zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

始めに言葉ありき

社会が複雑になると、そもそもがめいめい勝手に考え、他者のこころは根本的に推測不能だから人の考えていることはわかりっこないという前提で出発すると、そこに意思疎通を成立させるために言葉なるものの役割が発生する。そもそも言葉、概念がないとこの世は成り立たない。人間的な社会(神が人間に与えた社会とも)という意味だが。

 

だからことばは大切である。

 

民主主義は民の意思を土台にして行う政体であるから、民の意思をどう切り出すかが重要だ。だからAI的集約という可能性もある。しかし現状ではことばを通して行うしかない。コミュニケーションは一回きりの宣言で完結する類のものではない。だから意思確認のため何度もやりとりするし、だからこそ言語的に説得も試みるし、そこで態度変化も生じる。やりとりする言葉は極力誤解を減じる工夫が施されることが望まれる。

 

前にも記したが、だから同じ事象をやたりに言い換えたり、誤解を招く誘導的な表現は戒められねばならない。学問をやる上で概念の定義が重要であることはもちろんだ。(常にそうとも限らないが)だから同じ事象の言い換え表現を好む日本社会はことばを軽く扱いすぎているのだと言える。

 

約束とは・・・本来、人と人との間のものではなく、それを見ている神との約束でもある。だから約束は重い、そして証言は聖書に手をおいて誓ってから行われたりする。目の前の他者をはぐらかし、ダマしたとしてもそうした人は天国の門から排除されるのだ。

 

そんな天国を信じない日本の人々においてはことばは軽い。うそを言うことがむしろ成熟した大人のしるしのようなものだ。ウソへの許容感みたいなことは欺瞞研究者の村井氏も語っていた。

 

今生じている安倍政権での公文書改ざん問題。「文書を書き換え、改ざんする」とりわけ公文書を・・その重大さを本当に民はわかっているのだろうか? 国会の審議とは選挙で選ばれた民の代理者である国会議員が民に替わって物事(予算など)を検討する場である。実際に実行をする部隊である行政に対して、その実行、していることが妥当であるか、どう予算を使いたいのかなどを審議する。行政は限られた人々であり、必ずしも民の代表ではない。公務員は単に公務員試験に合格して採用された人々だ。だから正しく予算執行などがなされているかどうか民の代理である国会が審議する。

 

そのときに実行部隊の行政がうそを語ってきたとしたら、要するにそれは民への背徳である。1億2千万人の国民をだまそうとする仕業なのだ。こうした説明をする場合には、明確な用語と概念で誤解なきように語らなければ話が始まらない。あいまいにしゃべる、はぐらかすというのはそもそも民を裏切り、愚弄する行為である。

 

ことばは現社会では民全員との約束である。言葉をないがしろにしたら、民主主義が成立しない。そうした説明をきちんとするために会議などの議事録も行政的決定の経過を記録した文書もある。だから「ウソの文書」というのはその存在があるというだけで民への裏切りであり、民主主義においてはその根幹を否定する万死に値する(は今時言い過ぎだが、そして自死者も出ている)振る舞いなのだ。

 

そうしないための現代的工夫として行政のインセンティブ構造の工夫が必要なのだが、官邸が上層の人事を握ったのでこうしたことが生じた。国家公務員試験うかってきた秀才が誰もこんなくだらないことで文書の複数バージョン作成とかしたいわけがない。官邸の奴隷化していることも情けないし、悪いことは悪いと言い、拒否もできない出世亡者も腹が据わっていないし、だが単に出世妨害や左遷、首切りだけでなく、権力というのは警察庁や公安を握っているためスキャンダルでつぶす仕業もより容易であるし、ひとりの人間が権力に逆らって人間的に豊かに逃げ延びることは難しくさせられている状況もある。近代化していない国ではなおさら、周りは簡単に自死者遺族のことを期待したりいろいろ言うが家庭状況は知らないが子どもなどがいたりしたら、その社会的生命が脅かされるとかなんとか脅された場合は、証拠をとって訴える仕業に出ない限り、遺族といういち民間人が警察勢力に逆らえるかどうか難しい点もある。政権のかたをもってことを報じるメディアもあるので、たいこ持ちメディアに社会的に殺されかねない。いやな世の中だ。

 

官僚達はもっと積極的に数を集めて政権を退場に追い込めなかったのか。そういうリーダーシップは苦手な人が多いのか・・。わからない。でも、時代は変化している。最終的に民を味方につけた方がなんだかんだ勝つという方向性は今後見失わない方がいいと思う。おとな、高齢者の理解は遅かったりするので、そういう方向に全世界的に動いていっているということは理解した方がいい。昔のようにもみ消したり、都合の悪い情報を遮断しようとしても今は決してうまくいかないのだ。できるだけ早めにさらすしか自衛手段はない。それを高齢の上の人、上司も心得るべきだ。時代の風向きははっきりしているのだ。

 

言葉を誠実に守ること。結局これが一番身を助けることだ。