zatsu_ten6の日記

ペンシルベニア在外研究、滞在日記

一瞬のひとり暮らし

本日は実家の負担軽減を兼ねて、シラバス作成に集中できるよう新大阪近辺に滞在しております。

 

帰国してから久しぶりに(といってもまだ半月ほどですが)、ひとりで滞在し、ひとりめしを食べているのですが、人に会わないため、ラーメン屋で好物の油めんにんにくたっぷり入りを食し、夜はカップ焼きそばです。ひとりでいたとき、なんか面倒なときはよくカップラーメンを食べてました。どうもその揺り戻しか突如カップめんが食べたくなって、さりとて全く同じものが食べたいわけでなく、昼もラーメン食べているわけなので夜は焼きそばです。もともとラーメンより焼きそばの方が好物です。

 

コンビニを眺めていると、テレビ見ながら手でもって簡単に食べられるものがホント日本は安く売られているなと感心です。おにぎり、日本風サンドイッチ、カップめん、巻き寿司、それ以外にも今やたくさんのお惣菜がパック食品として並んでいて、魚の煮つけからきんぴらや各種サラダまで、アメリカで手に入るものとの共通は、プラスチックパックに入ったチキンサラダくらいでしょうか。立派なおかずが100円台で並んでいたりするのに感動します。

ごぼうサラダとチョコレートも買ってきて、ひとり楽しんでいます。

 

とりあえず原稿の修正とシラバス、ひとの原稿チェックなど順調に仕事は進んで、あとは学会誌の査読です。でもこれは明日大学で紙に打ち出してやってもいいなぁと(ほぼプリンタは直ったと思う、思う・・・がたぶん)。

 

朝はコメダでモーニング食べながら、新聞でセンター試験をチェックしていました。入試はまぁ趣味的に好きなので、本屋で中央公論2月号大学入試改革が目についたので買って読んでます。

 

せっかく監督する教員も十分慣れてきて安定運営できているセンター試験が変えられるのは本当に残念です。改革が害をもたらす典型のようですね。国語試案は興味深く見ましたが難しすぎないのでしょうか。またこういう「程度」を試行錯誤しながら、設問の通過率をチェックして行って、今みたいに各教科でばらつきの少ない状態に平均値を安定させていくのはたいへんだろうなと思うわけです。監督等、運営の方法についてはほぼ踏襲できるようにしてもらいたいものです。

 

世間で話題になったムーミン問題も「考えさせる出題」のひとつであり、単なる暗記を想定せず、自分の持ち合わせている知識でも解答できる興味深いものです。今の原則では本来地理は地理だけの知識で十分有利に働くようにした方がいいですが、求められている総合的知識運用力、思考力を測るなら、まさにこうした「総合的出題」が求められる形ですよね。ムーミン万歳。

こまば

4月から非常勤で授業をする。こまばは初めてだ。

 

しょうもない内集団ひいきだが、東大生は好きだ。もちろん個々にはたぶん気に入らないやつやそれこそ「考えがどうしようもなく異なるやつ」はいっぱいいると思う。

 

東大が母校でない人はこれを読まれていやな感じがする人もいるかもしれないけれど、自分が学生時代から思っていたのは、東大生は東大生なりの特有の悩みや葛藤みたいなことがあり、本当は自分の経験から言えば、「できれば誰かそれを理解してほしい」なんていう甘えも起きるものだろう。

 

自分は最初頃、臨床分野にいたもんだから、そうした観点から言えば、自分の強みはなんだ・・ある種のできる子(勉強のできる子)の悩みが分かることでは?と思ったこともある。それは学内の学生相談室(当時、臨床の院の先輩たちが助手職として勤務していた)スタッフとしてはあっていい、役立つ資質である。

 

最近では「勉強の哲学」(千葉)なんて書籍も出て、勉強するほどふつーでなくなり、変な人になっていくということもだいぶ言語化されてきたが、自分なりには、偏差値が高いことは、分布から言えば「異常」であるという観点は大切と(本郷での授業で)語ってきた。

 

自分が簡単にわかることが人には分からなかったり、そうした発想に到達しない人がいたり、とにかく周りと全然違うことを考えたり、発想したりしがちで、生でそれを垂れ流すと悉くひとと「違う」ところばかり目立ってしまうのだ。しばしば処世術が必要である。自分の考えることが当たり前とか、今思っていることが当たり前だと思い過ぎないこと。とりわけ「勉強」については人は自分ほどできないのが当たり前であることをきちんと内心心得ていないと時にひどい目に遭う。

 

わたしは塾業界が長かったからわりに早々とそういう状態は抜け出して、相対化されたと思うが、塾の授業ではもちろん自分なんて絶対に基準にしないし、「わたしはこうしてきたから」なんてことはひとことも言わない。世間ではいろんなことで、「自分の経験を基準にものを考える」人たちが多いらしいが、自分のかつての悩みは、「人は絶対自分の経験とは違う」とはねつけ過ぎる問題点であったように思う。「どうせ理解されない」病みたいのが深くて、「何を言ってもどうせ誤解されるし、真意なんか伝わらないし・・」のちになって、それはコミュニケーション上の工夫の問題でもあり、常に自分の感性にもとづく「生のことば」なんて、「誰だって」伝わらないものだと気づいた。だけど自分はいまのところも「すごく共感してわかってもらえた」という人生経験は皆無である。今は期待もしていないが。

 

だから、時に同じ志を見たとか、簡単なところでは同じ研究テーマであるとかで、何か「共有できた感」があって学会に参加してよかった~みたいな(サービス)反応が見られることがあるが、わたしはそんなこと一度も思ったことがない。

 

自分と研究スタンス同じで同じねらいで何かやっているという人は若い時からそもそも見たことがない。国内だが。あまりに片隅のニッチでやってたからかもだが、そもそも人が自分と似ているという感覚はこれまで持ったことが一度もない。

 

話を戻すと、東大生であるだけで、あるいはN校生であるだけで、おおげさに言えば「人間でない」という扱いをしてくる向きもあるし、逆に自分とは分かり合えないと(特に低階層の人が)決めてかかって(実際そうかもだが)、はなから距離を取ろうとするのは普通に生じる日常茶飯事だ。冗談会話でよくあるネタだが、世の中には、「N→T大なんて実物初めてみた!」とか動物園か見世物小屋のように言う人がいるが、「いや、だってそれ人口的にはT大出身で一番多いかもですよ(まじにいえばKの方がもう多いだろうが)」というわけだ。

ついでに言えば、うちの実家の150mくらいの通りにそれは4人もいた。身辺的にはなんも珍しくないのだ。理Ⅲはうちの学年受験のとしで23人だから、当時の入学当初定員90名の25%、4人にひとりはN校生ってわけだ。今でも同窓会するとそうした医学界でのメジャーメリットはどうやらあるらしいと聞く。ちなみに文系学者のメリットはない。理Ⅲに23人入っているときに文Ⅲは3人だけだからだ。

 

すぐ話が脱線するが、若い時のうっすらした悩みは人からの乖離感(距離感であって解離性状態ではない(笑))、孤独感みたいなものだ。頭がいいと人間性がおかしいんじゃないかと思われやすいし、また実際わたしのように人間関係がうまくないタイプは、市民運動の現場に行ったって浮きやすいし、同じ東大生の同僚が一時的にいたことがあるけど、〇〇さんはKさんとは違うという認定で、〇〇さんの方がよりふつーな人間性豊かな人と認識されてわたしとは区別されていた。結構そんなこんなで、大学院初期のころはかなり生意気だった自分であるが、市民運動経験がいまひとつはかばかしくなくなるとちょっと自信も失せて、院に戻った時は臨床からの離脱半分、破門半分みたいな状態でちょっとおとなしく、より内向的になっていった感じがある。社会心理をやることでより外面を形成するようにはなったが、人との乖離感や世間との乖離感は保ったまま、しかしそのお蔭で?より相対的な視点でひとごとなことを語ることはできるし、それがよいことかどうか、適切かどうかはわからないが、これが自分のやり方だからそれはもういいんだという心境にはなった。

 

乖離感のもうひとつの根っこはたぶん、T大生とか学歴高いとかのステレオタイプにくっつくような文化性の高さが足りないからだろう。なんどとなく、ここに記しているが今もある意味貧乏だし、小学校で貧困地帯にいたせいで、三つ子の魂的に塗りこめられた文化性があまりに庶民的で、友達のところでだらだら遊んでいても、そこのおやじは本なんか読まないでビール飲みながらひたすら巨人戦やプロレス見てるみたいなおっさんばかりだから、自分はむしろそれが懐かしいというか心のふるさとというか、なぜ自分の家から影響が薄いか分からんが父は転勤で不在が多かったし、自分が尊敬していなかったし(ひどいな)、あまり模範にしたくなかったからかもしれない。

 

すると、偏差値は高いけど文化程度は低いみたいな状態になって、だから学生時代も文Ⅲのやつとしゃべったりすると、むちゃむちゃ話が合わなかった。とにかく品性が高いとバカにされる小学校でまるまる6年過ごしたもので、もともと肌合いがあったかどうかわからないけれども、ひところまでは自分も品性の高い人を馬鹿にしていたくらいだ。(ひところはイデオロギー的に反ブルジョワジー、反プチブル文化みたいな理屈をつけて)きれいな壁を見ると落書きしたくなる心境というか・・。

 

すでにでもこんな心境はいまどきのこまば生には当てはまらなさそうだから、学生相談上も授業運営上ももうあてはまらないが、ひとつだけ、現任校や前任校の学生たち(ステレオタイプ)と違う点はあるだろうと思う。

 

それは、「自分でこの日本を動かせる」と思っているかどうかだ。

 

これはいくぶん大げさだが、比較的日本の中枢に近いところや日本のなかの代表的な、ある意味経済界では影響の強い伝統的な?立派な企業の一員(しかもいずれは経営陣に?)になれると思っている、その見込みがあると思っているので、日本が自分の手にあるとある意味思っているということである。

 

これはたぶんでも生きていくうえでだいぶ違う話で、「お上」は自分とは無関係と思うか、「自分がお上である(徳川幕府幕閣みたいな)」と思っているのではだいぶものの考え方、ものの捉え方、日常のセンスも違うのではないだろうか? 

 

なかには「そんな感覚、普段全く持ったことがない」と思う人もいるかもしれない。そう、N校生にとっては、少なくともこんな狭い小さい日本くらい、「当然に自分の手が届くところにあり、自分が主体性をもって動かすことも可能な地点」にあるものとしか見えない。自分だって「もし自分が政権とったらどうするか」という発想でものを考えたことは何度もある。政治家にはならなかったが。

 

だからそういう観点から言えば、悪い意味でなく、「エリート」予備軍である東大生にはそれに見合った教育はした方がいいと思うし、勘違いせずに冷静に心得てほしいことは今から見てたくさんある。

 

だから特に本郷では、「統治」をどう考えるかという話はするつもりだ。もちろん民主主義社会は統治する社会ではないが、実際には今は統治されているので、統治をどう考えるかは大事なことだ。それは政治でも法学でも経済界でも大学人でもそうだ。そんな話をまじめに聞ける人たちもたぶん東大生しかいないし、ある意味そうしたことばがうまくまっすぐ伝わればいいなと思っている。

 

こまばの方はそこまでは無理だろうが、一方、たくさんの科類がいるので、そのさわりくらいは伝えたいということはある。

年末年始

風邪ひいてました(今も)。NJは部屋のなかが暑いくらいだったが、東京に戻ってから家の中が寒いので風邪ひいた。Airbnbは電気代払う必要ないが、家じゃ自腹なので、妻は倹約家であり、わたしがいないと冬でも電気代が1万円切っちゃうので驚いた(うちはオール電化だし、ぜんそくがあるから電気以外の暖房器具は使わない)。

 

さて、・・年末年始は兄一家が介護をしているので、12月も末になってしまうと無理やり帰国する必然も減ってはいた。こうなると年初に帰っても結局同じなのだ。しかし、年初に帰るとなると時期によってはユーターンラッシュみたいなのに混ざってしまうし、家族(東京)のことを考えたら、正月いっしょに過ごす方がよい。

 

年末年始といえば、熱海や箱根に行くことが多いのだが、年末に帰ってしまいそうな目算がたったあと、手持無沙汰に東京にいてもなんだかなぁなので、伊東の方に行くことにした。つつましやかにキッチン付きのひとり4千円、2泊で24000円しかかからないひどい?ところだ。(こういうところが得意だ。妻も文句言わない) 年末年始にはあまりふさわしくないかもしれないが、注文おせちのパックはすでにあるので、それを持っていけばどこで食べたって同じである。素泊まり4千円のアパートみたいなところだったし、コンロもひと口しかないところだったが、ちまちま湯を沸かしたり、魚を焼いたりして正月を過ごした。煮しめさえ作っていた。

 

いきがけに小田原漁港(早川漁港)で例によって魚を安く手に入れ、エビとかも買ってきたのだが、さっそく大晦日の夜にそれを焼いていると、宿のおやじが来て、「言ってくれたらこっちの厨房で焼きますよ」と。煙出ているし、あまり部屋ににおいをつけたくない模様だ。そりゃそうだ。分かっているから窓を全開し、入口のドアも開けて金目とエビを焼いていたのだが、他に和風旅館と料亭もやっているプロのおやじが厨房でただで厨房で焼いてくれるのだからありがたい。

 

早川のはさっそく1日で食べつくしたので、翌日(元日)修善寺に行って温泉に入り、地元スーパーでさらにあじの干物とぶりを買い、夜はこの2点を厚かましくも焼いてもらった。ぶりの照り焼きは非常にうまかった。

 

ふだんなら翌2日、駅伝の方角にまっしぐらで体当たり的にぶつかって旗を振り、北に逃げるのだが、昨年4月から新入り社会人となった息子は結構休み少なく働き、相当お疲れであるから、いつも駅伝来るまで待たすことになる行事はとりやめて、早めにもういちど早川漁港に寄って冷凍品を購入し、駅伝の来る2時間前、道路封鎖が行われない時間帯に北に逃げて、小田原東インターから厚木に帰った。

 

昔ならここからユーターンラッシュで海老名付近は超絶渋滞でひどい思いをするし、下の246に行っても1号線に行ってもひどいのだが、今は、5分ほどで圏央道に逃げれてしまう。圏央道から東名への合流は混むのだが、東名から八王子への離脱は別に混まないのだ。

 

で、このあたりから練習に息子と代わろうと思ったのだが、厚木道路には大磯しかPAがなく、通り過ぎてしまったので、厚木SAで交替した。といっても7Kmほどですぐ橋本方面に圏央道を降りちゃうからあとはほとんど野猿街道方面へ行くいつもの多摩センター道路だ。よくお世話になるコストコがある多摩境や三井アウトレットの南大沢を一目散に通り過ぎ鎌倉街道からヤマダ電機を横目にみながら一気に東八道路である。

 

東八道路沿いに家族の好きなレストランがあるのだが、さすがに普通のレストランだから2日はやっていないだろうということで、いつもの味みん、肉すきうどんを昼食(ほぼ昼夜兼用)にして、途中業務スーパーで日常食料品を買い入れ帰宅した。最後の久我山ワープ地点(中央道側道への合流)だけかなり渋滞していたが、もう家が近いと思えばのんびり構えられた(味民で運転は自分に交替)。

 

 

 

翌日、復路は風邪のひき始めみたいな状態でずっとTVを見ていて、そのあと本格的に風邪になっちゃって寝込んでいた。インフルではなくてよかった。今回バタバタで大学(NYU)で予防注射打ちそこなったのでその点懸念材料はまだ続くが仕方ない。だいたいアメリカと日本で流行っている者の種類が違ったりするからどうにもならない気がする。せいぜい手洗い、うがいを用心するくらいだ。かぜで延ばしたが明日関西に移動するので、それまでに咳は収まってほしいなぁ。老人に風邪移しちゃってもまずいからなぁ。

帰国

ぎりぎりバタバタしていたので、航空券をとるのがいつもよりずっと遅く、うまくユナイテッドの直行便がとれなかった。比較的値段の安いデルタにしたのだが・・。

 

朝は順調。4時半起きてすべてを片付けて残った食材などを台所において(ルームメイトに言っておいた)、6時に出発。タクシーを呼んでおいたのだ。もちろん電車などよりも高く30ドルしたが、とても楽で、荷物を積んで20分くらいで空港Bゲートまで到着した。

 

早朝で乗客たちも少なく、Webチェックインは済ませていたが、荷物を預け入れて、検査を通り、朝つくってきた「弁当」を食べながら待ち、9時のフライトは順調で、乗り継ぎ地のデトロイトには予定より結構早くつき、予定では間1時間しかなく心配していたが、全く問題なく、同じターミナルの中を移動するだけでゲートに。デトロイトから成田に12:46発予定だった。

搭乗が始まり、ここまで事は順調に進んでいるように思えた。

 

しかし、搭乗が終了し、13時すぎに滑走路手前まで進んだとき・・・機材の不具合ということで、点検、そしてゲートに引き返し、再出発、再びゲートに引き返し、最終的に別の機に乗り換えで、午後6時フライトという5時間遅れの出発となった。結論から書くと大したことない感じだが、ずっとそのたびに先が見えず、いろいろアナウンスはあるが、どうなるか分からず、機をチェンジするのかしないのか、ずるずると推移するといった感じだった。

 

この間、機内では幸いムービーは見れるようになっていたので、日本映画が好きだから見るのだが、miwa主演のなんだか妙な映画を見終わったあたりで機の乗り換えが決定された。やきもきはしたが、それほどのストレスにはならなかった、幸い。

 

ターミナルに戻ってゲート移動をしたのが16:30くらいだから、一時間くらいで再搭乗だ。めっちゃ待つわけではない。隣席にいた韓国出身のニューヨークの院生は払い戻しないの~とか言っていたがこれくらいではとても無理だろう。ただ成田に着くのが当初夕方16時→21時過ぎとなるので乗り継ぎする人は便がなくなるものもあり、ホテルの手配とかしてくれるというが、これも混んだり、最終的には成田で地上職が対応するから降りたところで言ってくださいね~みたいな感じで、ホント関西へ行く乗り継ぎにしていなくてよかったと思った。

 

結果、到着後、荷物の受け取りは22時ちょっと前となり、ヤマトの引っ越し便につき、別送品申告書をヤマト代理店の窓口に出さないといけないのが閉店ぎりにどうにか間に合ったという具合だった。

 

アメックスゴールドを今回つくっておいたから、ABC窓口で自宅宛荷物宅送1点無料なので、預けて疲れたからもうひとつのトランクも1950円で預けて楽にして、スカイライナー最終便(22:30)で帰った。家到着0:15.まぁ疲れたわ。

宅送の荷物も無事届いた。

 

乗り継ぎもあったため、朝6時過ぎにEWR空港に来てから、28時間たって家に着いた。時差ボケとばすように寝るのには最適だったわ。

以上でした。

日報:食事

キッチンを掃除したおかげでなんとか使っています。

 

残りの食材をせっかく抱えてきたので、スパゲティを茹でてミートソース、チーズでナッチョ、ご飯を炊いてレトルトのカレーライス、残ったご飯で翌朝、お茶漬け、昼なんかには日清焼きそばってわけですね。Walmartで買ったハムもちびちび食べ、それでも少し余りそうですが仕方ない。もうだいぶパタン化してますね。

 

同居のインドの方は日本のコメは食べないですかね、レンチンごはんパックが1,2個余りそうですね。聞いてみよう。

 

洗濯も無事済まし、荷物縮小に向けて徐々に。しかし明日からクリスマスイベントですので、全部がまたちょっと止まっちゃいますね。

 

外で食事したついでにノンシュガーの甘味料、ミルクポーションをポケットに入れて持って帰りたいです。牛乳買わなかったから、どうもインスタントのコーヒーがいくぶん飲みにくくて・・・。

甘いものとしてはかろうじてミラノクッキーレモン味を食べてます。 

 日本から持ってきたRummyチョコは最後空港で食べる予定。

 

あした一日がんばるぞ!

 

雑記:日報

しばらく放ったらかしになっていた本の原稿の自分の部分の修正にようやく手がついた。すでにごちゃごちゃ修正後のあるなかで見えないモードにしたところで変えていくのが煩雑というか、Web内での修正はなぜか突然1行が飛んでしまったり修正したはずのが戻ったり、動作がわけわかめなので、一旦DLしてそのWord内で修正をかける。

 

Web内で修正している方がひとに働いている様子が見せれるのだが、まぁまとめてアップしよう。

 

まぁ前の宿の難点をひとつ挙げるとすると本格的に冬に突入してきて(まぁまだこんなものではないかもだが)、ヒーターがかなりつきっぱなしになると部屋がとにかく暑すぎる。寝にくいのだ。血圧高めだし、危険でもあるのだが(寝ている間の脳卒中とか暑いと血が上って固まりやすいから)、ホント頭ぼーっとしちゃってなかなか寝付けないのだ。不眠で体温あがっているのと同じ状態で、やや睡眠が不規則化していた。とにかくヒーターが調整できないので、朝起きるとドアを開けて扇風機を回して空気変える。最近寒くて固まったのか、前開いたはずの窓も力入れても開かないし。

 

その点、このバタバタした引っ越しの利点は、楽しいNewPort生活、7階での風光明媚の他、自分で自由にいじれる空調。あったかいがやや涼しめの温度にしておくと快調。ベッドも相性がよかったのか、当初の体調の悪さもあって睡眠はしまくり、今日も11時間寝ていた。いや最後によく寝て疲れをとって帰国して、どうせまた働かないといけない(遊びもしないといけない!?家族サービスってやつ?)ので、ちょうど間の骨休みになりそうだ。なんか前焼け出されたときも思ったが自分自身の資質としてはマンション生活の方がどうも合っている気がする。少し高いところからあまり見られる心配が少ない状態で、よい景色を見渡しながら生活するというスタイルが自分に合う。

一二階にいると常に町や道路とくっつき過ぎてごちゃごちゃして浮世離れしにくいのだ。なんか気がとられる。7階に居れば、7階分、精神が飛んじゃえる(危ない!?)というか、身体化認知なのだろうが、「俯瞰的に」ちょっと距離をとって物事を考えやすくなる気が・・・そんな研究あった気がする。 ま、大学の研究室は7階なんだけどね、振り返れば下に名神高速道路。でも同僚がずらーっと7階にいるとほとんど浮世は離れませんなw。

 

さて、洗濯。帰る前に一度洗濯しておくか。スーシャンはインドから来た今コンサルタントで稼ぎつつある人で、フランクで親切な人。ランドリーカードが余っているからくれるという。それにデポジットして刺して使うってやつだ。ホテルにもそういうのがあった。経営動向を見て、会社の資産を増やしたり、経営指針をたてて改善したりそういうことをするリッチ方面に走っていく人生ルートだ。ステレオタイプとしてインドからの人は数字に強いというのがあるが、実際そういうことをしている。ジャージーシティはわりとインド系含めたアジア系人口もそこそこ多いが(もちろん割合としてはヒスパニックや黒人の方が多い)、ここはWest Wall  ST. と言われるくらいで、ゴールドマンサックス他、金融系が9・11以来引っ越してきているので、有名どころの金融系、コンサル系などの会社は徒歩圏であるのだ。だから車通勤よりも徒歩や電車通勤している人が多いかどうかWebでは40%で過半ではないが、アメリカでは珍しい車社会ではない街ということ。実際、徒歩と電車でどこでも行ける。

 

さて、体調も回復したし、24日(日)クリスマス礼拝をどうするか、興味があるという(主にコーラスに?)日本人研究者と検討中である。大学のチャーチでは、11:30から普通の礼拝あるようだが、大聖堂に行ってみるのも興味深いかもしれない。

キッチンが!

いや、でもこの風光明媚なハドソン川がちょっと隙間から臨める最高の立地で立派な22階建てのマンション2部屋しかない1室が7000円弱。安い。30日ひとつきまるまる払っても21万円。これでマンハッタン7分。すごい。いやPATHで一駅目のChristopherSt.もマンハッタンだから5分でマンハッタン島内だよね。

 

さて・・・いくらか値段の理由が明らかに・・。

手入れが超悪い。年末だと大掃除したくなるよね!!

窓拭きた~い! せっかく風光明媚なのに窓が汚い。外側拭くのは無理だが。だが、窓ふきまでするいわれもないし、アホらしい。

 

食べ物が散乱、いつの時代か?20年前の男所帯か!現代なら男子でももっときれいに暮らすわ。どういうこと!?

 

いつのかわからないコーラ、アルコール。食べかけの間食類。

 

ダイニングのテーブルクロスには食べ物がこびりつき、汚れ放題。

キッチンは・・・異臭が!

 

4つコンロがあるひとつの鍋のふたを開けてみると!これまたいつのか分からないエスニック料理、米使った料理がそこで腐ったままこびりつき! ひとつの鍋がフライに使うのかオイルがはったまま。コンロ台の下の部分は汚れ放題。流しにも食器が放りっぱなし。食洗器をあけてみたらなぜか食洗器になかの食器も汚れがあるし、きたない。いつ最後に使ったのか? 長い間使われずに放置して、さらにゴミが積み重なっていっているのか・・・・

 

レンジのなかも汚れていたが、レンジだけ掃除してお湯を自分のマグカップであたためて(一応自分のミネラルウォーターを)、お茶を入れて飲んでもう寝た。

 

翌日かなり風邪は直って回復していたので、掃除。掃除機があるからそれをざっとかけて、それでまず洗いかごを洗いw、食器を洗っていく、ペーパータオルがあるから適宜拭いて収納しようとすると・・・汚いので、カトラリー収納ケースを取り出して、それを洗い、カトラリーは全部洗い、引き出しは拭いて、それで収納。レンジも洗剤で拭き、水拭き、からぶき、流しやトップも清掃して、最後に問題の鍋を掃除、なかみはでかいゴミバケツに放り入れ、こそぎとり捨て、あとは洗剤使いまくりで洗う。ピューラックスほしい!

 

床も少し濡らして拭き、改めて掃除機をかけ、バスルームも掃除機をかけて大体終了。はぁ~、また体調が落ちてきた。胸にカイロを貼ってあたためてしばし安静で回復を待つ。

 

風呂でシャワーが出ないのがなんで?と思っていたが、昨日同居のスーシャンに使い方を教えてもらった。温度調整の丸い回すやつをひっぱるのかと思い、一所懸命ひっぱっていたのだが、蛇口の下の金具を下に引くだけだった。アメリカでは多いよこれと言われたが、モーテルでも覚えがないなぁ、あったような気もしなくはないがそういえば・・・みたいな。

 

ということで物はそろい、仕事の形も若干整い、暖房もバスもOKだ。あと5つ間だけどできることはやっちゃってから帰る。