zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

土人の自由

昨日ジョンのリサミはポピュリストの話題だったので、ついでに考えたことをメモ的に記しておきたいと思います。

 

土人」というのは正式に差別語とされているのかどうかわかりませんが、近頃では沖縄での基地反対闘争に関わって現地の?方たちを「土人」呼ばわりしたことが話題となりました。

 

しかし、ある意味ちゃんちゃらおかしいことに日本人全体が土人です。これはある意味西洋的文脈ですが。

 

土人とは植民地政策が繰り広げられていた帝国主義ヨーロッパがアフリカやアジアに進出した際、当然彼らが訪れる前からそこには人々が住んでいるわけで、アメリカ大陸のように大量虐殺したり、掃討に近いことをするという侵略以外に、土地や権力を乗っ取って、現地協力者を見出して間接統治したり(植民地政策でよくやる取り込み方)などさまざまなことが行われてきました。

 

土人は、当然に西欧文明とは違う価値観、地点に立ち、現地的歴史文脈のなかで日々の生活を送っている。これをコロニアリズム的観点、あるいはアジアにおいてはオリエンタリズム的な好奇心の目でとらえるしかなかった西洋社会から見て、日本では日本列島にのっかって生活している土人たちであったわけです。

まじめに言って、そのあと、近代化、産業革命、技術革新と続いていって、ある観点から整理すれば土人的価値観とは西洋近代的価値に従わない文化と定義できます。

 

であれば、21世紀の現代日本も土人の集まりです。なぜならそこに近代がないからです。これはもちろん私だけが言っていることではなく、広く社会科学を論じる人の間では常識かと思いますが、近代法的体系を中心に科学合理主義を奉じて社会の骨格を建てるという近代価値からすれば日本社会はその「フリ」をしているだけで、従っていないからです。法の運用においてしばしば逸脱に寛容ですし、一般社会はたいていの紛争を法で解決したがりません。情をもった3方一両損みないな裁定を理想の美談として、穏健に解決できるように話し合ったり、あるいはリンチ的に社会制裁したりすることでこの社会を運営しています。法にこだわることはむしろ日本では「おとなげない」こととされていますから、日本人の大人の理想としては、「法を越えた規範にしたがって生きる」ことは明らかでそういった点では社会の骨格を法に頼らず、日本社会にある慣習的規範によって運営することの方が好まれているわけです。

 

しかし、国際的な企業はそんなことは言っていられませんから、20世紀終わりごろから徐々に「コンプライアンス」などと言われるものが言い出され、これは日本語では「法律遵守」ですから近代国家ならば何をいまさらといった話です。談合やお友達優遇なども法よりも慣習的規範を重要視する社会ならば当たり前のことであり、実際ほんの10年くらい前なら問題にされることもなく、当たり前であったかもしれません。権力者は得をするものであり、行き過ぎはいやだけど、まぁそういったことがあるのは仕方ないよねってわけです(このあたりの前近代マインドは東アジア3国で共通のものだと言えます。価値的に 内集団尊重(忠誠規範) > 公正、正義ということです。なぜなら権力者は法に基づいて自分たちが選択するという本来の意味の国民主権ではなく、明治以来のなんらかの既得権益をもったリーダー層、エリート層が一般大衆とは別に存在して、そういう人たちが政治なるもの、江戸時代にも続く「おかみ」となり、おかみの言いなりに普段は暮らすが、巷では文句を言うという精神構造はなんら江戸時代から変わっていないからです。

 

明治維新は主に士族のなかから出てきた反乱、最終的に徳川の権益を奪取するといった権力闘争であり、市民革命ではありませんでした。身分は上から解体され、士族が廃され(貴族として残ったりしましたが)、国民皆兵的な下からの軍隊をつくることがなされた。そういった改革でしたので、「行政的権限がどこにあるか」という点では、議会政治の請願や民権運動が盛り上がるまで、社会というものに対する近代的理解は庶民の方で追いついていないというか、全く理解しきれていないものであり、政治は全く庶民の他で行われるものという2000年前からの価値観をずっと継続していた側面が大きく見られます。

 

これはこれで日本社会の特徴として開き直る手もあるわけですが、先進国のふりをして国際政治にかもうとすると無理が出るのは致し方ありません。

 

さて、そうした近代が達成されていない社会、とりわけ国民主権や民主主義が根付かない社会においてはポピュリズムというのは当たり前の現象であって、もっと言えば唯一の政治参加の仕方とも言えます。

近代合理主義が浸透していないわけですから、科学的合理的に選択をとろうという志向がそもそも存在しないので、選択は人気投票にならずに成立することはありません。これはイメージの闘いであり、戦後よくあったように、この方が豊かになりそうだとか威勢がいいとか、何となく信頼できそうとか、知り合いに勧められたからとか、町の偉い人だからというのも同じ範疇です。すべて「ヒュ―リスティック処理」による判断ですね。

 

合理的思考をしない最大の欠点は、まっとうな未来予測や、長いスパンで物事を考え、戦略をもって事を行うことができないことです。

 

まちがっても外れても戦略を持つことが当たり前である社会と、そうでないイメージ社会では異なります。イメージや雰囲気などの感情主導の社会は、常に感情と言うのはおうおうにしてその場の「反応」ですから短期的な「今」何を感じるかに基づいて動かされてしまいます。

ですから、日本ではこれまで多くの場合「増税」という短期の痛み(自己制御)は勝ち目がなく、長期的利益のために短期的報酬をがまんするという構図が適用されにくい社会状況にあったわけです。自己制御は多くの場合、長期的勘案に基づく理性の結果ですから。

 

アメリカ社会では、ながらくこうした理性に基づく自己制御、ポリコレ疲れみたいなことがトランプ現象の説明にも持ち出されることがありますが、日本には当てはまりません。ポリコレは全く達成されず、社会目標とすることを一度も国民的合意されていませんし、そんなこと日本歴史上一度も目指されていないのに、疲れるなんてあり得ませんから。

 

思った感情を言いたい放題で議論する(周りと同じ、同調しそうなら)という意見、態度は、社会的平等がさして進展していない証拠としていつの間にか男女平等という先進国の目標に遠く置いていかれている日本の現状が示す通りです。(このようにさまざまな差別の是正におくれをとることになります。基本的に差別の是正は理性のがんばりななので)

 

近代的理性に基づかず、直観的に言いたいことを感情的に述べてしまう。これが日本土人の特徴です。近代原理の外にあるわけです。土人社会ではリンチが当たり前ですから、気に入らない人や現象を寄ってたかって血祭りにするということも行われます。近代人はこういうことを意地でも口をつぐんで理性的に制御しようというところから市民の資格を考えるからです。だから初期には「それは女性には無理だから」と女性差別がなされていました。それは女性が「感情的な生き物だから」という偏見があったからです。政治的意思決定に関与する市民は理性的な存在であるということは西洋の社会運営ではもともとは当然の前提の命題だからそういった(残念な差別的)経過が生じることもあったわけですね。

 

自分の社会をどう運営しようが、現にその列島の上に乗っかっている人々が合意できているならば、それはよそからああのこうの言われる筋合いもないわけです。自分たちで「素晴らしい日本」と思っていられたらそれはステキで文句ないわけですから。土人でいて何が悪い。土人として振る舞う自由をわれらに、みたいな。ポストコロニアリズム的にはありですよね、一種。

 

ただ、長期的視野で戦略を立てられないという副作用は現代社会においてはジワジワ効いています。

 

次のことがこの長い文章で一番言いたかったことです。

 

アメリカからすごく第三者的に距離をとって、余計な詳細な知識をとっぱらって眺めていると、「日本という国は、一所懸命強い意図、意志をもって、同じ東アジアという地勢、位置においては、中国の後塵を拝そうと後退している、あるいはそう動いている」ように見えるということです。

 

(たった半年日本を離れているだけなのに、なんか偉そうにこんな風に論じてごめんなさい。英語もろくにできないにわかアメリカ在住者なのに。でもTVニュース見ていて自然にそう思えてくるのです)

 

とても不思議じゃないでしょうか。西欧的世界からしたら、本当にこれは疑問だらけの????なわけです。もちろん中国国家は近代性とはまた関係なしにいにしえから「戦略」が好きで、当然に昔から大国意識がありますから、世界のなかの中国という視点を常にもっていますし、そのための戦略を政治家なら当然考えます。

 

日本は新しい技術による発明を抑制し、IT革命を後退させ、ITと社会の関係の取り結びに消極的であり、新しいビジネスを打ち出さず、粉飾決算やずさんな安全管理の自動車やエアバッグなどズルいことばかりを懲りずに繰り返し、知識社会到来に備えず、研究・教育予算を投じず、未来社会を見据えて新しい世代、若い世代に益となる予算投入に消極的で、(悪い事ではないが)未来には存在しない高齢者にばかり目を向けた政策をとることによって、どんどん東南アジア社会から追い抜かれて行って、アジアでひとりだけ勝手に後退している。そして先進国のなかではひとりだけこの10年経済的な成長をせず、じっとして、沈んで行っている。

 

素直にいってそうしか見えません。なぜそんなことをするのか、理性的な分析をすれば疑問だらけで、その理由を教えてほしいという(実はそこまで興味はない・・なぜならアメリカ社会は負け行く者には冷淡だから。組んでも得にもならないし)くらいでしょう。

 

でも日本人の多くは(たぶん)そうした自分たちの土人性が好きで、そのままでいたいから、別に自己改革する必要も感じない。ただ、その結果、低成長になり、予算不足で閉塞的な感覚が社会にはびこります。

 

わたしが最近読んだなかで一番盲点で「ああ、そうかも」と気づかされたのは、「永続敗戦論」の白井聡内田樹の対談本「日本戦後史論」(徳間書店)のなかで、「破局願望」があるのではという指摘でした。閉塞が煮詰まるとちゃぶ台返しというか、もう全部ひっくり返してがらがらポンしたい(場合によってはもう一度戦争して負けるとか)とかそういった潜在欲望がふくらんでいるのではないかということです。

 

内田樹はとんでも本もあるし、いい加減なこと言いまくりで、とても理性的な論客とは言えませんが、わたしは時々彼の書く一言や分析に「あっ」と思うこともあります。武道家という点で信頼できる何かがそこに備わっているものがあるからかもしれません。

 

重要な指摘は安倍首相その人自身にこの潜在的破局願望が備わっているのではないかと言う指摘です。ならば、あえて危ない選択肢、むしろ自分の理想や目標達成から言えば「損で不利な選択」さえもやらかす理由が頷けます。 

 

システム正当化というジョンの切り口以外に、若者の間にはびこる安倍政権支持の心性の深い部分では、こうした「破局願望(の共有)」があるのではないか。だから周りが理性的な反論やその進む方向の「危険性」を口にしても響かない。むしろ「危険」のなかに入っていきたいと思っているからでしょう。「こんな日本社会は一回壊さないと、チマチマした「改革」程度では動かなくてダメだ」という暗い気持ち。それは本当だとしたら恐ろしいことですね。どうでしょうか。

 

もしかしたら、みんな「バルス!」が夢、願いなんですかね。

「こんな間違った日本はぶっ壊す!」なんてね。

 

食パンがうまい

特に食パンを積極的に食べる方ではない。昔一時かなり健康に配慮していたときは(日本で)、朝食に何もつけない食パン一枚ということで暮らしていたときがあったが、それはカロリーを抑えめにするためで、うまいとかまずいの問題ではなかった。

 

さて、8月に日本に帰国した際にかかりつけで診てもらってさして健康の問題はなかった。塩分ヤバいかなと思ったが、相変わらずうっすら逸脱値ではあるが、特に増えていなかった。よかった。

 

しかし、自分で料理をしなかった前期では、買い込んだ缶詰が多く、缶詰ソーセージやスパムは塩分が多いし(30%Offとかのを買っていたがそれでも食べている実感として塩辛い)、ポテチはもちろんトルティアチップやタコスも塩分があり、パスタだってそんなこと言えば塩を練りこんである。ホント塩分がないのってごはん、コメだ。しかし、なんたることか、中華屋のテイクオフで白米がついてくることがあるのだが、あまりに味気なくて(おいしくない)、しょうゆをかけちゃったりするから(ついてくる)、意味がない。

 

前にも書いたが、3月に来た時からごはんを炊く簡易容器はもっている。しかし、8月末とかのホテルでは800-1000wくらいのすごい出力のレンジで、この容器の説明書きにある500wで7分というのをどうすればいいのか判断つかず、結局使わなかったのだ。

 

今回、アパートに越して、このレンジもlow, medium, highとあるだけで一体何ワットか分からない。いろいろ温めていて、経験的にmediumはそう強くないなと感じたので、このあたりで400-500wだろうと踏んで、アナログダイアルなので、ちょっとだけmediumの表示よりも強く回したあたりで7分かけてみたら見事にちゃんと無事ごはんが炊けた。塩分を控えたいときはこれでOKだ。といっても、この容器、(普段でもそりゃそうだが)炊く前に30分米を水につけておいて、7分炊いて、で15分蒸らすので食べるまでかなり時間がかかる。事前につけておけばいいが、気の短く、さらに思いつきで日々生きている自分としてはいつ米が食べたくなるかわからないし、まどろっこしい。

 

さて、部屋にいるとなんかひもじくなりおやつが欲しくなったりするが、ここでまた塩分だ。好きなナッツ類も塩分多し。そこでふと、以前韓国の2人組が残しておいていった食パン、これだ。食パンだと味気ないし、日本では近所のうまい店(パン屋)のを選んで買って食べているからまぁおいしいのだが、こちらのスーパーで買ってもどうだかわからない。なんか味気ない気がするので、ハンバーガー用のセサミパンやホットドッグ用のばかりを買っている。食パンは旅行(学会)とかの際に買っちゃうこともあるが、今回一度もまだ買っていない。

 

てことで、期待せず、トースターがあるので焼いてみたら・・・これが意外とうまい!!! 適度な炭水化物の甘さでおやつとしてのひもじさは解消できるし(塩分は少しあるのだが)、感覚として塩辛くないのでグッド。意外にこれ、間食として使えるなぁと思って、油分も多い、ポテチ系なんか食べているよりよほどいいだろうと思った次第。いままでトースターなかったから焼くことを考えずにパン類は全部そのまま食べていたが、あらためて久々に焼いて食べてみるとカリっと少し香ばしくいいではないか。(日本の家でも気が短いので面倒くさくて焼かずに食べることが多い) こちらのトースター出力が高いのかホントにすぐ焼けてしまうのだ。それもいい。ホテルで朝食つきのときにマフィンは焼いたりしていたがこれは盲点だった、見くびっていた。

 

ということで今度スーパーに買い物にいったときは、食パンも買って来ようと思ったのであった。ごはんはやや面倒くさいので「食べた~い」となったとっておきのときに炊くことにしよう。家人が来た時にカレーや牛丼のレトルトをくれたので、徐々に消費していくつもりである。

 

一緒にいただくコーヒーがもっとうまければ言うことないがCVSで買ったフレンチローストがいまひとつだったので、今度はどこかでもっとうまいのを買いたいものだ。

態度の悪い日本人客

こちらの偏見と超わがままが基盤ってことをまず言っておく。

自分がこれまで都合よくこのアパートを使ってこれた僥倖があっただけだろう。共用スペースは共用だからいろんな人がいろいろに使ってもちろんよいものだ。

 

ところが幸い、ありがたいことに9月1日入居以来、わたし以外は3-5日くらいで次々旅行者として入れ替わるわけだが、朝食を食べるとか以外に、キッチン、リビングなどあまり使わない。そりゃぁ自分でも旅行できたと思えば、寸暇を惜しんで朝から観光にでかけ、ミュージカルでも見て晩飯食べて遅く帰ってくるだろう。居所での存在感が薄くなるのはもっともである。

 

韓国人2人組はバカンスを満喫ということか、わりにだらだらと日中いたが、部屋にこもるタイプだったのであまりリビングスペースにはいなかった。

 

一昨日人が入れ替わったようで(いないと思ったのは勘違いで昨日も遅くに帰ってきた。片方の部屋はチェックアウトして掃除が入っていた)、ちらっと見ると派手な洋服の髪が薄い茶色なので全く何人かわからずいた。ところが昨日彼女ら(二人)が夜中12時くらいに帰ってきたら(ちょうどこちらトイレで起きた)、「超さいあく~」とか大きな声でリビングでいきなりしゃべり合っていたので日本人と知れた。トイレに行くとき、ハロー、こんにちわと言ったが「・・・」みたいな感じでこちらを見るだけでレスポンスがない。大体西洋系の泊り客だと、「ハロー」「ハロー(元気よく)、アイム××、ナイストウミーチュー」みたいな感じで社交的で愛想がいいのだが(Airbnbでこういうのが普通かどうかデータがないから分からないが、わりにそういうもののような気はする。だって、ゲスト同士迷惑かけないように仲良くしましょうみたいに書いてあるし、ゲストもホストからあとで評価されるから)。で、夜中一時くらいに順にシャワーを浴びたようで、時間帯としてはほんとはちょっとね~、と思われる時間帯だが、ホテルよりは自由に振る舞う傾向があるような気がするAirbnbでは。

 

西洋的価値観(アラブでもか)で考えると、多様な人がいるのはまぁ当たり前なのだが、それは危険でもある。だからきちんと挨拶して何者かを瞬時に判別(信用できそうか)して、名乗り、顔見知りになっていた方が(盗みに遭うなど)悪い事が生じる可能性を減少させることができるからだ。これが西洋社会でのあいさつの基本思想だと思う。つまりおおげさに言えば、危険を避け、自分自身を守るために積極的にあいさつするのだ。ご承知のようにアメリカ社会のなかでこうしたあいさつを最もしない民族が最もシャイということで知れた日本人である。

 

あいさつは自分の身を守ることにもなるだろうになぁ。同居者が全くあいさつ、軽い会話もなしの者であって心配でないのか?

とも思うが、あまり頓着しないようで、本日もリビングで顔パック(あまり人に大大的に見せれたものではないから部屋でやったら・・・と思うのだが、おじさんの発想だろうか)している。

 

なんだかことばの通じる同じ民族どうしなのに、一番距離のあるような気がして、これまでで最も気詰まりで、リビングに居るとかなり出にくい。それでも朝がんばって冷蔵庫からチーズをとってきてトーストを焼き、「このパン韓国の人が前に置いていったやつだから食べちゃっていいですからね」と言っておく。「はぁ・・(小さい声)・・」みたいな感じ。あまり関わってほしくないのだろう。現地で日本人にも会いたくなかったかも(よく日本人どうしはさりげなく、すーーっと避ける。中国人どうしとは対照的な距離の取り方)だが、こちらがイヤなのでもう一押し「観光ですか?」「うなづく」「マンハッタン行くの」「はい・・」「じゃぁどうぞ楽しんでね」みたいな感じで無理やりやりとりして、トーストにチーズのっけて私は部屋に去った。

 

もう昼近くだが、彼女らはぐだぐだしているうちに、現地人らしき男性がどうやら迎えに来たみたいで、それでようやく出て行った。はぁなんか気づかれしたぁ。なんか日本人って「さっぱりしてない」なぁ、ある意味社交スキルがないというか、社交を演じる気がないのだろうか。アパートでは気を抜いてくつろぎたいかもね、確かに。まぁこんなおじさんと会話をするモチベーションもそもそもわかないだろうけど。きっと若いイケメンならガラッと態度違うのだろう。

 

ということで彼女らが立ち去ってから、ごはん炊いてカレーを食べたのさ。

歩くのは大事&ジプシーバス

今回家族が来て、月曜日にレンタカーを返してからは月曜日夕方、火曜、水曜と歩き回った。セントラルパークも南の端に少し入っただけだったのが、まんなかあたりを歩くこともできた。

 

大学からわりに近いわりにまだ行っていなかったリトルイタリー、中華街、ソーホー、ノリータ方面も歩けた。

 

でも実利が一番高かったのは、ほんとあほみたいで今頃大学一番最寄りの地下鉄入口を見つけたことだ。なんで今まで気づかなかったのかというくらい。QやNの南端の入り口がブロードウェイの大学側の舗道に開いており、今までその存在に気づかずに、本当に8thSt.に入口がある中央口からいつも入っていたのだ。それから1,2度、ワシントンスクエアの西側の西4丁目の地下鉄駅も利用したため、そこの北入り口が普段使うことのある9丁目入口のすぐそこだということも発見した。つまりバスターミナルからひとアベニュー歩かなくてもそこからCとかEとかの地下鉄に乗れば、大学近くの駅まで来れるということだ。

 

大体、ひとアベニュー移動してQ、R、Nの地下鉄に乗って8丁目駅まで行っていたわけだが、これも40丁目の外を歩いてブロードウェイまで行って入るという最短ルートを見つけた。昨日はバスが少し混んでいてそれでも大学まで35分で着いたから、混まない時間なら30分で着けるということがわかった。当初45分と見ていたから大分違う。

 

それからおもしろいのは正規のバスでない?ものが走っているということで、Airbnbのアパートへの来方案内をWebで見たときも書いてあって何だか???だったのだが、実際何回も遭遇して乗ることになった。

確かに朝は通常の128、165のバスががんがん連なってくるぐらいすぐアパート近くのバス停にやってくるわけだが、ちょっともう10時くらい、11時くらいになると間隔が開く。そうしてバス停で待っているとNJトランジットのでない、一段小振りのNewYork行と表示したバスが現れたりするのだ。これはNJトランジットじゃないから回数券(一枚2.95$になる)は使えないが、現金$3を降りるときに渡す。さして値段は違わないから早く来たものに乗ればよいのだ。選択肢が多くなるのでバスの利用勝手がいい。これはバスターミナルの中に止まらないから、40丁目の路上にとまるのだがむしろターミナルの奥の2階から階段を使って降りて来る必要がないので便利とも言える。そうしてそのまま40丁目を前進すればわりに早く大学に着くのだ。

 

そう急ぐわけでもないが、朝意味もなく街中ぶらぶらしてもなんなので(散歩に適した場所でないから、ユニオンスクエアあたりと違って)効率的に移動できた方がいい。

 

地下鉄の急行と各駅の仕組みも大体わかったし、ようやくまぁ日常に慣れたという感じ。同じようなことをやる分にはなんの問題もない。これでブロードウェイの見方、10月にたくさんある祭りというのも一応理解したのでなんとかまぁ生きていけるだろう。意外にまだ行っていないのが、日本人街のまんなかで、別段「ラーメン食べたい」とか欲求が今ないので、「日本食=高い」というイメージがあり、お邪魔していない。いずれの課題だ。

 

ちなみに今日の昼には家族が持って来てくれたカレーをレンジごはん炊き器でごはん炊いて食べた。こちらでの初カレー。うまく炊けてよかった(ごはん炊いたのも初めて)。

【覚書】家族のNY旅行その3

9月19日(火)

 

火曜日はこちらがブラウンバッグがあるので、夕方から合流することにした。妻子は自然史博物館に。なんかよくわからないが、宇宙ものもあるらしい。タイムズスクエアに行ってファントムのチケットも妻子がゲット。ホテルの近くを歩いていて見つけたという教会のコンサートに行きたいというので、夕方4時に教会で待ち合わせ。

 

セント・トマス教会の聖歌隊は有名で世界ツアーしたり、CD出してたりするから、生でお目にかかって聴くのはすごい。練習シーンから見れた。礼拝にはいって聖餐式になったところで離脱。

オペラ座の怪人」へ。

マジェスティック劇場は超ロングランの専用劇場ですから、落ちて来るシャンデリア、乗るためのシャンデリア?と、地底の川というか湖みたいな感じを表現するセットなど、豪華セッティングで筋に沿った存分の楽しみが得られます。クリスティーヌの修行の描写が少ないので(まぁ見る方はみんな分かっているから)、入り込みが唐突な感がありますが、演者の歌唱力がすばらしいのでとっても楽しめます。ちょっとファントムの声質が好みとは違いましたがいいです。

 

44丁目は普段の行動範囲なので、行くのは容易でシティキッチンの隣が劇場です。シティキッチンはホテルの2階の位置にフードコートがあってラーメン屋さんやお寿司屋さんが入っています。そういうのはなんなので家族を連れて、シェイクシャックをのぞいたらやはり混んでいるので、普段使っているピザ屋に連れていって、3人で注文分け合って結構堪能しました。

 

9月20日(水)

この日は朝から午前のつきあいで、83丁目のラファイエット・キャンディ・ショップという伝統のお店に行って妻念願のパンケーキを注文しました。わたしはベーコンエッグでコーヒー、妻子はミルクシェークを堪能。後で息子はここの食事の満足度が高かったと言っているようです。でも朝食でひとり2000円です。外食高いよね。

 

それでメトロポリタン美術館に。キャンディショップから歩いてすぐ。わたしは昼過ぎくらいに明日のゼミ発表で離脱しました。でも、結局準備は大体すぐ済んだので、夕食にまた合流すればよかったと思ってます。今日のラインではアイリッシュパブに行きたかった(笑)とあります。残念。

 

わたしも唐突にひとりで寂しくなり、日本を出るときとかそうでもないのになぁ・・・飛行機乗るとかバタバタとタスクが多いからなんかそういうときは思っている暇ないのかなと。引っ越して!とかNYU手続きして!とか、部屋とか、会う曜日とかホントこっち着くと落ち着くまで超バタバタっと事が進むからそれなりにずっと緊張があったりするんですよね。

 

今回は見送りだす立場なので、まぁ翌日がゼミ発表ではあるんだけど、こちらは普段のモードだから、ハッと普段通りにアパートに戻ってしまうとエンタメだった日々がすかーッといきなり終わる寂しさにショックを受けて呆然でしたね。それもあってこれを書いているのですが、木曜はガイドブックが目に入るのもイヤでほんの昨日、一昨日のことなのに想い出すとなんかつらいので見ないように・・・みたいに一日をやり過ごして、幸い発表してトーク聴いたりとか予定はびしっと入っていて、外食で中華を食べ(アパートで一人で個食するとよけい寂しいので)、またまた幸いジョンのリサミが朝に変更になったので朝早くから登校しました

 

ジョンも家族の都合でリサミが早まったのですけど、終わってすぐリサミの部屋に妻子が現れて、なんか自分もがんばろうという気にちゃんとなって、思い出すのがいやだったはずが、もう一度リトルイタリーに行って昼ご飯に牛串を食べてキャナル通りをぶらぶらしてからアパートに帰ってきました。だいぶ気を取り直して、ちょうど住人がチェックアウトしてからになったアパートで風呂に湯をはってのんびり浸かり、やりたい放題のダイニングでのんびりと食事をとり、回復してきました。リサミで必要な発言も少しやったこともよかったです。

 

こんなホームシックめいたことになるとは、ふだん情が薄いw自分なのにびっくりで、確かに早く帰りたいなとも。まぁまだNYは3週間なので、もっと存分にNYを満喫してから帰ります。次は、セントラルパークの動物園に行かなくちゃ。

【覚書】家族のNY旅行その2

ということで到着1日目にいきなりCATS鑑賞で、遊ぶことについては妻のアクティブさはすごいもんである。普段体力がなくすぐ熱を出しているのだが、気力で生きている生き物なので遊ぶような動機づけの高い気合が入る期間は一気にいろいろなことをするのだ(そのあと寝込む)。

それにしても秋はここら祭りが多いのか、土曜日迎えにアパート出るとき音がするなと思っている公園の方を見たら祭りっぽいイベントをやっていた。子ども遊ばせる設備やなんやあって、音楽を大音響でかけていた。気がひかれたが、遅くなるわけにもいかないのでまっすぐ駅に向かったのだ。

 

レンタカーを借りたのは翌日曜日にいっしょの行動をとると決めていたからだ。妻子が遅い夏休みをとれて9月3週に遊びに来ることになったとき、こちらは2週にNYUが始動し軌道にものっていない期間だろうから、最初顔を出さないとまずい機会もいろいろあるのではと怖れて(ペンシルベニアの二の舞をしたくなかった)、またわたしはそうだろうから妻子は勝手に遊ぶので大学に行っていていいよと言われていた。しかし土日は予定が入らなそうだったので確実に付き合えるということで、では日曜日に遠出しようとなったのだ。車を使って、アーミッシュのランカスターに行くか、ボストンに行くかの二択。ランカスターはまるまる一日の必要を思わなかったし、未来の(息子の)留学予定可能性の検討(願い?)という意味を込めて、ボストンの街を見分させておくことにした。

 

9月17日(日) 朝4時半に起きた。予定より早い。支度が整ったので、6時に迎えにいくというより早い時間だが、5時過ぎくらいに車でWeehawkenを出る。日曜早朝で完璧にすいているので、すぐリンカーントンネルを渡ってマンハッタンに。5時半にはダブルツリーのホテル近くに到着。しばらくとめていて安全そうに思ったのでラインをうち、荷物運びを兼ねてホテルの部屋見学に入る。わたしへの差し入れでトランクに詰めてきたものが大袋2個あるのだ。これを車のトランクに積んで6時前に出発。

 

途中、見つけておいたニューヘブン(エール大学がある)近くのWalmartへ。1時間以上買い物する。妻は懐かしがって大喜びである。しかも大好きなハロウィンのセールもやっているので楽しめたようだ。まるでCATSのようなネコのかぶり物があったので気に入って写真を撮ったのはFacebookの方に掲載した。

 

さらに途中サービスエリアで休憩してピザと妻子は好きなプレッツェルを食べ、休憩以外の走行時間は3時間ちょいで11時にボストン入り。午前のうちにボストン美術館に入ることができた。

 

ゆっくり美術館を見たあと、ハーバード大学に行き、大学内を周り、MITの脇を抜けて、ダウンタウンの街中に。車で街中の雰囲気を味わい、古い建物群を眺め、橋をわたり、春に学会があったウォーターフロントベイエリアに。妻の好きな港を堪能して(港育ち。私もだが)、ちょいとファストフード的な店に入り、軽食。昨日から強行軍だったのでちょっとだらだらして、本当は水族館に行く手もあったが、ここは無理せずにまた街中を見て、早めにひけた。が、帰りは日曜帰りの渋滞となり、NYに突入するのにも時間がかかり、夜10時を過ぎてしまった。5時間以上かかっている。ホテルに送り、自分はお土産の荷物を積んでアパートに。11時だとさすがにアパートの前の道路はびっしり車が詰まっていて入れる余地なし。隣の街路の方に入れておいて。大荷物と貴重品だけ部屋に持ち帰った。

 

9月18日(月)

翌日7時半には目が覚めたので、すぐ車を移動。幸いアパート前の位置が空いていたのでそこに移動して、自分もWalmartで買い込んだ尽きかけていた食糧を運び込み(車があるのは貴重な機会)、他に買い物もできるなぁと考えたが、十分あると判断したので少し二度寝してから午後にNewark空港にレンタカーを返しにいった。

 

午前のあいだには、妻子は毎日美術館、博物館に行くと言っていたのでメトロポリタンにでも行っているかと思ったら、エンパイアステートだった(3点買い割引チケットを買ったらしい)。それでお好きなMacy'sで買い物、さらにK-martを見つけて買い物したようだ。こちらへの土産を出すとほぼ2人のトランクは空なので、帰りに詰め込む土産(というかアメリカ買い出し旅行?)をしっかり確保したみたい。

 

で、4時にリトルイタリーで待ち合わせとラインが。

 

大学に行こうかと思って、とりあえずPATHでついWTCの方に。自分も行っていなかったので、妻子が行くと言ったら案内できるように予習しておこうと考え、World Trade Center付近をぶらぶら。ついハンバーガーも公園で買い食いしているうちに、大してもう時間がないなぁと思い、リトルイタリーに向かうことにした。

 

7時からナイトオペラをやっているので、その場所を確認したり、時間の間があるので、3人で路上に拡張しているレストランで早い夕食をとったりして時間を過ごす。ヨーグルトを食べながらステージの様子を見ていたら、日本ほど行列したり、大勢が待ったりはしていないので、椅子を並べ始めたら、そっちに移動してステージから2列目にしっかりすわってよい位置で鑑賞できた。5人がかわるがわる有名どころのシーンの曲を歌うって感じ。スタート前に91周年のこの行事の伝統の意味をスタッフがちょいとユーモアをまじえて説明。スタッフのひとりも歌手なので、途中合いの手で歌ったりで大盛り上がり。初々しい高校生くらいの最近、賞を受けた新人が紹介されて、2曲目にアベマリアを唄い、かなり拍手喝采。やや不安定だが将来楽しみ。

とても美しい声。若手男性バリトンがファントムのシーンを唄ったのに触発されたのか、翌日ファントムとろうかという話に。

 

とにかく妻子は(わたしも)文科(文化)系なので(しかし息子の就職は理科)、東西のものが好きで、ふたりで日本ではお茶、妻は香道、子は能も少しみたいな(家系なので・・?)、西洋にくると美術館、博物館、コンサート、オペラなどに励むのだ(妻子はピアノもずっとやっている)。ベルリンで学会があったときも車でウィーンに走らされてえらい目に遭った。

日中は美術館と買い物、夜はブロードウェイと考えていたようだ。全部完璧にはいかなかったが結局。(天気がちょっと悪く、悪天候に体調が弱いのだ)

 

サン・ジェンナーロ祭りでケーキを買い、ひさびさに甘いものも食べた。こちらもやや興奮で緊張しているのか、フローズンヨーグルト(さましながら)食べても腹をこわさなかった。最後に妻子から「お土産」で健康意識高そうな南部味付けチキンサラダみたいな店のテイクアウトをいただいた。チキンめちゃ辛でした。南部味付けってこんなだっけ??

【覚書】家族のNY旅行その1

最近いろいろ忘れっぽいので、何年か後にまた家族でNYに来ることがあったら、そのための過去記録として今回の旅程を記しておきます。

読みものっぽくなくてすみません。同じような経験をする予定がある人にはちょっと有用な情報にもなるように注意点を含めて書きます。

 

9月16日(土) UA78便 わたしが夏こちらに戻ってきたのと同じ便。成田夕方5時発。EWRに5時あたりに着く。ちょうど時差の13時間を飛ぶことになる。こちらに近いEWRに着く旅程で助かった。

EWRは大きな空港ではないがユナイテッドが成田から直行便を運航しているので(今年羽田からも飛ぶようになるらしい)、空港のある位置はニュージャージー州だが、NYに入る玄関としては意外に使いやすいように思う。自分が西側に住んでいるから思うのかもだが。

 

18:30に空港からレンタカーを借り出す手はず。Thrifty カローラor similar トランク2つとその他大きな荷物が軽く入るもの(実際にはもっと大きな車の提供を期待していた) いろいろな会社で借りたが、Thriftyはよく言えばまじめ。だけど面倒。常にWebで先に申し込んでおくのだが、そこで保険無用としてあったのに勝手に保険をつけられたのは過去Thriftyだけ。他はサービスでその場である大きめの車を剛毅に貸してくれることがあるのに(Dollar,Alamo)、ここはそんなことはない。(ネットで安かったから借りたがあまりよくなかった)

 

早く4時台に着くと予定をラインで言われ、少々早めに出る。14時前にアパートを出て、West Side Ave行き(Newportを経由する)のライトレールに乗り、Exchange Pl.で乗り換え。ここはもう路面電車みたいな感じ。PATH、Newark行に乗り換え。NewarkでNJtransit $8.5 でトレントン行、1駅、Newark Liberty International Airport(EWR)下車。どっち行きか止まるかなど注意。電光掲示板に飛行機マークが出る。それがあればEWRの駅にとまる。わたしがこの駅に初めて来たのは、夏、フィラデルフィアから上りで入ったのだが、「空港の駅!」という感じはしない。アメリカ(ここNY近辺とPenn)では止まる駅についてしつこくアナウンスをしないし、列車によっては電光掲示もないので、ここがどこの駅であるかの確信が日本ほど持ちにくい。運悪く駅の看板も見えない位置にとまったら本当にここがその空港の駅かわからないかも。大きくも派手でもない地味な小さな駅。しかも乗降客は思ったほど多くない。幸いそのときは自分の確信でさっと降りてそのあと、看板を発見して(跨線橋には大々的に書いてある)安心した。ホント小さい駅であることに注意! 9号線をはさんで西北の向こう側(空港から見て)に駅があるので、風景で空港が見えてこないということもある。低空飛行で着陸に入っている飛行機を左手の窓から見ることもあるが。

(注意点)マンハッタンには東側にグランドセントラル駅、西側(34丁目)にこのペンステーションと大きな駅が2つある。ボストンやワシントンなど遠くに行く列車が行きかう駅だ。地下鉄などよりでかい列車が走っている。もともとペンシルベニア鉄道が運営していたので、ペンシルベニア駅というややこしい名前がついているが、もちろんニューヨーク州であってペンシルベニア州ではない。ペンシルベニア鉄道の駅(だった)というくらいの意味か。ややこしいのが次の駅もNewark Penn Station なので、これもニュージャージー州なのでペンシルべニアではない。同じペンステーションという名前で、New York と Newarkと日本語ではカタカタ一字違いでしかない(大学の事務方は勘違いしていた)、日本人にとってはちょっと発音も似たふたつのまるで別のものが近所にあるので要注意なのだ。Newarkは人口上ではニュージャージー州の第1の都市であり(首都は一応トレントン)州の形が佐渡島みたいで、西北部分と南東部分に地域がわかれていて、西北部分はニューヨークに近い郊外となっていて、南東部分はコーストがあり、夏は海水浴などでにぎわう。ペンシルベニア州フィラデルフィアはこの西北側の底の位置に隣接している。西北側にはプリンストンという街もあり、ここにプリンストン大学がさりげなく存在している。ニュージャージー州の大学なのだ。

 

さて、ここからエアトレインに乗り換える。これはヨーロッパとかでよくある大きな空港ではターミナル間をモノレールで移動するものと同じ。特に交通機関に乗り換えるというほど構える必要はない。EWRの駅についたらもうEWRに着いたも同然という感覚だ。だから列車使うのはひとつの便利な方法でもある。比較的時間が正確。ただ、何かで列車が大幅に遅れることはなくはないのでWebで情報に注意。テレビでは交通情報+列車情報+天候情報をやっているチャンネルがある。

 

【注意点】NJトランジットやアムトラック(同じホーム)からエアトレインに移る際、自動改札みたいに切符のQRコードをかざして通過するので列車に乗ったあとも切符は忘れないように(乗るときの改札はないことも、中で時に検札される)。

 

エアトレインでは、2つ目がターミナルCで、多くの日本便はここに到着する。アメリカ国内便と国際便では荷物受取場(Baggage Claim)がしきりで分かれている。国内便の荷物受取場は外から素通りである。出たり入ったりできる。

 

さて、実際に到着は5時を回り、だが無事に会えた。で、P2のレンタカーに。借り出しに少し手間取り(今度は注意して保険いらないと言ったら、住所や電話番号やメアドを書かされてその入力に時間がかかった。なんかあったときの請求先を押さえておきたいのだろう)、予定時間を過ぎる。 7時からCATSを見る予約をしているのでちょっとあせる。

 

で、やはり土曜日、Hollandトンネルに入るまでが混み、6thAveを走っている間は順調だったが、途中早まって8thAveに切り替えたら大渋滞。42ndで家族だけ降りて先に歩き。荷物はトランクに積んであるからOK.だいぶ遅れてこちらは52ndStに止める場所をみつけて、幕間に入場。後半が見れた。この日までがミュージカルウィークで一人分で2人分のチケットが入手できるということをしていたので普段より半額で妻子の分は買えたのだ。到着日で無理無理だが予定をぶっこんだ(妻の意向である)。

 

思わず長くなったので、わけて投稿します。