。久しぶりにベーコンキング。風邪ひいても食べれるのはわたしのいつものこと。でも前日は食欲さすがになかったので少しはましということか。

 

BurgerKingは少し離れたところにあるので車で行く機会をねらっていた。7往復して車に荷物搭載したのでそれなりのおお荷物。Walmartで買い物してさらに荷物増えた。のんびり食事していたら12時半になったので、もうNewPortに行くというかここNewPortのなか。

 

タワーマンションというほどではなかった。40階とかじゃない。22階建て。まぁでも自分が住んだ経験がある範疇で言えば高い建物だ。

北棟と南棟が向かい合って、間が中庭、広いパティオになっていて、クリスマスシーズンの飾り付けがしてある。ハドソン川にほど近いので、マンハッタンが見える。なにしろ道の名前は、River Drive

だし。

ドアマンがいる。荷物かかえて来るといちいち開けてくれる。

一時間50セントで止めていられるから安い。ここでも7階まで7往復。来た時はスーツケース大きいのふたつ両方に持ってずるずる歩いていたが不自由なのでこういうときは1個ずつ運ぶ。でも、こんなに荷物あっていいのか?

 

同居者は夕方あたりいていろいろ教えてくれるよとAirbnb連絡であったが、まだ昼なので誰もいない。気楽にばたばたと荷物を運びこみ。休憩・・なんてしてたら駐車場が時間切れなのでそこそこにして、車に戻り、体調もあれだからさっとレンタカーを返す。で、電車で戻ってきた。

 

部屋を探検。ベッドルームは2つだけだ。スーシャンという男性がバス側の奥の部屋。もし貸し手自身が泊まる場合はリビングで寝てるような形跡がある。ベッドになる広めの平たいソファ、というかこれベッドか?よくわかないものに毛布が置いてある。

 

部屋には机がないが、今はリビング隅の汚かったダイニングテーブルを掃除して片付けてデスクワーク場所にした。自分の部屋のすぐ前のスペースで違和感がない。目の前にTVもあるが、つかない。リビングのTVにはケーブル引いていないのか。

 

長くなったのでここまで、次回キッチンの格闘。

あれやこれや

先のに簡単に記しましたが、とんだ騒動でした。うまくDS出ないと12月22日までに退去ではないですが、一旦出た方が無難と言われ、はじめ国際部ではカナダに遊びに行ってきなさいというスゴイアドバイスが得られ、カナダのホテルつき航空運賃格安チケットとか見てたら、弁護士事務所ではカナダ、メキシコでは外出た証拠が危ない、ヨーロッパに行けwと言われ、今度はせっかくなウィーンかとか欲張って冬のイベント情報と安いチケットがないか見ていた。

 

しかしどう考えても無駄な余分の出費だし(金持ちならよい機会として年末年始のヨーロッパ周遊でもするところだろうがw)、日本に帰ろうと。

 

国際部からは別々の人から二度にわたり、だめ~みたいなメールが来たので、先々週(8日金)、一気にこのAirbnbのキャンセル(既報)、ヤマトへの引っ越し連絡を行い、11日(月)には段ボールがとどき、その日、ほぼ段ボールづめを完了した。全部で5箱しかないし。

(引っ越しは別版で続報)

 

パウロが別案示して可能性出たかと思ったのもつかの間、国際部よりダメ連絡。が、そのダメ連絡と同日、ぎりぎり業務終了前の夕刻4:50くらいに国際部からメールが、Great News!! とか。

 

結果、うまくやってくれて、Transferが成立。22日出国の必要は消えた。荷物詰めたし、Airbnbこの部屋もう次の人予約していて、何時までには必ず出てね~、あいよ!とか大家ともうやりとりしてたし・・・住むとこねぇ!!!どうすんだぁ!

 

新しい書類で、むしろしばらくいないと、どうもおかしいことになってしまうので、27日というちょっと押し詰まった日に出国することにしました。これはFacebookにはここら辺、載せない。年末年始はたぶんずっと沈黙しているでしょう(税制上)。ま、25日に給料日は終わるし、この間の稼ぎはもう1月分給与だからおそらくいいんだろうけど。もう兄が実家に行っちゃう時期だからなんの役にも立たんやったよ。いとこ(母にとっては姪)と裏の方に住んでいる友達がいろいろ日常手伝ってくれて、なんとか当面生きているようだ。母も気丈で「急がんでええから」、「来てもごはんつくられへんから」ってこっちがごはん作るんやろうが!ホンマ昔気質なんやから。昭和な思考。

 

1月に行ったら、こっちで作れなかった肉じゃかとか作って遊ぼう。ふだんは男子厨房に入るといやがられるんやが、こうなるともう仕方ないやろう。

 

で、出国を先延ばししなければならなくなったので、アジアで待機作戦も取れないので、このままこの辺で一週間過ごさないといけない。はじめ近所にいっぱいAirbnbあるのは知っているからずるずる荷物引きずって移ろうかとも思ったが、どう見てもずるずるで今は済みそうもないから(たとえ一週間でもホテルでないアパートで暮らしを営もうとすると捨てられないものがある。石鹸、歯磨き、タオル、パジャマ(トレーナー)、ラップ、オリーブ油、マヨネーズ等、ちょっとした食糧、炊飯器、米、ふりかけ、お茶漬け・・、ミネラルウォーターのパック)。運ぶの無理。

 

で、一日だけ6千円でレンタカー借りるとすると(はじめは空港に行くために借りるつもりでいた)、まぁどこでも行ける。

 

で、前に客員研究員の日本の方と街ブラしたNew Portがいいのではと、新しいAirbnb決めた。ここの駅からはPath(地下鉄)で、大学の駅まで7分。普段の通勤で4種類くらい行き方のあるうちのひとつの乗換駅ルートだから(Light Railの来る電車によって、Hobokenに止まるのと、New Portに止まるのと2種類ある。来た方に乗っているので、料金は同じ)、普段の通勤、半分以上進んだところにある地点で便利。そうたくさんもう大学は行かないがいろいろ用はある。

 

さらに、ここはもうNewarkに近いので、タクシー乗ってもしれてるし、空港まで便利である。帰りの途中で、成田宿泊ほどではないが、東京から京成で来て、途中の佐倉あたりに泊まるようなものである。

そんな田舎ではないが(ゴメン!)。

 

来る前はWeehawkenより治安が悪いということで、大学に近いが避けていた地点であるが、だいぶ様子もわかったし、一週間くらいならまぁどうってこともないので、というかどこに居ても爆破はされる可能性はあるので、Pathだって被害にあうかもしれないけど、まぁ確率的にOKでしょうと。

 

急ぎ途中まで院生と共同研究の話をして続きはまた2月に話すことにして、NYU的には一時帰国でまた2月に来るという状態で帰ります。

大学の制度としてはこれにて在外終了だから、今、研究計画変更届を書いて教務と国際部に出した。

 

よく考えればせっかくNY近辺滞在しているので、複数のアパートで多様な体験した方が同じような値段払うのならお得かもしれない(マンハッタン内に入ってしまうと値段が跳ね上がって無理なので)。アパートというか地点を調べると、まぁニューポートってちょっとお台場や汐留などの湾岸エリアみたいな感じのところだが、つるっつる、ぴかっぴかの新しい高層ビルが立ち並んでいて、そこのWaterside Square Northって2棟物のタワーマンション北棟か!? ホントか?この7千円くらいの値段で!! 行って見ないとわからない。テロが突っ込んで来ないことを望むが。

 

どんなところかは、20日午後の引っ越し後の報告をお待ちください。

 

その前にとにかく日本に送り返す荷物は明日18日にヤマトで引っ越し便出します。荷物リストは3枚。5枚複写式という懐かしい形式。Web上でファイルで書かせてくれればいいのに。変なExcelだとイヤだけど。記入も終わり、ほぼ荷詰め終了。きっと部屋がちょっとガランとするな。プリンターを使えるのは今日が最後。何か忘れずに打ち出しておかないとわざわざ大学に行くか、プリントセンターに行く羽目になる。

 

今日は午後からまた雪。

 

 

テロなのかPABT

今朝、PABT地下で爆破。テロとか。

 

こちらたまたま本日届く荷物配達を待機していて無事でございます。

UPSはいないと局に持って帰っちゃったりするので、再配達の手続きとかましてや取りに行くとなると相当離れた場所に郵便局があるのでめちゃ面倒。で、待機。それが幸い。

 

Port Authority Bus Terminalは少し遠路や州外(ニュージャージー

へ行く路線バスの新宿バスタじみた大ターミナルで、たぶん100以上のバス乗り込みゲート、200くらいの路線がある。

 

ニュージャージーからのバスは大体ここに着くので、通勤の際には毎回のように使っている場所。

 

主に2階、3階からバスが発着して、NJにはハドソン川をくぐるリンカーントンネル入り口に直結し、街の渋滞を避けてトンネルに入れる利点がある、うまくできた交通システム。戻りも左右両側からターミナルに入っていく側道が出ているのでうまく到着ゲートの3階にバスが入っていける。

 

ここの地下には、すぐA,C,Eの地下鉄路線が通っていて、最近割合使っている路線。4thStで降りると、北側出口は実質8thSt.の南、

ktla.com

 

ワシントンスクエアパークに近いWaverly Placeに出るので、公園をぶらぶらしながら大学に行くのによい道。

 

9月最初の方は、表を3分ほど歩いて、Q,R,W,Nの路線があるブロードウェイ線を使って、大学に一番近い8thSt.NYUを使っていたが、そうすると、特に雨などのときには、外ではなくこの爆破のあった地下の連結道を通る。8thAveから7thAveあたりまでつないでいるので、結構長い地下道でその間に42thStを地下で走っている、Grand Central駅とここをつなげるシャトル路線の入り口もある。地下道はややマイナーな空間で、屋外の道を歩く人の方が多いが、この交通の要所にテロをかけたというのはやはりちょっと衝撃である。

 

隅の方でこそっとちょこっとやるのではなく、ここはTimesSquareの最寄り駅であるので、まさに中心地空間で挙行されたということになる。ふだん通勤上ここら周辺を歩き回っている自分には十分脅威で驚きだ。ただ同じ場所に二度とやるまいからむやみに怖れても無意味でむしろ次の地点を考えて避けた方がよく、クリスマスシーズンとうかれてあちこち出掛け回るのは危険ということだ。どうせ今は先に書いたようにそれどころではないが、こっちも。まさに42thStのアラジンを見に行こうかと思ってもいたがちょっと気が萎えた。

 

テレビのニュースでは見慣れた通りの風景がずっと放映されている。

来るとき以来覚悟はしていたが、10月31日の飯食っているところから1KM先でのトラック突っ込みよりも地理的関係が深い。

初雪そして帰国へ

ここ一週間くらいたくさんのアクシデントと私的事情が襲い続けておりました。

 

母親が11月に自宅で深夜トイレにいくときにこけて、こけ方が悪く、胸骨骨折し入院していまして、手術はもう高齢で難しいからコルセットをはめて推移を見守り、歩くリハビリを続けていました。

 

これの回復しだいでいろいろ様子が変わってくることがあり、兄がみていますが、食事などに難があり、今まで家事全般してこなかったこともあり、親が杖でも自立歩行できていれば問題もないのですが、その点が気懸りです。あまりお義姉さん介護という状態にもっていきたくないですし、十分な介護ケアの資源を使い切ればよいのですが、どうしたことか母親は非常に昔気質でまた実家が自営業で切り盛りしてきた経験も影響しているのか、なんでも自分だけでやるということに固執しがちなので、これも危うい状況を生んでいます。今も2日間ほど介護ケアセンターからヘルパーさんに来て、足が不自由なのでやりにくい風呂、トイレ掃除、居室の掃除(自分の部屋以外はやってもらえないものらしい。だから私の使っていた部屋は掃除が入らない。もちろん自分でやってたけど。)などしてもらっていて、食材は適宜宅配という感じ。

 

兄と相談して東京引き取りということも小出しに提案してみたが、頑として拒否。頭と口は超元気で、大声の元気なかあちゃんなので、まぁそんなもんだ。関西人だし、東京来ても困るかも。とにかく時間かけても自分でやりたい、ヘルパーさんも最小限でできるだけ他人にうちに来てほしくない(お友達は別)って感じです。中途半端な社交性で人間関係がうまくないのは、わたしも兄も母もうちはみんなそうである。

 

さて、それが12月に退院する。どこまでできるようになったか。特にリハビリ継続中なので、退院したばかりでは、当然せんたくとかままならない(二階に持ち上がってバルコニーに干そうとする。乾燥機はいやらしい、なんだか・・)日光信仰か。

 

と同時にNYUがちゃんとトランスファーをやっていなかったことがここに来て判明。3か月チェックで指摘され、1か月猶予。ミスだから自分で出しなおしゃあいいのに、それはNYUはいやみたいで、「やっちまった。まずいけど制度上うまくないし、仕方ない放置だ。Hideyaが帰国すればNo Problem」というひどい決定がなされて、Johnも組織人としてなすすべなし。弁護士と今やりとりしているが、弁護士と国際部が対立。事態が進まず、膠着(弁護士は理不尽過ぎると言っているが)(民訴すれば賠償とれるぞと、いやもういなくなるし)、時間切れ狙いか・・・と実際時間切れです。でもというかうちの事情から言えばある意味、渡りに船であり、帰国せざるを得ない状況は歓迎である。年末まで実家で様子が見れる。年末年始は兄たちが来るからバトンタッチ。弁護士を使っているのはこちらの正当性を押さえておいて文書を作成して、今後アメリカ入国時に悪ければ拒否とかそうした事故が起こらないようにあらかじめて手当てをできるだけ確実にしておくのが主なねらいだ。

 

ということで一昨日金曜日急いでヤマトに連絡して、18日に荷出し引っ越し、20日フライト、15日から延長かけてきていたAirbnbの宿代は、これまでの他のゲストに対する数々の貢献、カギの管理の手伝いもときにあり、ほぼ全額に近い返金をしてくれた(本日付け)、感謝。ということなのだが、理由らしきことはもうひとつあってそれはまた来月以降に記すが、とにかく、帰国は教授会と理事会マターなので、13日教授会で帰国承認をできればとり、理事会に認めてもらわないといきなり1年間の海外研究員を中止して帰国はいろいろ面倒なこと(実は夏あたりから内心1月くらいには帰ろうと考えてはいたので、宿の延長も1月17日までにしていた。入試の試験監督はしてもよい覚悟というか帰ってもそれくらいしか業務ですることがない)。わたしの次の年度からの制度ならある時期日本にいてもどこか海外にいてもどっちでも1年を柔軟に使えるサバに近い制度になるが、わたしまでが旧制度なのだ。見かけ上、1-3月は国内研究に近い状態になる。もちろん日当が出ない。卒論チェックとレポート、試験採点がないというわけだ。(これは大きいですよね)院生とプロジェクトを進行させる。(まだ今大学で実験データを取り続けている。参加者ドタキャンが多く苦戦中) 新しいWeb調査を仕込んで用意しないといけないし、東京方面でのインタビュー企画もある。だから研究上ももう戻った方が進行の効率も上がるし、研究費執行にも便利である。

 

で、突然片付けモード突入。

余りそうなとんこつラーメンとかを日本人院生にあげる算段。使っていない七味。サロンパスはどうしよう?? 今日はまだ食べていなかったマーボー春雨を朝昼兼用に。チキンラーメンと日清焼きそばは順調に消費してきたから大丈夫そう。月餅が余るが賞味期限切れのもの・・。不要なものはこのアパートに大家への感謝もこめて寄付していく。食材も置いていけるのでAirbnbというかシェアでよかった。

 

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昨日はNJマンハッタン沿いHudonカウンティもNYCも初雪。初雪ちらちらと思ったらすぐ積もった。まあまだ大した積雪量でもなく、今日は溶け始めているけれども。

 

結局、ロックフェラーのイルミネーション見ながらホワイトクリスマスを経験することができないが、横にいる人がどうせいないのでむなしい体験もせずにすんだってか。もう少しミュージカル見たかったが、もっとあったかいうちに行っておけばよかった。聞いていたけど本当にいきなり寒くなるんだもんね。ただ、外は寒いが部屋のなかは超暑い。これが標準の過ごし方か? 今もアパートでTシャツ一枚、短パンです。古くて温度調整の効かないセントラルヒーティング、寝るときの着るものも夜中に少しずつ足していくような微妙な感じ。昨日は暑すぎてもってきた冷えピタをおでこに貼って寝ていたくらい。

 

さあ、どんどん片付けないと。それは原稿チェックも!!

最後の辞典は帰国してから書きます(資料持ってきたのに・・・)。

ペンシルベニアのこと

海外経験豊富な研究者友人と昨日あたり話をしていて、次々のここに書いたようなペンねたを話していた。

 

免許での内科医検診、大学での客員にあたってのFBI調査、J1ビザに伴う保険手続きなど、そんな厳格というか、そもそもそんな話を聞いたことがないという。

 

やはり全米のなかでも変わった州だったのかもしれない。このあたり一帯がそうかもしれないが、イリノイオハイオは違うというからアパラチア方面を辿って確かめないと、ウェストヴァージニアとか・・誰かいるのか? 全くやれやれである。

 

しかし、こうした興味深い話題を検討できるネタを体験したので、それもよしと、なんでも体験しておいて感じるものがあるのはいいことである。しかしならばちょっと以前まではペン州が民主党地盤であったことは不思議やねぇという話。移民系の票の関係かもしれない。

 

NYUにやはり客員で来ているという政治学の先生を紹介してもらい、来週会う。調査的計量や、階層論について話ができたら面白いと思う。さすがNYUはたくさん日本から来ているようだ。

 

もうあと少ししかいられないかもしれないが、とにかくできることを最後までする。

 

 

ミスサイゴン

はい、お友達がいらしたので、貧しいながらも最後はっちゃけました。Jazzクラブに行ったり、本日はミュージカル、ミスサイゴンを見て参りました。

 

昔ずっとロングランをしてましたが、上演されなくなり、それがまたリニューアルです。

 

このご時世に日本人であるわれわれが見に行くのも、サンフランシスコやマンハッタンの像とも結びつくシーンがあるだけに、いいのかおいおいって感じがしましたが、2人で行くなら心強いしと思い、むしろチャンスかと。

 

以前の上演を見ておりませんので比べることができません。すいません。しかしおそらく違うかなと思ったのが2幕冒頭。ベトナムに残してきた軍人の子どもたちの支援活動を行うというアメリカにおいても反省的行動が行われていることを強調するシーンからスタートし、そこではベトナムの子どもたちの画像がスクリーンに次々現れます。昨年日本公演もあったようなのでご覧の方もおられるかも。

やはり「正義」を重んじるアメリカとしてはいけなかったことはいけなかったと(シナリオ的に)正面から向かい合い、そこに生じた悲劇というものの意味を単なる悲恋物語ではなく、取り上げていると、この頃の時代ではそりゃそのまま妙な差別意識まるだしの上演では共感も得られないし、観客も気持ちよくないし、そうした仕掛けは必須だと思われますよね。

 

そうした建前が重要な国でありますから、国内のさまざまな差別だってたくさん残っていてひどいけれども、事件が起こるたびに(トランプさんでなければ)、それはひどいことだ、過ちを繰り返してはいけないと政府要人は繰り返して言うし、建前上、アメリカは人権をとても重要視し、正義を貫こうとしている国家なのだという御旗はしっかり立てるということですよね。

 そこを横から「実際は・・」とか「こんなこともあるじゃん」とか言っても外交的な政府間のやりとり-そこは当然御旗の世界なわけですから意味がないわけです。(平等の実現のための運動では文脈が違います) そこの理路を全く理解せずに、日本が振る舞うと致命的な失敗をするわけで、「はい、日本さんは今どういう建前、理想で国を運営しているつもりですか?」と問われたときに「従軍慰安婦は国の命令ではないしゴニョゴニョ」とか説明しても事実としては他の問題で軍の司令で明らかにやっていた地域もあるわけで、全体として見渡した時に特定的に朝鮮半島ではどうかと問題を(国際的には)矮小化しても(オランダだって被害を受けている)、西洋社会の共感はちびっとも得られないわけですよね。

 

「反省」の何が怖いのかよく分かりませんが、「反省」を示すことこそが、「その時」と「今」を切り離す証拠でもあり、また有効な示し方でもあり、むしろ、反省をしぶると「あのときと今も同じなのか????」という驚き、まるで今も当時の軍政に近い統治失敗形態の政府がそのまま続いているの??という驚きを生ぜしめるだけですよね。反省により実際、援助資金を出したわけですが、せっかく資金を出した意味も「反省したから今はもうあの時とは違って、現政府、日本はあのときの日本と切り離されている。その上で過去の日本のことについてこれだけ資金を供出して役立てていただきたい」とやっているわけだから、それが全くアメリカとかには伝わらないんじゃないでしょうかね。とにかく簡単な話、「反省しないやつ」=「悪い奴」というヒューリスティックなども容易に働きますから、しかもその上、検討している議会場で横暴、礼を失した振る舞いを目の前で見せていたわけですから、当然、「な~るほど、こういう風に反省していないのだな、それならやっぱり像は必要だ」と中立的な考えしか持っていなかった人もこぞって像設置の公共的是認に賛成してしまうということで、この「狙い」と「呼び込む結果」が常に藪蛇で逆効果を平気で招くのは戦争時期の日本とそっくりなところもありますね。だから設置反対を暴言的に展開している人たちは確かに「何もあの時代と変わっていないわ」という国際的な目にさらされるわけで、残念ながらそういう人がもしたくさんおられるのなら、戦前、戦中と今の日本はしっかり連続していますと言わざるを得なくなるわけですよね。

 

こういうのは方針の問題だからまさに今向かっている政府の方向とそのもたらす効果はよく検証した方がいいってもんですよね。わたしはそう思います。プライドを守ろうとしてプライド、日本の尊厳を汚しているという。

 

だから正しかったことは何か、そうした意識を前提にして、過去の物語も描く・・・そういった意識が垣間見られたミュージカルでした。ちょいと残念だったのは、土曜日のマチネだったので替えキャストで主役カップルはこれから楽しみなんだろうけど、ブロードウェイでは初舞台(といってももう今日まで何回もやっているわけだが)で、声量が弱く、キムは魂のある歌を歌いましたがやはりもうちょっとボリュームあればなぁと思わされるところが諸所ありました。

エンジニアは最高によかったです。ジョンも。

 

ということでした。最後にこういう経験もできてよかったです。